北京及び遼寧茶旅2019(10)北京ぶらぶら

12月21日(土)
北京で

今朝はいつもより早く起きた。そしてさっさと朝食を取り、8時には宿を出た。ついに北京に戻る時が来た。瀋陽駅から北京駅まで行く列車は多くなく、普通の高鉄より時間も少しかかるが、瀋陽北駅まで行き、北京南駅で降りて戻ることを考えると、自分の選択はすぐに決まった。

 

瀋陽駅までは歩いても行けるのだが、ちょうどバスが来たのでそれに飛び乗り、あっという間に到着した。だが駅に行くには地下道を通らなければならず、エレベーターがない所もあって、荷物を持って上がるのは大変だった。瀋陽駅と言えば、確か映画ラストエンペラーの冒頭で、溥儀が連行される場面がここだったのではなかったか、と突然思い出す。

 

列車に乗り込むと、すぐに寝込む。今回の旅で列車に乗るのはこれが5回目、さすがに飽きた。しかも今回は最も長い5時間だ。この列車はこれまで来た道のりを戻っていくだけでもあり、窓の外を見ることもなく、やることはない。当然列車は満員で、居心地がよいわけでもない。

 

何とか午後2時前に北京駅に到着した。この駅から脱出するにはやはり地下鉄しかない。一駅乗って建国門で降り、歩いて宿へ向かう。瀋陽に比べればかなり暖かく、着込みすぎていて汗が出てしまう。宿に到着し、昼を食べていなかったので、前回来た時と同じ麵屋で麺を食べる。

 

その後、地下鉄駅まで歩き、一駅乗って10号線に乗り替え、また一駅乗って先日泊まった宿に行く。実は一部荷物を預けていたので引き取りに来たのだが、1週間前の荷物が見つからず、ちょっと困る。五つ星ホテルと言ってそこは北京か。最後は出てきたので事なきを得たが?

 

建国門で昔馴染みの足マッサージ屋、いまだに12年前に作ったカードが使えるのは有難い。この10年で店舗は相当きれいになり、そして料金は2-3倍になった。いつものようにマッサージお姐さんから、色々と話を聞き、中国の庶民の様子を勉強する。ついでに凝りもほぐしてもらい、一石二鳥である。中国の農村地帯、話によると激変しているらしいが、行ってみないと、実感が沸かない。

 

夕飯はKさんと食べる。今や貴重な東四の老舗北京料理屋へ向かう。ずいぶん前に来たことがあったと思うが、雰囲気はあまり変わっていない。勿論ここも料金は相当上がっているが、何となく懐かしい味がして、嬉しい。ジャージャー麺や腰花などを食べて満足する。ただ土曜日の夜なのに、凄く満員ではないところがちょっと気になる。

 

Kさんは北京B級グルメをよく知る人物だが、北京からどんどん老舗食堂が無くなっていくことに時に流れを感じているようだ。恐らく老北京人も同じ感慨を持っているだろうが、もうこの国の勢いを止めることはできず、ただただ呆然と眺めていくだけだ。古き良き北京、今や建物だけでなく、料理の味や人々の心も失われていく。

 

12月22日(日)
東京へ

ついに東京へ戻る日がやってきた。外へ出るとさほど寒くはないので、帰る前に懐かしい散歩道を歩いてみる。10年前に住んでいた建国門から二環路の内側に入り、社会科学院の脇を抜けて、川弁へ。ここの四川料理は安くてうまかったが、今はどうだろうか。そこから北へ趙家楼飯店(1919年の五四運動の現場)を通り過ぎ、灯市口の方へ歩いて行く。

 

この付近にも古い歴史的な建物がいくつも残っており、歩いているだけで歴史好きには楽しい。清末から民国時代が目の前に現れてくるようだ。ここは何度も歩いているが、何度でも歩きたい場所である。北京の胡同、開発は一応止まっているようだが、改修などの名目で古い建物が建て替えられている姿を見ると、何とも言えない。

 

宿へ帰って時間までテレビを見た。チャンネルは沢山あるのだが、日曜日の午前中は大体ドラマの再放送が多い。しかもいくつものチャンネルで、いわゆる抗日ドラマをやっている。日本軍人役の俳優が変な日本語を使っているのがおかしい。これまでじっくり抗日ドラマを見ることなどなかったが、これは日本でいえば、水戸黄門や大岡越前などの時代劇に当たるのでは、と思ってしまう。何しろストーリーは安定しており、筋は大体は読める。別に中国人も日本憎しで見ている人は多くはないだろう。

 

昼にチェックアウトすると、外にはフードデリバリーのバイクが列をなしている。今や北京も食堂に行かない時代なのだろう。地下鉄に乗り、久しぶりに空港鉄道に乗り換えて行く。車内はかなり混んでいたが、外国人と中国人が席を譲り合って、座っている姿が微笑ましい。今年に私の茶旅もこれにて終了した。来年はどうなるのだろうか。

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