熊本宮崎茶旅2021(3)宮崎のキーモン種

その畑の持ち主は、ご主人が既に亡くなっており、奥さんが対応してくれた。あくまで伝え聞いている話として、『60年以上前に試験場から分けられたキーモン種がここに植えられている。自分たちはその土地を譲り受けているので、当時の状況はわからない』とのことだったが、勢い良く伸びている茶葉はキーモン種かもしれないと思わせた。冷たくて甘い紫蘇ジュースを頂き、のどがとても潤った。

そこからまた1時間ほど車に揺られる。最後の訪問先は宮崎県農業試験場茶業支所。川南分場として、戦前に作られ、様々な品種改良を行ったことで知られている。ここに戦前戦後に勤務した森薗市二さんに関して、情報を得ようとした。Oさんのアレンジで、OBのFさんが来てくれていた。

Fさんは森薗さんと1960年頃一緒に働いていた人で、その人となりに関して、色々と話してくれた。そしてFさんは宮崎県茶業史を監修した人でもあるので、そのあたりの歴史についても、色々と教えを乞うた。ついでに試験場の初代所長、堀地重義氏についても情報を得た。やはり現地に来なければ分からないことが多い。これは大変有意義な面談だったが、何しろコロナ下でもあり、時間が限られてしまったのはちょっと残念だった。

Aさんに宮崎市の宿まで送ってもらった。『明日はお助けマンが来るから』と言い残して、Aさんは熊本に帰っていった。今回はAさんのお陰で旅が続いた。本当にありがたい。もう夕飯の時間だったので、宿の近くでチキン南蛮など鶏料理を食べた。小雨が降ってきたので、早々に引き上げ、ちょっと疲れが出たので、ゆっくり休んだ。この宿には大浴場があるので、気持ちが良かった。

7月22日(木)都城へ

翌朝宿で朝ご飯をたらふく食べた。そうこうしていると、迎えが来た。お助けマンTという。なんと靴など履かず、裸足で生活しているらしい。若いがとてもユニークな人で、その経歴もかなり面白い。世界を放浪した旅の話を聞いているだけで一日終わりそうだ。車は都城の方へ進む。TさんはAさんの指示通りの場所へ向かったが、私にはそこに何があるのか、あまり理解していなかった。いつの間にか行き先を理解していない二人が旅をするという珍道中となっている。これまた面白い。

最初は茶畑を見に行く。事情があって詳細は述べないが、三股町にある。だがそこへ行こうとすると道路工事が立ちはだかる。何とかそれを躱してたどり着くと、そこには古い茶工場もあり、色々と興味をそそられる。歴史的に表に出てこない茶があるということか。

都城は現在宮崎県ではあるが、地理的には鹿児島県にも近く、歴史的には微妙な場所らしい。そんなことを考えながら、都城市内の島津邸に行ってみる。ここに島津家の足跡があるのだ。立派な庭に出迎えられ、建物に入ってその歴史について聞いてみると、2階に簡単な図書室があるというので、そこで資料探しが始まる。勿論戦国時代の島津氏も重要だが、明治以降も気になるとことだ。

それが済むともう昼になったので、ランチ場所を探す。Tさんは実はビーガンだというので、ちょっと頭を巡らす。インドカレー屋を探すとちょうどあったので、そこに入る。そしていきなりビーガン用カレーを作ってほしいとお願いすると、奥からネパール人が現れ、『茄子のカレーでいい?』と聞いてくる。このあたりの臨機応変さがよい。このカレーが肉入りよりもおいしく感じられ、また店の人々も親切で食事が進んだ。

本来はもっと色々と調べたいこともあり、宮崎市内に戻って図書館へでも行くべきだったのだが、何となく疲れてしまい、Tさんに頼んで早めに空港に送ってもらった。すると都城から1時間で宮崎空港に着いてしまった。Tさんの異色な経歴話はまだ終わっていなかったので、次回また聞きたいと思うが、会うチャンスは果たしてあるだろうか。

ちょうどアップグレードポイントの有効期限が来ていたので、今回はビジネスクラスで東京へ戻った。軽食が出る他、天気の良い空が良く見え、久しぶりに写真を撮った。東京ではすでに実質オリンピックがスタートしているが、コロナの影響で無観客試合が行われている。明日から2週間はテレビに張り付いて、オリンピックを楽しもう。そして合わせて体調を徐々に回復させていこう。

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