鹿児島茶旅2020(1)初めて鹿児島を歩く

《鹿児島茶旅2020》  2020年10月24日-28日

高知からそのまま鹿児島に回った。2年前、熊本人吉から東京へ戻る時、鹿児島空港を利用したことはあったが、基本的に鹿児島へ行ったことはなかった。日本で2番目の茶産地にも拘らず、そして歴史的にも極めて重要な場所であるにも拘らず、一度も足を踏み入れていないとは。というわけで、初鹿児島にワクワクしたが、今回は緑茶ではなく、高知に続いて紅茶の歴史を学びに来た。ついでに歴史散歩も堪能する。

10月24日(土)初めての鹿児島で

新幹線は鹿児島中央駅に到着した。ここは以前西鹿児島駅と言ったようだが、昔から鹿児島の中心的な駅だったという。新幹線の開通で駅舎もきれいになったが、土曜日の午後でも人が多いとは言えない。観光案内所で地図を貰い、予約した宿の方向を教わり、そちらへ向かう。数分歩いて全国チェーンホテルにチェックインした。部屋は悪くなかった。

ずっと列車に乗っていたので、力が余っており、すぐに外へ飛び出した。宿の横に川が流れており、そこに像が建っていた。近づいてみると大久保利通像だったが、最近建てられたもののようだった。鹿児島における大久保の位置づけを感じる。そこから川沿いを北上して、お城の方へ向かう途中に、ザビエル像があった。ザビエルはここ鹿児島に上陸し、布教活動を開始していた。ザビエルを導いたと言われるヤジロウーなどの像もある。

更に行くと、西郷隆盛像がある。如何にも鹿児島に来た気分になる。その向かいには小松帯刀像もあった。幕末の薩摩を代表する人物として、近年注目されている小松だが、知名度は西郷に比べてかなり低いのは残念だ。折角なので県立図書館で資料を探そうと思って行って見ると、何と休館だった。驚いたことに今日だけではなく、10月1か月休館という大胆な企画。コロナのせいでもなく、建て替えなどでもなく、資料整理と点検のため、と書かれていたので、本当にびっくりした。秋の読書週間なんて鹿児島には無いんだな?

仕方なくそのまま進むと、お城跡があり、黎明館という歴史館があるというので行って見た。入り口付近には天璋院像などがあった。入ろうとしたところ、何と玄関口でアンサンブルのコンサートが行われており、大勢の人がそこに集まり、かなりの密状態。入ることも出来ずちょっと聞いていたが、その後何とか人をかき分けて中へ入った。入場料を払って展示物を見ていたが、参観者は皆無。

そして気になった展示の説明をスマホに収めていると、係員が飛んできて、『撮影禁止です』というではないか。確かに入口に一部撮影禁止と書かれてはいたが、その周辺に撮影禁止マークはなかった。驚いて係員に聞き返すと『基本的に全て撮影禁止です』と言われたので、納得がいかず帰ることにした。だが一度入場券を買ったものは払い戻しできないということで、気分的にかなり損をした。他の博物館などでは写真を撮られたくなければ、きちんと表示しているはずだが、ここにはそのような概念はなく、自分たちのルールだけが罷り通っているらしい。

そのまま帰るのも気分が悪いので、西郷巡りに出た。西郷終焉の地は城山を少し上ったところにあった。小さな洞穴が残っていたが、何となく寂しさを覚える終焉の地だった。その上には城山公園やホテルがあるようだったが、疲れていたのでそこまでとした。だが少し道に迷ってしまい、気が付くと五代友厚の生家付近に来ていた。

五代といえば朝ドラで一躍名が知られた男だが、明治に実業界に転じたため目立たなくなっているだけで、非常に重要な人物との認識がある。五代は1835年に儒学者の次男として生まれたという。『士魂商才』と看板に書かれているが、まさに武士の魂と商人の才覚を持った人物として知られており、明治期には大阪発展に大いに貢献し、東の渋沢、西の五代とも呼ばれている。

折角なので五代像がある天文館の方へ歩き出す。かなり歩いて疲れたが、まあいつもの旅だ。五代像は新しく立派だった。鹿児島最大の繁華街、天文館辺りには立派な老舗百貨店などもある。今日は土曜日なので、そこそこ人は歩いている。結局3時間ほど歩いて宿へ帰った。

だがすぐに腹も減り、近くを物色して小さなラーメン屋に入った。最近ちょっと食べすぎの上、疲れも溜まっていたので、ラーメンあたりがちょうどよい。豚とろラーメンを食べたが、こってりしており、疲れた体にはちょうど良い。部屋に戻るとすぐにシャワーを浴びてそのまま寝入る。

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