青春18きっぷで行く京都・福井・金沢・長岡2021(2)京都を歩き回る

12月14日(火)京都2日目

本日も京都泊のため電車移動はお休み。一応体調を考えて、毎日8時間乗車などはしない。宿でトラブルが起こる。朝ご飯を食べようと、会場へ行くと『朝食券はないのか』と聞かれる。もらっていないというと、『えー』と言い、フロントに確認して『食べていいそうです』とあっさりいうので、こちらが『えー』となる。渡し忘れたのなら、もう少し申し訳なさそうにしても良いのではないだろうか。

そういう素振りをしたところ、マネージャーなる若者が食事中に現れ、頭を下げる。食事中だからというと、帰っていく。ところがチェックアウト時、この宿は機械で自動なのだが、カードを入れても数分間止まってしまう。フロントに声を掛けると先ほどの若者が飛び出してきて、またひたすら頭を下げる。こちらはバスの時間などを見て動いているのに、お客の都合など一向に気にしていないようなマニュアル対応に、驚いてしまった。

バスに乗り、四条から三条へ移動する。間の悪いことに、同じホテルチェーンの別の宿を予約してしまっていたのだ(京都内の同系列ホテルに宿泊すると特典があると言われて)。そこへ荷物だけを預けてすぐに飛び出す。バスで大徳寺へ向かう。大徳寺納豆の由来書きを読んでから、大徳寺黄梅院に寄る。ここは織田信長が父信秀のために秀吉に建てさせた寺で、信秀の他、毛利元就、小早川隆景、そしてお目当ての蒲生氏郷の墓がある。利休の庭園もあると書かれているが、なぜか入る気になれず、外の庭だけ写真に収めて去る。この扱いを見て、蒲生氏郷の地位が何となくわかる。彼が生きていれば歴史はどうなっていただろうか。

大徳寺を歩いていると色々な歴史が出てきて何とも楽しい。キリシタン大名大友宗麟の菩提寺瑞峯院、墓は十字架に見えるという。三玄院は石田三成ゆかりの寺で、古田織部、小堀遠州、千宗旦、沢庵和尚などが修行したとある。織部好みの茶室、そして墓もあるようだ。高桐院は細川家の菩提寺であり、出雲阿国の墓もあるという。総じて拝観料が高く(高桐院は拝観停止)、お墓の写真を撮る必要もなかったので、立ち去る。

そこから約1時間、鴨川を渡ってテクテク歩いていく。着いたのは宮本武蔵と吉岡一門の決闘で知られる八大神社境内、一乗寺下り松。武蔵のことは以前少し調べたが、ここは時代劇では必ず出て来る場所だった。意外に狭い敷地に武蔵像が建っている。ここで決闘前に神に祈ったという。

だが目的地はここではなく、更に坂を上っていく。詩仙堂、石川丈山が隠棲のために建てたと言われる。丈山は三河に生まれた武士で、徳川家康に仕えていたが勘気を被り?職を辞したらしい。江戸初期のことである。その後煎茶の奥義を極める??など、文人として余生を過ごした。煎茶道の祖とする話も聞いたが、少し違うようにも思う。ただこの落ち着いた空間を見ると、開祖という雰囲気はある。

拝観料500円を払って建物の中に入ると、いい空間が広がっている。そして座敷に座って庭を見ることができるのだが、その何とも言えない解放感、癒しの空間に、多くの人がじっと座っている。鹿威しの高い音が響き渡るが話声はない。庭に降りると、下りになっていて、下に庭がある。何とも贅沢な造りだ。すごく天気が良く、小春日和という感じで、テンションが上がる。ずっとここにいたと思える場所。

そこからまた銀閣寺の横まで歩いていく。哲学の道の脇に石川丈山の碑があった。更に歩いて泉屋博古館に行ってみる。ちょっと疲れたので休むつもりだったが、まさかの休館中。とぼとぼ歩いていると白河院という表示が目に入る。ここは元々藤原良房の別荘。それを白河院に献上したのだという。こういう場所がひょこっと出て来るのが京都らしい。宿の近くまで戻ると、みずほ銀行があったが、ここは三条南殿跡、そして平安博物館跡のようだ。ただ建物は新しくなっているように見える。

今日もかなり歩いて体力を消耗したので、夕飯はとんかつにした。近所のとんかつ屋へ行くと、ソーシャルディスタンスが十分に取られており、とんかつは普通だが、ゆっくり食事ができた。思わずキャベツとみそ汁をお替りした。帰りにコンビニでリプトンが新発売した練乳ミルクティーというのを買ってしまった。疲れた体に甘い飲み物は心地よい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です