大磯茶旅2020(1)鴫立庵と吉田茂邸

《大磯茶旅2020》  2020年9月19日、10月5日

先日小田原に行った時、大磯でお茶作りをしている人がいるとの話が出た。よく聞いてみると、その奥さんは私も知っている人だというではないか。何となく神奈川茶の旅を続けたいと思い、大磯にも行ったことがなかったので、訪ねてみることにした。

9月19日(土)大磯へ

大磯駅は想像よりはるかに小さな駅だった。実は子供の頃、辻堂に住んでいたことがあり、東海道線には馴染みがあったのだが、ここ大磯で降りたことは一度もなかった。そしてここは高級別荘地帯というイメージがあり、駅舎も立派なものを想像していただけに、ちょっと拍子抜けしたわけだ。

駅にはT夫人が迎えに来てくれていた。T夫人とは何と札幌で会って以来、数年が経過しており、札幌で紅茶館を経営していた彼女は、いつの間にかTさんと結婚して、大磯に移り住んでいた。お相手のTさんは以前より茶業を志しており、そこに共通点があったようだ。私は札幌でセミナーを依頼された時、主催者から『紅茶関連はこちらで』と言われて、T夫人と知り合った。お茶のご縁である。

駅前にはTさんが車で待っていてくれ、先ずは鴫立庵に連れて行ってもらった。実に雰囲気の良い茅葺屋根の建屋が見える。鴫立と聞けば、西行法師の『心なき 身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮』を思い出すが、何とここはその句が詠まれた場所ではないかということで、その名が付いたという。

しかもそれを言い出したのが、江戸時代初期1664 年に小田原の崇雪(そうせつ)という人物だったというのが引っ掛かった。彼は小田原の外郎屋と関係があったと言い、興味は尽きない。そんなことをここの責任者のYさんから伺いつつ、見学した。Yさんも歴史好きで、色々と詳しい歴史を説明してくれるので、思いの外、長居してしまった。

法虎堂には、曽我物語で知られる曽我十郎の恋人が祭られているという。大正天皇の奥方で、昭和天皇の母である貞明皇后も来訪の記念碑が建っている。この皇后の歴史、ちょっと興味あり。幕末の蘭学医、松本良順の墓碑があるのはなぜだろうか。鴫立沢の標石(レプリカ)も置かれている。実に様々な時代の歴史が詰まっていて面白い。

T夫人はここで定期的にお茶会を開いているらしい(コロナ禍で開催が難しくなっているようだが)。ただ歴史的建造物なので、火を使うことは許されず、T夫人お得意の紅茶などを淹れているという。T夫妻がここに住んでいるのは、Tさんが隣の平塚出身だかららしい。

続いて、大磯郷土資料館へ行く。ここに先ほどの鴫立沢の石碑があると聞いていたが、何と外にポツンと置かれており、意外だった。資料館の展示では特に、大磯ゆかりの人物たちを知り、その別荘文化について学んだ。大磯の別荘というとどうしても吉田茂邸がイメージされるが、実はそれだけではなかった。

大きな公園を歩いて横切り、その吉田茂邸へ向かう。ここで日本の政治は動いていたのか。だが残念ながら数年前に火事になったと聞いている。勿論見事に建て直されており、サンルームと共に立派で広い日本庭園が目を惹く。広い庭を歩いていくと、海が見える場所には吉田茂像が建っていた。建物の中では、養父吉田健三と実父竹内綱の写真が目に入る。また吉田の長い外交官生活の中で、茶貿易との関連を知りたいところだが、それは見つからなかった。

昼ご飯を食べに行く。魚が美味しいお店でランチを頂く。お目当ての生シラスはなかったが、十分に堪能できるご飯だった。昼過ぎには大磯在住のHさんと会うことになっていた。折角なのでT夫妻もご紹介すべく、一緒に待ち合わせ場所へ向かう。そこは古民家を改装したカフェ。古い茶箱などが置かれており、聞けばその昔はお茶屋さんだったところらしい。

このカフェ、かなりおしゃれで美味しそうなパンなども食べたくなる。1階には中庭のテラスなどで飲食が可能だ。何だか立ち飲みもしている人もいる。古民家の2階は畳の部屋。ここで紅茶をオーダーして、飲みながらゆっくり話す。4人でお茶作りの話などをした後、今度はHさんと二人で、茶歴史などについても話す。日本茶の歴史は本当に分からないことばかりだ。

Hさんと別れて、駅の方へ向かおうかと思ったが、まだ日は高いと思い直し、もう一歩きすることにした。駅のすぐ近くにエリザベス・サンダース・ホームと書かれた場所があったが、入ることはできなかった。岩崎久彌(三菱財閥3代目総帥)の長女として生まれた澤田美喜が設立した児童養護施設。駐留軍兵士と日本人女性との間に生まれた混血孤児たちを預かる乳児院だった。ここは岩崎家の所有地だったのを戦後苦労して買い戻したという。

大磯には明治の有名政治家の別荘が沢山あったと聞いたが、どこにあったのだろう。東海道松並木を歩いて行くと、改修中の広い敷地があった。ここが大隈重信邸だったところで、近日中に、旧大隈重信別邸・陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸の庭園が一般公開するらしい。明治記念大磯邸園という名で纏められている。その先には伊藤博文邸『滄浪閣』と書かれた石碑があり、その後ろに実際の滄浪閣はあったらしい。

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