黒茶を訪ねて梧州へ2013(2)梧州茶廠と六堡鎮を見学

梧州茶廠

ホテルからタクシーで5分、梧州茶廠に到着。入り口の門が何となく古めかしくてよい。この工場は1953年に作られ、今年がちょうど60周年。60年間、この場所で茶を作り続けている。正面に陳列館と書かれた博物館がある。何故か工場長が正面に居て、挨拶する。

陳列館には創業以来の歴史が飾られていた。特に驚くのは六堡茶でも1950年代からプーアール茶と同様の熟茶の製法が行われていたこと。熟茶は1974年に雲南省の茶葉研究所が製法を開発したと言われているが、六堡茶の世界ではそれ以前から作られており、実は民間では解放前からあった製法だと言う。陳列館2階の事務所で李さんのオジサンから話を聞く。

また1971-79年の文革中には、湖南省益陽と同じ、茯茶(茯磚茶)を作っていたこと。これは政府の命令だったようで、その後は採算が合わないことから製造を止めている。益陽では政府の補助があるから作っていると言っていたが、実際には補助があっても儲からない、場合によっては赤字になるらしい。

この付近では基本的には現在六堡茶しか生産していない。80年代、黒茶は全く売れなかったようで、廃業した所も多かったようだ。梧州茶廠は実質的に国営であり、生産が続けられたが、長い間低迷が続いた。2005年のプーアール茶ブームで、同じ種類である六堡茶にも少しずつ関心が向けられ、生産が向上したらしい。

ただ梧州茶廠は未だに株式制などへの改組が行われていないため、商業意識がもう一つで、市場の波に乗れない、との話もあった。この辺は益陽茶廠が2005年に改組し、収益重視の生産体制になったのとは異なっている。工場に入ることは禁止されている。説明によれば、倉庫なども木の板が使われており、60年間の六堡茶の茶香が漂っていて、とてもいい匂いがするらしい。このような伝統ももし収益重視になれば替えられてしまうかもしれないので、変革が全て良いとは限らない。

ちょうど我々が工場へ行った時、市の書記が視察に来ていた。だから工場長が正面玄関に立っていた訳だ。市政府の支援ももう少し欲しいとのこと。この視察を機に市を揚げて六堡茶の売り込みに努めてほしい。

李さんの店

市内にある李さんの店へ行く。この店はオジサンがオーナー。オジサンは何と80年代に安徽省にある農業大学、通称お茶大学を卒業して、地元に分配(配属)で戻ってきたが、六堡茶及び梧州茶廠の低迷により、直ぐに飛び出し、自ら商売を始めたらしい。お茶の知識は相当にある。この店は私の泊まっているホテルとは街の反対側にあり、市政府などがあるので、街の中心と言えるが、茶城が我がホテル周辺に移っているため、少し不便。常連客は沢山訪れるが、観光客が来るような場所ではない。勿論彼らの主業は卸しだから、それでよいのだろうが。

昼時になると当然のように飯へ行く。近くの地元レストラン。先ずは例湯が出る。この辺が実にいい。しかも美味い。李さん曰く、「我々両広人は、スープが無ければ始まらない」と。両広人とは広東、広西の2つを指すと思われるが、何だか清朝時代の両広総督を思い出す。それ程にこの2つは密接なつながりがある。ましてやほぼ広東省に近い、ここ梧州は広東の影響を大きく受けているのは当然であろう。それから白切鶏が出て、大腸ときくらげの炒め物が香ばしい。うーん、私の味覚に合っている。嬉しい。オジサンもジョインして、飯を何杯も食う。

日がな茶を飲む

午後も雨模様。今日は何もできないね、とばかりに、店で茶を飲み続ける。六堡茶といっても相当沢山の種類がある。レンガ茶もあれば茶餅もある。可愛い籠に入れた散茶もある。店には大きな古い木の桶に散茶が入っている。良く見ると葉っぱのまま、発酵させた茶まである。

時々常連客が入って来て、茶を飲みだす。ある客が入って来た時、李さんが『70年代の散茶だ』と言って、取って置きの茶葉を取り出した。それはまるで枯葉。そして信じられないほどにマイルドで、心地よい。その客も気にいって、クレジットカードを取り出し、決済を始める。1斤、3000元以上もする茶を何気なく買っていく。聞けば別の街の不動産業で成功したオーナーだとか。

