高知茶旅2020(3)劇的に森永茶工場発見!

それからYさんのご実家に行き、ご両親にもご挨拶した。お母様は持木亨さんの娘で、台湾生まれ、先ほど見た貴重な写真をきちんと保管されていた。しかもコロナ禍でゆっくり話せないからと、わざわざお手紙まで書いてくださっていて恐縮してしまった。短時間の訪問のつもりではあったが、実際にお目に掛かると、色々と思い出で話が出てきて、またまた情報が更新されていき、何とも嬉しい限りだった。

そこから車で30分。佐川町にやってきた。実は半年ほど前、FBでOさんという方が『森永紅茶の最後の提携工場を見付けた』という記事をアップしており、それを知り合いから教えてもらっていた。Yさんも興味津々で車を出してくれたので、小雨の中を見に行ったわけだ。既に住所なども分かっており、簡単に行けると思っていたが、大間違いだった。住所の場所に行っても、ただの山村。周囲を歩き回っても何も発見できない。

ここの紅茶作りを復活させ、商っている明郷園に電話してみるが留守電になっていて繋がらない。仕方なくネットで検索した住所まで行って見るが、そこは一般住宅で、お茶屋さんは見当たらない。ここで完全に途方に暮れた。雨も降り、腹も減る。私はここで一旦諦めようとYさんに提案してみたが、彼は諦めなかった。

取り敢えず佐川町の観光協会へ行くという。佐川町は司牡丹など酒で有名。土佐漆喰の美しい酒蔵がいまでも多く建ち並んでいた。その中にあった観光協会の建物に入り、何気なく周囲を見ていると、何とそこに紅茶が売られているではないか。思わずそこにいた人に『この紅茶を作っている人と連絡を取りたい』とお願いすると、快く引き受けて電話をしてくれ、その古い茶工場に案内してもよい、という返事をもらってくれた。私としてはこれは奇跡の遭遇だと思ったが、きっとお爺さんが孫のYさんに見せたくて引っ張ったに違いない。

そこから車で15分ほど行った小学校で待ち合わせた。訳も分からずに来てくれたSさんには感謝しかない。そしてYさんが持木亨さんの孫だと説明すると、『えー、資料しか見たことがない名前だが、その子孫が来るとは』とSさんの方が、そのご縁に大そう驚いていた。そこから山道をどんどん入っていく。これは普通ではとても行けないような場所だ。当初の考えの甘さを痛感する。

そしてかなり立派な石垣のある庄屋さんのような家が見えた。その先についに茶工場が見えてきた。こんな山奥だったのか。建屋に紅茶の文字が見える。私も感動したが、Yさんはしばしボー然とそれを眺め、それから写真を撮り始めた。既に50年以上が経過し、残念ながら老朽化が激しく、中に入ることはできなかった。その周囲にはわずかに茶畑が残っており、元気な茶葉が工場の前に見られた。Sさんが『あれがはつもみじです』という。私にとっては初めて行く品種だったが、60年前は多く植えられたものだという。

小雨の中で長い時間工場をただただ眺めていた。最後は名残惜しいが促されて、その場を立ち去った。Sさんが『紅茶を飲んでいって』と言って、作業場に連れて行ってくれた。今日は雨だったから、たまたまパッキング作業をしていて時間が取れたという。雨が幸いすることもあるんだ。これもやはりお引き合わせなのだろう。

そしてSさん製作のはつもみじとべにふうきのブレンド紅茶を頂いた。何とその紅茶がエンゼルマークの付いた森永カップに入れられていて、これまた大いに感激した。このカップは半年前Oさんと一緒に工場に入った際、見付かったものだという。元々この紅茶は茶葉を手摘みして丁寧に作られていて美味しいのだが、この森永カップで飲めば味もまた格別だ。更には森永紅茶の名が入った袋まで保存されており、本当にさっきの茶工場が森永関連だと認識できた。

Sさんとお別れして、また先ほどの観光協会に戻る。勿論ご紹介のお礼のためだが、お茶を買うのも忘れていたのだ。この紅茶、通販でも買えるらしいが、ここまで来たら、ここで買わないと。帰りの車で急に腹が減る。昼ご飯を食べていなかったことに気が付き、コンビニでサンドイッチを買って食べた。ああ、まさに茶旅。今回のご縁はすごかった。

その後再度Yさんの勤務先に立ち寄り、他の先生にもご挨拶して、また少し資料を拝見し、車で宿まで送ってもらった。今回はYさんなくしては茶工場にも行けなかったし、雨の中、車を出して頂き、感謝の言葉もない。感慨に耽りながら部屋で休息していると、また急に腹が減ったので、近くのラーメン屋に飛び込んだ。しかしそこは何となべ焼きラーメンと書かれており、鍋にラーメンが入っていた。それとご飯を合わせて食べるらしい。ただ中国語で、ご飯をラーメンに入れるな、とも書かれている、何とも不思議なところだった。

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