《雲南お茶散歩 2006》昆明、景洪(1)

《2006年2月 雲南お茶の旅》

前回2005年7月の台湾・香港・広東省お茶の旅から数ヶ月が過ぎていた。次回はどうしようか?毎年2回台湾・広東省を回ろうか、それともミャンマーに行こうか?そんなことを考えながら帰宅するため電車に乗っていた。

突然声を掛けられた。中国茶の専門家でサラリーマンとしても頑張っているHさんが前に立っていた。『次回はどこに旅行に行くんですか??』と聞かれて何気なく『雲南省にお茶の原木でも見に行きたいんですが、知り合いがいないと難しいでしょうね?』と答えた。きっと潜在意識下にはいつか行かなければいけない、という感覚はあったのだろう。

Hさんは『この間雲南省出身の中国人と知り合ったので紹介してあげましょう。』とさり気なく話してくれた。これは何かの縁かもしれない。最近の私の旅は大体何らかの縁で出来ている。急に行く気になってきてしまった。

Hさんのご紹介で早速雲南省出身のQさんと連絡を取り、会いに行く。彼は1986年に来日以来日本で大いに活躍し、最近プーアール茶を扱い始めた。以前は高給を取っていた彼が、『お客さんからの注文を受けて1つ1つお茶を封筒に詰めて郵送することに喜びを感じている』との言葉に感銘を受ける。

たった1度の出会いであるが話は尽きず、遅くまでお邪魔してしまった。雲南旅行のアレンジもご快諾頂いた。しかしその後なかなか休みが決まらず、お待たせしてしまった。ようやく2月に行くことになった。

1.上海
(1)上海まで
朝起きるとトリノオリンピックの開会式を放送していた。昔はオリンピックと言えば何をおいてもテレビにへばり付いていた私が、興味を失い始めたのはいつの頃だろうか?アテネの時もミャンマー旅行に出掛けていたりした。

今日は2月11日、忘れもしないあの札幌オリンピックのジャンプで日本勢が金銀銅独占を果たした記念の日である。何か因縁めいたものを感じる。そういえば聖火リレーを見たのも、札幌大会だ。当時住んでいた栃木にも聖火がやって来た。駅前で大勢の人に混ざって見た。

最近マラソン界では大会前に昆明で高地トレーニングをする選手が増えている。今回昆明に行くのも何だか因縁めいている。何でも因縁、因果などで説明してはいけない。単に思い出すだけなのだから??

今回のフライトは午後なので時間的な余裕がある。しかし日本では何があるか分からないので2時間前には成田に到着。全く順調である。が、成田エクスプレスはいつも満員であり、今日は立ち席の販売があった。何となく混んでいる雰囲気がある。

案の定、東方航空のカウンターは込み合っていた。出張や観光で上海に行く日本人も並んでいるが、やはり中国人が多い。久しぶりに上海語も聞こえてくる。ふと横を見ると荷物検査台の上の石油ヒーターを挟んで、検査員と上海人が睨み合っていた。どうやら燃料を入れる場所に何か入っていたため、搬入を拒否されているようだ。

上海人は日本語の出来る友人を交えて、一体何がいけないのかと言った感じで憤慨している。その人の子供達は何が行ったのか分からない様子で無邪気に遊び回っている。何となく昔日本人が海外で起こしていた小事件を見る思いである。これからは中国人が世界中でチャイニーズウエーを押し出していくのだろう。

いつも思うのは、出国手続きの混雑である。今回は荷物検査に長い列が出来ていたのに、出国審査は全く並んでいなかった。荷物検査が厳しくなったのか??冬で皆着ているものが多く、時間が掛かっている様だ。時間短縮の努力を空港は行っているのだろうか??外国人観光客を呼び込む政府活動はこういうところには及ばないのだろうか??

東方航空の機内も満員であった。やはり上海が世界の中心都市の1つとなった気がする。20年前我々が上海に留学した時、誰がこの状況を予想しただろうか??機内でも日本語のアナウンスがあり、日本の新聞も配られる。

しかし時刻表では午後4時到着となっているのに、4時近くになっても何のアナウンスも無い。どうなっているのだろうか??私は今日浦東から虹橋の空港に移動して7時の昆明行きに乗り継ぐことになっている。いつ着くかわからないでは困る。如何にも中国的。

(2)浦東から虹橋へ
4時40分に浦東に到着。最後まで延着の理由は分からない。イミグレの前は予想通り長蛇の列。それでも3年前に比べれば外国人のゲートが相当増えている。明らかに外国人と分かる人も多いが、中国人と思われる人々も並んでいる。間違っているのかと思うと、パスポートが日本である。既に日本に帰化した人も相当数いるということか。

イミグレのスピードは格段に速くなっており、心配を他所に10分程度で通過した。外に出ると虹橋行きシャトルバスもあるようだったが、土曜日の夕方と言うこともあり、大事を取ってタクシーに乗る。昆明行きのフライトの2時間前である。

タクシー乗り場も長蛇の列であったが、ここも整然と並んでいる。中国人の出迎えを受けて一緒に並ぶ日本人も多い。事業は上手く行っているのだろうか??タクシーに乗ると運転手は40分で着くと言う。何だか拍子抜けするほど便利になっている。3年ぶりの上海、私の時間は明らかに止まっていた。

浦東空港を出ると直ぐに空港2期工事の現場が見える。浦東はどんどん大きくなる。上海の繁栄が見えるようである。高速に乗って快適に走る。空港が出来た頃は畑であった場所に高層のマンションが出来ていたりする。立派な橋を渡り浦西に入り、ここでも高速に乗り、スムーズに虹橋空港へ。確かに40分で着いてしまった。しかしタクシー代は150元。便利には費用が掛かる。

