沖縄を旅する2019(4)沖縄茶の歴史を報告する

7月6日(土)
報告会

翌朝は朝方に雨が止んだ。まずは県立図書館で再度調べものをして、それから先日休館だった那覇市博物館に行ってみた。土曜日ということか、見学者はそこそこいた。受付で荷物をコインロッカーに預けられると教えてくれた。今日は報告会のため、荷物が多いので助かる。那覇の歴史変遷などが展示されているが、勿論お茶に直接関わるような歴史は展示されていない。ついでに例えば沖縄と福井の繋がりを示すものなども探したが出てこない。一部尚家の展示の部分で、興味深い内容があったが、全体的には私が知りたいこととはマッチしていなかった。

 

一応早めに昼ご飯を食べようと思い、図書館近くでステーキを食べた。最近は話しの直前にはあまり食べられないのだが、やはり2時間も話すとかなり疲労するので、出来るだけ事前に多く食べるようにしている。そこからバスターミナルに向かう。南風原方面に行くバスはいくつも出ており、よくわからなかったが、係の人が検索して教えてくれた。

 

12時半にバスに乗り込む。もし乗り間違えたりしたら、遅刻になってしまう。そんな感じのバスの本数なのだ。沖縄には電車がないのでバスが発達しているとは聞いているが、初めて乗ると緊張してしまう。何とか指定されたバス停で降りようと、Google片手に眠りもせずにジッとしていた。乗客はそれなりに乗り降りがある。料金はどんどん変わるので、小銭の用意が大変だ。

 

バス停に着くと、少し雨が降っていたが、迎えの人が来てくれて、車で会場まで向かった。南風原公民館、図書館も併設された、立派な施設だった。今日は土曜日のせいか、いくつかのセミナー会場として使われていた。2階の会場に行くと、靴を脱いで入る洋室?よく分からないがこれまた立派なお部屋だった。

 

そして様々な方が準備をしてくれ、30名近くの方が聞きに来てくれた。これは代表して、今回の仕掛人Uさんにお礼を言わなければならない。私としては、昨年色々と勉強させて頂いたので、ご興味のある方に簡単にご報告するつもりでいたのだが、まさかこのような大きな会になっているとは思いもよらなかった。

 

お話しの内容は、球磨茶を訪ねて熊本県人吉に行ったこと、ちんすこうの故郷を訪ねて福建省福清に行ったこと、さんぴん茶の由来、中でも台湾の包種茶が使われていたことなど、最後にブクブクー茶とバタバタ茶、ぼてぼて茶に関連することを一気に述べてみた。皆さん、恐らくはかなり混乱されたことだろう。『そんな話、今まで聞いたことない』という声が聞こえてきそうだが、私の旅の成果としては、そのようになっているのだ。

 

後は地元の皆さんが、皆さんの歴史を検証して、フィードバックしていて頂けると、有難い。セミナー後、さんぴん茶などを飲む懇親会でも数人の方から、更に有益な情報を頂いた。『昔おばあちゃんから聞いた話なんですけど』などというのは、一見理屈もないように見えるが、意外と真実を突いていることがある。

 

全てが終わり、外に出るとなんと晴れていた。これは今日のセミナー、それなりに上手く行ったという証だろうか。また車でバス停まで送ってもらい、バスに乗って那覇に戻った。折角雨が降っていないので、またお散歩に出た。とまりん付近の若狭町を歩き、気が付くと久米のあたりに出ていた。そこには何と孔子廟まであった。これは新しいものではあったが、横には福州園という名前の場所まであった。既に門は閉められており見学は出来なかったが、中国、特に福建省との繋がりについては、さらに調べを進めるべき課題である。

 

夕飯は昨日食べたいと思って食堂は閉まっていた、なかみー汁を食べに行った。この内臓の入った汁、何とも言えず美味く、好物になっているが、なかなかありつけない。この食堂も働いていたのはバングラあたりから来た青年だったが、一生懸命対応してくれて好感が持てる。安い料金で食事を提供してくれる中で、彼らの存在も大きいのだろうと思う。

 

この畳部屋で寝るのも今日が最後となった。住めば都という感じで少し愛着が出てきた。今日は週末なので、さすがにすべての部屋に人がいるようだ。それでもトイレなどではかち合わず、結局どんな人が泊まっているかも知らずに終わった。ウインブルドンテニス、錦織の順調な試合運びを見て、明日に備えた。夜半からまた雨の音がする。

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