お客も入って来るが、物を売り込みに来る者もいる。南寧から来たという女性二人組、お茶ではないが健康に良いという飲み物を持ってやって来て、店で実演販売を始めた。お客もちょうど良い話題が出来たということか、興味津々で話に加わっていた。が、彼女らが去ると『最近あんなのが多いんだよな』と。田舎の人は人が良いのか。

開発ラッシュ

あまり長い時間お茶屋で座っていたので、腰が痛くなり散歩に出た。市政府があるこの周辺は梧州の街の中心街であり、オフィスビルとマンションの建設ラッシュとなっていた。特に河沿いは軒並み掘り返されており、タクシーで走ると、その様子がよく分かった。この街にはどう見ても不釣り合いな43階建てのコンプレックスビルまで登場しており、その過熱ぶりが分かる。

『全ては高速鉄道のお蔭だよ』とタクシーの運転手は自嘲気味に話す。広州から南寧までを通す高速鉄道の駅が梧州郊外に出来ることから、ここ数年開発ラッシュに沸いている。もっとも当初の予定では既に開通しているはずだったが、前鉄道部長の逮捕に絡んで、多くの鉄道案件が遅れており、この線に関しても完成は1年以上遅れている。一時1㎡1万元を超えていた不動産価格も、最近は8000-9000元まで値を下げていたが、それでもこの田舎町としてはかなり高い。金融引き締めもバブル崩壊もなんのその、中国の遅れた地方都市は起死回生の一発を狙っている。

タクシーの運転手は東北遼寧省の出身だった。こんな南の方まで何で来たのだろうか。『何となく流れて来たんだ。でもこの辺はいい所だから居着いてしまった。大都会は性に合わないし、東北に帰るにも仕事が無い』。中国は広いが、それにしても故郷を離れている人のなんと多いことか。

夕飯は李さんと牛肉鍋を食べる。単に鍋に牛肉を入れるだけだが、この生姜ペーストのたれが美味しい。梧州は牛の産地なのだろうか。店はこの街で人気のあるところだと言っていたが、なるほどどんどん人が入ってくる。地方都市ほど食事にお金を掛ける比率が高いというが、全くその通りだ。

4月13日(土)  朝飯 でかい粥

翌朝もホテルで朝食。昨日の量の多さに懲りて、お粥だけを持ってきてもらう。ところが、そういうお客もいるのか、お粥のどんぶりが半端なくデカい。これと豆乳で朝から完全に腹一杯。昨日は悪口を言ったこの店だが、いい所もある(変わり身が早い私)。

ホテルに李さんがやって来た。今日は嫌がる李さんを説き伏せ、六堡茶の産地へ向かうことになっていた。車は弟さんが運転。彼も別の店で茶を扱っているという。若干雨模様の中、いざ出発。

3.六堡鎮  六堡鎮へ

梧州の街を抜けると、いくつかの工場があり、その先は畑が広がっていた。そして30分ほど進んでから、山道へ入る。最初は広かった道がどんどん狭くなり、そして分かれ道ではどちらへ行くのかさえ、分からない。表示もなく、勿論聞く人もいない。過去に来たことのある李さんの勘を頼りに進んでいたが、何とその頼みの李さんが体調不良を訴える。恐らくは元々車に弱い体質なのだろう。だから昨日もあれだけ親切な彼が『村へ行く山道は大変だ。雨季で道がぬかるんでいる』と行くのを拒否していたのだ。悪いことをしたと思ったが、しかし私は進むしかないのだ。

1時間半ほど掛けて六堡鎮に到着。周辺には茶畑が広がっていた。その中に古風な建物が見える。近寄ると六堡茶廠と書かれている。ここが六堡茶の故郷なのだろうか。実はこの茶廠、昔は隆盛を誇った時期もあったが、1980年代には一度倒産し、最近の街興しで、別の街の人間が投資して再興したとか。六堡茶には不遇の歴史がある。

茶廠の裏には畑があったが、それほどの面積はない。昔は広大な敷地に茶樹が所せましと植えられていたが、その後茶の販売が低迷、100年単位の貴重な茶樹がかなり切り倒されて、畑に替えられたという。たまたまあった樹齢100年の木を見たが、100年でもまだか細い感じがした。改革開放により、国有企業が少しずつ立ち行かなくなった様子が分かる。

茶廠の対面にも茶畑がある。なだらかな丘を登ってみてみる。数人の女性が作業しているので聞いてみると『既に1回目の茶摘みは終わった』とのことで、今日は雑草取りを行っていた。ちょうど4月中旬ごろに茶摘みが行われていると聞いてきたのだが、天候不順で一足遅かったようだ。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です