ハノイで飲む濃い目のお茶2012(3)エンバイ 樹齢500年の茶樹

凄い夕飯

夕飯を食べに行く。どこへ行くのだろうか、ズンさんも運転手さんもこの街に詳しいとは聞いていないが、何となく確信を持って道を進んでいる。街の端から端に行ったあたりで車が停まる。そこには、この辺にしては相当綺麗なレストランが出現した。しかも何となく中国風。西北飯店との漢字名すらある。

中は広い。母屋に進むと、何と1階には茶道具が揃っており、席が空くまでそこで茶を飲んでいる人々が。その奥の中にはおしゃれな個室も。一体どんな人が経営しているのか。「実は私の東ドイツ時代の友人が経営しています」、そう運転手さんが話し始めた時、一瞬何の話か分からなかった。そうか、この国は80年代にドイモイ政策があり、チャンスのある人は海外に出ていた。アメリカや日本、そして元宗主国のフランスに行った人のことばかり考えていたが、実は当時社会主義国の東ヨーロッパにも多くのベトナム人が働きに行っていたのだ。

そして2階に上がり食事をする。大部屋には大勢のベトナム人が家族や仲間で食事をしていた。既に豊かになった人達がそこにいた。中国経済の恩恵もあるらしい。皆楽しそうだ。ビールも進む。

焼きナマズが出て来た。思いの外、美味。ベトナムでは雷魚を食べると聞くがナマズも美味い。山羊の肉も出て来た。こちらも柔らかくて美味い。赤飯も登場。ごま塩を掛けると涙が出るほど美味い。スープも美味い。何でも美味い。知らず知らずの内、物凄い量のご飯を食べていた。腹がきつくて、苦しかった。

3月19日(月)  朝

翌朝は前夜の食べ過ぎの影響か、あまりよく眠れずにグズグズする。これではいけないと起き上がり、散歩に出る。ホテルの周りを一周するつもりが、池の周りを一周へ。ところが道が無くなり、引き返す。ハノイまで177㎞との表示あり。そんな距離なんだ。

昨晩かなりの雨が降っていた。実はホテルの庭で朝食が食べられると楽しみにしていた。とても残念。室内の味気ない部屋で、フォーをすする。フォーはやはり屋台で食べる物だと思う。一時雨音が大きくなり心配したが、その後止む。

そしてホテルをチェックアウトして、西へ向かう。今日はどこへ行くのか。どうもシャンチュエット、と言う名前の茶産地へ行くらしい。途中の道には、薄い木の皮のような物が沢山干されていた。何とそれは将棋盤の材料だという。ここのプラタナス?を使い、将棋盤が出来る、日本にも輸出されている、と聞くと、俄かに興味を持ち、車を降りる。そこには農作業に出るおばさんがこちらを向き、不思議そうに私を見る。

向かい側から音がする。行ってみると、そこは学校。小学校1年生か、と思う幼い子達が、先生の音頭に合わせて運動していた。こんな小学校、のどかでいいな。写真を撮っていいかと身振りで示すと問題ないとの反応。ちょうど子供たちの頭の上に茶畑が広がる。良い風景だ。

紅茶畑

更に走ると集落が見えてきた。と同時に茶畑も見えてきた。道路の両脇の斜面に植えられている。かなりきれいに整備された畑だ。これは機械で摘む紅茶畑かと思っていると、上の方でおじさんと若者が二人一組で獅子舞のように?機械を動かしていた。やはり機械摘みだ。それにしてもオジサンが若者を叱っている。親子かもしれない。

ベトナムの紅茶生産は、旧ソ連への供出品として生産が始まったと言われている。ベトナム人自体は紅茶を飲む習慣はなかった。フランスの植民地時代に一部飲まれたかもしれないが、むしろコーヒーの方が名高い。ロシアは伝統的に紅茶を飲むが自国では茶葉が取れない。どうしても他国へ依存している。

共産国家に対してソ連は様々な経済援助を行ってきたが、その見返りも要求している。ベトナムに対しては紅茶が一つの要求品目になった。実は60年代初めまでは中国からも紅茶を輸入していた。同じ理由である。中ソ蜜月が断交に変わり、茶葉輸出も途切れたようだ。

またロシアンティーは基本的にジャムなどを入れて甘くして飲むため、紅茶の品質を追求することはあまりなかった。ベトナムの紅茶の質もそれほど高い物が要求されることはなく、そのまま数十年来た。ところが最近、この10年ほど、台湾が紅茶を求めてベトナムへやって来た。エンバイ市のあたりでも大規模な紅茶工場が台湾資本で作られ、近隣の農家から茶葉を買い取って加工している。道沿いになった1軒の工場を訪ねたが、生憎台湾人オーナーが不在で話は聞けなかった。ただ、恐らくは今見ていた茶畑の茶葉もこの工場へ運び込まれるのだろう。何となく不思議な気もするがこれが現実だ。

山の上の老茶樹

更に進むと車は山道をどんどん上る。山の上に茶畑が見えてきた。シャンチュエットに着いたようだ。だがズンさんにも当てがある訳ではなく、村に突撃し、1軒のお店に入り込む。そこにはこの辺の山で採れた奇岩というべき石が加工され、椅子やテーブル、工芸品として売られていた。何でこの店に入ったのか。

オーナーがやって来た。この付近の村はモン族が中心だが、彼はベトナムの主流、キン族。奥さんは他の少数民族の出身とか。20年前からこの村に住み、20歳の時からお茶作りをしているとのこと。最初は普通の緑茶を作っていたが、最近では中国に研究にも行き、高級緑茶を作っている。飲ませてもらうと、ベトナムの濃い緑茶ではなく、すっきりした感じのお茶に仕上がっている。ちゃんと冷蔵庫に仕舞ってもいる。この辺は中国での研究成果か。

茶器も中国から急須を買い込み、本格的に淹れている。ベトナムではローカルの安い茶器を使うのが一般的だから、この山の中では驚く。どうやら石のビジネスは上手くいっており、その資金をお茶に使えるようだ。因みに弟さんも石の事業を別途やっており、店は近所にあった。少数民族の人々は貴重な石があることが分かっても、それを如何に加工し、如何に売るか、そこには慣れていない。彼らはそこを繋いで、いいビジネスをしている。

この家の子供達が珍しそうに覗きこんでくる。近所の子供達も実に素直で可愛らしい。この付近では余所から来た人は珍しいのだろう。ましてや外国人となると滅多に来ないだろう。坂を少し上がると村の学校があった。3月のこの時期、山の上はかなり寒い。民族衣装の上からダウンジャケットを来ている子がいて少し驚く。学校は活気がある。学校に行く喜びがある。日本とは根本的に違う。

そして村にある500年の老茶樹を見せてもらう。ある家の前に数本の幹の太い茶の木が植えられている。きちんとプレートが嵌っていたから、ベトナム政府も認定なのだろう。現在は茶葉を摘むことはなく、茶を作ることもないが、作ったとしても美味しいとは思われない。それでもこのような木が、このような山の上の残されていることに重みがある。恐らくはこの木と同等、または更に古い木がベトナムのどこかにあることだろう。今度はそれを求めてもっと奥地に分け入りたい。

 

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