熊本宮崎茶旅2021(1)熊本リベンジ散策

《熊本宮崎茶旅2021》  2021年7月18日-22日

コロナ感染は激しくなった。オリンピックは開催されるが無観客となった。それでも開催するには、それなりの意味があるだろう。私の方は首肩肘痛が激しくなり、ブログも書かず、散歩もままならなくなっていた。とうとうカイロプラクティスに通うようになる。鬱々とした生活が続き、余計に悪化していく。

そんな中、茶旅も愛媛におじゃまする計画が残念ながらとん挫した。オリンピック直前、最後のチャレンジでもう一度九州行きが浮上する。原稿の締め切りも迫っており、何とか出掛けることにした。今回は宮崎へ行くのだが、なぜか集合場所は熊本になった。2か月で2度目の熊本、よほどご縁があるのだろう。

7月18日(日)熊本へ

先月に続いて熊本へ向かう。もう見るところもないだろうと思ったが、フライトの関係もあり、早めに東京を離れた。肩肘に痛みの様子を見る必要もあった。午前中にオンラインの勉強会を開催して、そのまま夕方のフライトに乗る。なんだかサラリーマン時代の出張が思い出される。先月と同じルーティンで熊本空港からホテルに入る。夕飯も同じようにとり、同じように眠った。いつの間にか、熊本に慣れ、親近感を持つようになっていた。

7月19日(月)熊本市内散策

朝も前回同様、おいしい郷土料理をゆったりとしたスペースで頂く。やはり宿泊客は少ないのだろう。とても満足して、部屋に戻り、市役所に電話した。前回は閉鎖されていた石光真清記念館、入ろうと思ったら、役所に事前連絡する必要があったからだ。ただ電話に出た担当の人も石光や石光にかかわった人々(例えば阿倍野利恭など)についてあまり知識がなく、ちょっと残念だった。郷土の先達、もう少し知らしめてほしいところだ。

9時半に約束して現地に向かうと、草むしりしている人しかいない。ちょっと待つと警備会社の人がやってきて、鍵を開けてくれた。今や市役所が警備会社に委託して管理しているということだ。もう一度来てもらうのも悪いと思い、待っていてもらって、中をさっと見学する。

木造2階建て、1階には石光家についての様々な情報が展示されていた。更には過去の石光真清顕彰会の会報などが置かれており、かなり詳細な内容で大変参考になった。石光についての資料はこれまであまり見られなかったので、喜ばしい。ここでいくつか新しい発見があった。

それから熊本城に登った。これまでは地震の影響、そしてコロナ禍での閉鎖で、見学する機会がなかったが、今回は普通に入ることができた。ところどころ城壁が崩れたままであるなど、地震の影響が感じられるが、見事に復元してきている。石垣がすごい。そしてなんといっても城自体が立派だ。見栄えが良い。場内の展示物も見ごたえがあり、参考になる。観光客も少なく、見学には最適だった。

せっかくここまで来たので、先月閉まっていたところをすべて訪ねておこうと思い、バスに乗って泰勝寺に行く。今回は中に入り、細川ガラシャ(藤孝、忠興も)の墓に詣でることができた。ガラシャの人生に思いを馳せる。とても気持ちの良い庭園が広がっている。茶室は改修中で見られなかったが、十分に堪能できた。

そこから歩いて桜山神社へ行く。雨が降り出したのでさっと見学する。ここは神風連の乱で亡くなった人々の墓がある。西南戦争の直前、熊本の人々も立ち上がった戦い。首謀者といわれる太田黒伴雄以下、ずらっと並んでいる墓を見ていると、明治初期は何が善で何が悪かよくわからないが、勝てば官軍ということだろうか。

雨を避けてバスに乗ったが、すぐに止んだので、今度は県立図書館へ行く。ここで再度茶資料を探す。同じ建物の中には、熊本文学歴史館があった。そこで没後40年横溝正史展というのをやっているのがなんとも意外だ。取り敢えず見学する。最近目が悪くなり、展示物の説明をきちんと読むことができない。裏側に回ると、庭園が見える。ここも元は細川家の敷地だったらしい。熊本には至る所に細川家が出てくる。本当にお殿様がいたようだ。

路面電車に乗って帰ろうと道に出ると、向こうに食堂があった。食事は朝食べたきりだから、早めに夕食をとる。たくさんのおかずから選んでトレーに載せていくカフェテリア方式。ついつい煮物など余計に皿をとってしまい、結構な量を食べることになる。夕日と共にゆっくりとご飯を飲み込んだ。

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