京都、滋賀、兵庫茶旅2021(1)京都 百万遍から吉田山

《京都、滋賀、兵庫茶旅2021》  2021年10月22‐26日

夜奈良から京都に移動した。宿は京都駅前だったが、腹が減ってしまい、京都駅の地下の蕎麦屋でとり天うどんを食べた。意外においしく満足して宿に入り、大浴場に浸かって幸せに眠った。Gotoトラベルがなくても、駅前の宿なのにそれほど高くない。これもコロナ禍のお陰というべきだろうか。

今回京都は半日だけで、そこから滋賀、兵庫と転戦した。いつもは通り過ぎてしまう場所を訪ねたり、ゆっくりと温泉にも浸かり、一味違った茶旅となった。

10月22日(金)京都百万遍

宿の朝食会場はちょっと狭かったが、食事内容には満足した。ここはチェーン店で最近京都市内にいくつもホテルをオープンさせている。外国人観光客目当てだったのかもしれないが、そのあては今のところ外れてしまったが、私のような者にはありがたい場所であり、今後もご贔屓にしたい。

宿に荷物を預けて、早々街に出た。宿から一番近いバス停に行くと、高瀬川の川端だった。そこには記念碑が建ち。説明書きも見える。先日読んだ小説の主人公が、江戸初期にこの川を作った角倉了以であり、何となく親近感を覚える。宇治からの茶の輸送のこともあり、この川の意義は別途考えるべきだと感じる。

バスで百万遍を目指す。百万遍の交差点と言えば、陸上競技の高校駅伝や都道府県駅伝の実況で何度も聞いた場所ではあるが、ここで降りたのは初めてだろう。今日は知恩寺を訪ねるためにやってきた。因みに百万遍とは、1331年に疫病が流行った時、7日間百万遍念仏を唱えて撃退したことから付いたという。

このお寺に来た目的は1つ、織田信長の娘、冬姫のお墓を探すことだった。冬姫は戦国最強武将の一人で、千利休の一番弟子でもあった蒲生氏郷に嫁ぎ、氏郷亡き後も関ケ原の戦いから徳川時代初期を生きてきた人物である。残念ながらその詳細は分からない部分が多いが、恐らく氏郷にとって重要な人物であったはずである。しかし一般にはほぼ知られていない。茶の歴史にも何等かの関係があったであろうか。

お寺の奥に墓地があったが、結構広く冬姫の墓を探すのに苦戦する。だが最近はお墓探しも慣れてきたので、いくつかのヒントから何とか探し当てた。するとそこにはちゃんと『蒲生氏郷公室 冬姫之墓所』との表示が見付かった。400年前の墓だと文字が読めないなどで苦労するので大変有難い。

この近くに吉田神社があると知り、歩いて向かう。京大農学部前を通過すると、その先に竹村園というお茶屋さんがあった。確かFBで何度も見た名前だったので入ってみようかと思ったのだが、まだ早い時間だったので、通り過ぎた。その先北参道と書かれた表示を曲がったが、意外と遠くに感じられた。

この神社、吉田山大茶会というお茶イベントが毎年開かれており、まだ参加したことがなかったので今年こそはと思っていたが、残念ながら中止となっていた。取り敢えずどんなところか訪ねたわけだが、石段が多かった。ようやく神社に到着すると、何と幼稚園の運動会が開かれており、お参りもトイレに行くことも難しい状況で早々に退散となる。

そこから更に石段を上ると、かなりきつかった。やはりここは吉田山なのだ、と気付いた時はもう遅かった。山の頂上まで喘ぎながら登り、向こう側へ下るしかなかった。茶会は一体どこでやっているのだろう。予想外に面白い立地ではあるが、イベントをやるには厳しい環境に見えた。

その先に銀閣寺があるようだったので、哲学の道を歩いてみる。観光客は残念ながら戻っておらず、閑散としていた。適当にバスを探して、京都駅前に戻り、宿で荷物を引き取って、京都駅からJRに乗った。今回の京都滞在は短かったが、私が知らない京都はまだまだたくさんありそうだったので、また来ることとしよう。

京都を出た東海道線新快速は、琵琶湖の南岸を掠めて、わずか30分で近江八幡駅に滑り込んだ。この30分の間にも大津、石山、瀬田と行ってみたいところが目白押しだったが、今回は素通りした。駅ではまず観光案内所で地図をもらい、ついでに日野への行き方などを聞いた。今日の宿は線路沿いのチェーンホテル。荷物を置いてすぐに外へ出た。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です