神奈川茶旅2020(3)横浜を歩く2

地下の閲覧室に入る。午後は1時半から3時半の2時間のみ使用できる。席は離れており、わずか4席。如何にも大学の研究者といった感じの人が座っており、既に全てを調べ上げたうえで来場し、サクサクと資料を貰ってコピーしている。初めての私はここに何があるかも知らずにやってきたので、係員の人の手を煩わせることになってしまう。

それでも何とか目指す貴重な資料を探し当てたが、何とそれは120年以上前の現物であり、ここでコピーすることはできないと言われてショック。専門業者に依頼して、1-2週間、費用も相当掛かるので、断念した。勿論色々と別の発見もあり、なるほどと思う横浜開港時の資料も見つかった。やはり来てみないとわからないものだ。

結局2時間居たのは要領の悪い私だけだった。外へ出ると日差しがまぶしい。先ほどの大谷嘉兵衛像、実は別の場所にあるとの情報があり、30分ほど歩いて行く。しかしそこは分かり難い傾斜地で、道に迷う。本牧山頂公園の中を歩き回り、ようやく天徳寺に辿り着く。寺の境内の、隅の方に大きな記念碑があったが、像はなかった。訪れる人もなく、なぜここに碑があるのかの説明もない。

帰りにヘボン博士邸跡という看板を見つけた。ヘボン式ローマ字で有名だが、彼と奥さんのメアリーは横浜開港後にやってきた多くの日本人に英語を教えており、ヘボン塾出身者にはあの高橋是清、林董(日英同盟の立役者)、益田孝(三井物産初代社長)などがいる。もちろん優秀な医師、キリスト教伝道者という点も加え、その貢献度は想像以上に高い。

旧居留地を歩いていると、所々に古い建物が保存されている。元浜町通りは既にほぼ新しくなってしまっているが、幕末はここに多くの茶商が店を構えていたらしい。向こうに大きな税関の建物も見え、往時を偲ばせる。イルカが歌った『海岸通り』とは、1871年に埋め立てによって作られた道らしい。

日本大通りを歩き、横浜公園へ向かうと、かなりの人が同じ方向に歩いていく。しかも野球のユニフォームを着ている人が多い。そうか、ここは横浜スタジアム、そして今日は横浜のホームゲームが開催されるようだ。夜は暇だったので、もしチケットがあれば野球観戦でもしようかと考えたが、今回は目的が違うので、大人しく部屋に帰って休んだ。

8月27日(木)横浜を歩く2

翌朝は早起きして、朝食のパンにありついた。やはりパンの方が胃にも優しいのだが、今度は量が足りなくて困った。先ずはホテルの横にある横浜公園を散策する。朝は何とも気持ちが良い。池もあり、庭園風の場所もあり、憩いの場という感じだった。1876年に作られたこの公園、何と日本で最古(日本人に開放された最初)の公園だと書かれている。

設計者は土木技師リチャード・ブラントン。1866年大火の後、遊廓跡地に公園を作り、公園から港に向かって新道路を建設、それが日本大通りとなった。日本大通りとは居留民と日本人を分ける道路だったという。尚ブラントンはスコットランド出身、日本中に何と26もの灯台を作った『日本灯台の父』と呼ばれる専門家らしい。

それから港の方へ出てみた。天気が素晴らしく、空も海は青かったが、最初に開港された港は小さかった。そして今日の午前中も再度開港資料館に予約を取っていたことから、また出かけて資料を漁った。少し時間があったので、資料館自体の展示物もついでに眺めてみる。でも一番興味深いのはこの建物自体かもしれない。

資料館を出て、またフラフラしていると、中居屋重兵衛店舗跡という看板が目に入る。重兵衛は開港と同時に群馬から出てきて生糸貿易で財を成した人物と言われているが、幕末でその名が消えている。どうも何かの事件に巻き込まれたようで、ちょっと興味を惹かれる。また調べてみよう。

神奈川県博物館は、1904年横浜正金銀行本店として建てられた。建物は重厚そのもので、そして大きく、形もよい。中の展示物にも興味深いものが多いが、開港場としての歴史は多くない。横浜正金といえば、アジア各地にその足跡が見られるが、小説家永井荷風はニューヨークとリヨン支店に勤めていたらしい。何で永井荷風が、と思うのだが、永井の父久一郎は、明治初期にアメリカに留学したエリート官僚で、その後日本郵船上海支店長なども務めた国際派だったという。

腹が減ったので、その辺の中華食堂に入った。回鍋肉が急に食べたくなり、注文する。当たり前だが、日本の回鍋肉はキャベツだ。しかもその量が多く、キャベツ炒めを食べているような気分ではあるが、店員の中国人は愛想がよく、やはり日本だ、と思ってしまう。

午後は横浜郵船ビルの博物館を見学する。三井と三菱の戦いなどは興味深いが、私が思っていたような展示はなかったので、そのまま海岸沿いを歩き、山下公園で氷川丸を見学する。アメリカ航路の様子(一等船室など)など、参考になるものも見られた。ホテルニューグランドでナポリタンでも食べたい気分だったが、暑くなってきたので、そのまま帰路に着いた。

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