高知茶旅2020(1)観光案内所の熱心な案内に導かれて

《高知茶旅2020》  2020年10月21日-24日

台湾紅茶の歴史を調べ始めてから4年が経とうとしていた。最初は簡単に考えて、日本統治時代の南投県魚池付近の紅茶の歴史を当たっていたのだが、そのうちここで最初に紅茶を作った日本人は誰だったのかに興味が湧き、持木壮造という名前に行き当たった。更にはその持木農場で作られた茶葉を森永が買い取り、森永紅茶を作っていたとなると俄然前のめりになっていった。

今回はその森永紅茶が高知県で作られていた戦後の歴史を追い、また持木家の子孫も高知にいることが分かり、そのご縁で高知を訪ねることになったのだが、結果としてはかなり劇的な展開もあり、いくつもの発見もあり、やはり茶旅は止められないとの思いを強めた。

10月21日(水)高知ゆかりの人々を訪ねて

羽田から朝の飛行機に乗り、午前9時過ぎには高知空港に着いた。空港バスで30分行けば高知駅だ。駅前には相変わらず、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太の像が並んで建っているが、その駅寄りに前回は立ち寄らなかった大きな観光案内所があった。午前中に到着したので、まだホテルに行くのも早いと思い、当日の行動プランを立てるために地図をもらおうとふらりと入り、情報収集を始めた。

この観光案内所、実に機能的かつ情熱的な対応でびっくりした。高知県が如何に観光業に力を入れているかが、十分に伝わる内容だった。今回は高知出身の二人の人物について知りたいと思っていた。一人は『竹内綱』。そう聞いても知る人は少ないかもしれないが、あの敗戦後に総理大臣を務めた吉田茂の実父である。先日大磯で吉田茂邸を見学した時、竹内の額が掛かっていて興味を持ったのだ。

『竹内綱にゆかりのある場所を訪ねたい』と聞いてみると、担当してくれた女性職員は『高知市内にはないですね』と言いながら、即座に『宿毛歴史館』に電話を入れて、確認を取ってくれた。宿毛は高知市内から特急で2時間かかる場所だが、竹内の生まれ故郷だから何か分かるかもしれないとの配慮であり、『宿毛はいいところですよ、是非一度行って見てください』とのご紹介でもあった。

もう一人は高知の初代茶業組合長で、板垣退助らと共に自由民権運動にも関わった『平尾喜寿』という人物。こちらについても尋ねてみたが、さすがに『どんな字を書きますか』と全く知らない様子であった。だがあとで色々と教えてくれたのでこれまたびっくりとなる。

竜馬パスポートも紹介された。これを持っていると観光地などで色々と特典があるようだが、ホテル代の支払いでもこのパスポートがゲットできるというので、予約した近くのホテルへ行き、チェックイン前にもかかわらず、スタンプを貰い、荷物を置いて案内所へ戻り、パスポートを申請した。

『オーテピア』にも電話してくれた。ここは県立図書館で、『3階に高知茶の歴史関連の資料があると言っていますから行ってみて』と言われ、1日無料貸出自転車の鍵を渡してくれた。これで楽々図書館へ行けた。自転車、天気が良ければ実に快適な乗り物だということを発見して嬉しくなる。

だが、最初に辿り着いたのは高知城の脇の公文書館で誰もいなかった。すぐ横の山内一豊像の写真を撮り、オーテピアを再び探す。やはり立派な図書館で、担当者も実に親切。キーワードを告げるといくつもの関連ありそうな資料を探し出してくれ、思い掛けない資料を目にして、沢山コピーを取り、大いに役立った。平尾喜寿もここではすぐに通じた。

腹が減ったので、オーテピアの横にあったひろめ市場を訪ねる。ここは3年前、ちょうどクルーズ船が到着して3000人の中国人観光客で街が占拠され、この市場もカツオのたたきを目掛けた全てが中国人観光客だったのを目のあたりにして驚いた記憶がある。だが現在のコロナ禍、外国人の姿はどこにもなく、日本人観光客も数えるほどで、閉まっている店もあり、何とも寂しい。ウツボのから揚げと鯨かつを注文して美味しく頂く。

お礼を言いに案内所へ戻ると、『竹内綱の像が市内にありました』と言ってコピーした地図をくれた。何とも有難く、自転車で自由民権通りまで走っていく。竹内綱と長男の明太郎(吉田茂の兄)の像が並んでおり、無事に記念撮影することもできた。午前中に尋ねたことを午後になっても調べてくれているとは喜ばしいというより、むしろ申し訳ない気持ちになってしまった。自由民権記念館にも寄ろうと思ったが、なぜか違う方にペダルを漕いでしまった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です