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空港では時間が余る。そこで先ずは両替をしたいと思ったが、何とこの空港には両替所も銀行も無かった。ATMがひっそり置かれているだけ。昔の国際線が発着していたイメージからは程遠い。ターミナルはきれいになっており、落ち着いた雰囲気で人がごった返すかつての面影は無い。

荷物検査を通り、今度は携帯電話の充電を行う。この携帯、実は家内が香港で使用していたもの。日本の携帯は殆ど海外では使えないが、この携帯はチップを換えれば中国でも香港でも使える。そして面白いのが、各携帯に合わせた充電器を備えた機械があるのである。これは便利と1元を入れたが、一向に充電できない。どうやら香港の携帯は壊れていたようだ。

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仕方なくビジネスセンターに行き、インターネットでメールを確認。今回はわざわざ新しいPCを買ったにも拘らず、結局面倒で持って来なかった。携帯も使えないとなるとかなり面倒なことになった。

2.昆明へ
(1)昆明まで
夜7時15分に東方航空は上海を飛び立った。しかしここで初めて分かったことがある。何とこの便は昆明直行ではなかった。確かに旅行社から日程表を貰った時に上海―昆明間のフライト時間が結構長いことが気になっていた。偏西風の関係だろうと高を括っていたのだが。

しかも経由地は聞いたことがない場所であった。宜昌。武漢と重慶の丁度中間に位置する。長江の三峡を下ってここで川幅が広くなる。ダムで有名。三国時代は劉備が関羽の仇を打とうと呉を攻め、逆に大敗する『夷陵の戦い』の舞台でも有り、日中戦争も武漢まで攻め込んだ日本軍がここを超えられなかった要所だ。

夜9時過ぎに宜昌空港に到着。ここで乗客の殆どが降りた。それを見送っていると何と我々昆明組みも下りるように言われる。何故??どうやら清掃のために全員を室外に出すようだ。タラップを降りる。殆ど飛行機も見えない。勿論ターミナルまで歩いて行く。

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ターミナルは立派である。最近出来た空港に違いない。空港の正式名称は『三峡宜昌空港』。まさに三峡を下ったお客をここから飛行機に乗せるらしい。それでは今降りて行った乗客は何をするのだろうか??確かにビジネスというよりは観光と思われる人々であった。トランプをやり、騒いでいるグループもあった。きっとここからバスで少し上流に行き、下って来てまたどこかへ行くのだろう。

中国の旅も慌しくなったものだ。便利になるということはそういうことである。中国中に飛行場が出来、溢れ返っている。兎に角何でもいいから飛行場を使って欲しいという要請と、各地方の観光収入増加策が相まって、かなり無理はスケジュールの団体旅行も組まれているらしい。

10時前に再び搭乗。我々が乗り込んだ後、新規組みが乗り込む。彼らは自由席だ。混乱しながら席を探す。また満員になる。中国で飛行機に乗って感じることの1つは、一体どこから出てくるのか、大勢乗り込んでくることである。特に地方都市では最後は大体満員になることである。チケットの按配はどうなっているのであろうか??かなり複雑なはずであるが、最終的に席が無いといった混乱はない。不思議である。

(2)昆明1日目
23時45分、定刻に昆明に到着した。前の空港とは異なり、沢山の飛行機が停まっている。ターミナルに向かうバスは飛行機を避ける為、大回りする。19年ぶりの昆明空港は勿論綺麗になっていた。

1987年1月当時留学していた上海の大学の留学生旅行で昆明を訪れた。上海―昆明間は66時間を掛けて列車で移動した。そして当時秘境と言われていた西双版納に向かうためにこの空港から、旧ソ連製のアントノフという凄まじいプロペラ機に搭乗したのである。その時の空港は正直言ってバラック小屋のようで、飛行機の乗るのに滑走路の脇を歩いた。そしてアントノフを見て、搭乗するのに尻込みしたものである。

今の空港は綺麗な国際空港である。香港、タイ、更にはミャンマーなどとも結んでいる。関空からの直行便もある。手荷物しかない私は一番に出口を出た。出迎えの人を探したが、見当たらない。今回はQさんのアレンジで、彼の妹さんご夫妻にお世話になることになっている。ふと横を見ると向こうから紙を持ってやって来る人がいる。紙を見ると私の名前がある。Qさんの妹さんの旦那さんFさんであった。

実はFさん達にとって今回の私の訪問は迷惑であったはずである。何故なら旧正月休みにQさんのお父さんの故郷山西省に皆で行っており、何と帰ってきたのが今日だったのである。しかも山西から列車の旅である。48時間、丸二日を列車で過ごし、昼に自宅に戻る。そしてこの夜中の12時に空港に出迎えに来てくれたのである。もう申し訳ないのを通り越して、恐縮してしまう。

空港からタクシーに乗り、予約して貰っていたホテルへ。金龍飯店は空港から15分ぐらいと近く、直ぐにチェックインできた。そして3人で部屋に上がり、明日からの予定を立てた。

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彼らは西双版納と大理、麗江などの観光地を候補として用意してくれていた。普通の日本人ならここまで迷惑を掛けていれば、素直にこの案に従ったであろう。しかし私はこの部分では既に日本人の思考を持っていない。

雲南の茶の木を見たい、プーアール茶の製造工程を見たい、というと旦那のFさんは疲れていたはずだが、目を輝かせた。そして午前1時、案が纏まり明日アレンジしてくることになった。さて、どうなるのだろうか??長い一日は既に翌日になっていた。

 

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