ハノイで飲む濃い目のお茶2012(2)タイグエン タングン茶はエスプレッソ

3月18日(日)   4. タイグエン

(1)    タイグエンへ   ホテル

翌朝、ズンさんがホテルに迎えに来てくれた。8年ぶりの再会である。先ずは昨晩のホテル騒動の後始末で、2日後に戻った際に、以前予約したホテルではなく、このホテルに泊まりたい旨を伝える。これには全く迷いが無い。

実は朝食も気持ちが良かった。ここも最上階を食堂としており、朝食をここで食べるのだが、何とも眺めが良い。小雨は降っていたが、それがまた風情を誘う。この辺りは旧市街地で、家々も密集しているが、皆細長いビルを建てており、隣もよく見える。面白い。朝食はビュッフェで質素。欧米人の旅行者も多く泊まっている。

またフロントの愛想は相変わらずよい。みんなニコニコしている。どうしてだろうか。昨晩のあのホテルは本当に愛想が悪かったから、ハノイ全部が愛想がよいわけではない。やはりこのホテルが優れているということか。

タングン

車で2時間ほど走る。日曜日であり、車はそう多くはない。平日の8時過ぎは相当のラッシュだそうだ。日曜日でラッキー。道路は市内は狭く、郊外は広いが所々ガタガタ。それでも、以前より大分道路事情はよくなっているらしい。

ハノイの北西約100㎞、タイグエン県タイグエン市、ここがベトナムで有名なお茶の産地だと聞く。ベトナムのお茶、というと、どうしてもハス茶、ロータスティが登場する。だがズンさんによれば、北ベトナム(ハノイなど)では、ハス茶を飲む人はあまりいない。飲むのはここタイグエンの濃い緑茶。その産地の中でも北ベトナム人が最も好むのが、タングンという村の緑茶ということで、先ずはその村へ行って見る。ズンさんにあてがあるわけではなく、突撃するだけだ。タイグエン市の郊外にあり、茶畑が広がる。その茶畑の中に、お墓がある所など、如何にもベトナムらしい。

道沿いにあった1軒のお茶屋に入る。ここは40年前からお茶造りをしている夫婦がお茶を販売していた。奥には焙煎機も置かれ、ここで茶作りが行われている。いきなり出て来たお茶を飲むと、かなり苦い。それ程濃いお茶だということ。何故こんな濃いお茶が好まれるのかは分からないという。実は後で台湾人及び潮州人の茶商に聞いた所、恐らくは100-200年前に福建南部、潮州などから工夫茶を持ってハノイに行った者がいたのだろうということ。確かに工夫茶はかなり小さなカップに濃いお茶を淹れて飲む。まるでエスプレッソだ。茶樹は10-20年が良く、数年前にも新しい茶樹を植えたという。輸出は殆どなく、国内需要を賄っている。

帰りに昨年11月に開かれたベトナム初の国際お茶博覧会の会場を見に行った。立派な建物が目に入ったが、残念ながら人はおらず、見学すらできなかった。これも一つの箱モノ行政であろうか。ベトナムのお茶事業はまだまだこれからだ。

韓国留学を熱望する娘

お昼はタイグエン市に戻り、ズンさんのお知り合いと一緒に取る。彼は学生時代の友人だそうだが、今はこの街の鉄鋼関係の会社で働いている。このタイグエン市には昔ソ連の援助で出来た鉄鋼工場などがあり、実は意外と重要な街となっている。彼は車に乗っており、高級そうなレストランに案内される。勿論友人の来訪を最大限歓迎しているようで、酒まで持ち込んできた。何となく中国的。個室に入り、3人で食事。料理はかなり美味い。

話が韓流ブームに及ぶと彼は突然「実は娘が韓国に留学したいと言って聞かない。同じ留学するなら、英語圏のシンガポールにして欲しいのだが、韓流スターの影響で頑として聞かない。どうしよう」と言い出した。正直、ベトナムの地方にまで韓流は浸透し、若者が虜にされている。日本のことを聞いてみたが、「日本はバイトが出来るので親としては助かるが、それだけ」とつれない。ただ韓国も、「韓国語が出来ても就職先は韓国企業のみ。働き辛いと聞いているし、汎用性が無い」と厳しい。留学資金も今のベトナムの一般家庭にとっては大変な額だというし、ある種の投資と考えると日本や韓国にはとても投資出来ない、と言われているようなもの。残念だがこれが現実。

レストランにはタイグエンの茶が売られていた。だが何故か日本酒も用意されていた。どうしてだろうか。またレストランを出ると、仏壇屋さんがあり、そこに日本の招き猫が置かれていた。仏壇に招き猫、この感性は理解できないが、これも商売か。

市内の博物館に寄り、ベトナムの少数民族の特性などを見る。モン族(ミャオ族)など、お茶に関係した民族も登場して、興味深かったが、説明はあまりなく、残念。ここでご友人とはお別れして、エンバイへ向かう。

5. エンバイ   延々エンバイへ

それから延々と車に乗る。延々と思うほど、山道を進み、時々平地を走る。地図ではグエンタイからエンバイまでは100㎞ちょっとに見えたが、地形が平地ではない。道もよくない。途中茶畑は結構あった。この辺り一帯、地形が傾斜していれば段々畑か茶畑を作るようだ。それ程に茶はポピュラー。小さな農家が1軒ずつ栽培しているらしい。何となくよい雰囲気。

セメント工場が見えた。石灰が取れる場所もあるらしく、かなり大掛かりな工場であった。特に産業も見いだせない地域だが、まだまだ発展はこれからか。今回のハノイの発展ぶりは十分実感できたが、それに比べて地方の遅れはかなり深刻。いや、地方は特にハノイになろうとはしていないのだろう。こんな場所でも土地の強制収用なども起こるのだろうか。ベトナムの中国的な部分は、実に中国的らしい。

午後2時頃タイグエンを出て、エンバイ市には行ったのは、暗くなる頃。延々5時間も走った。かなり疲れた。

ホテル

ホテルは湖沿いの大型。広い敷地、大きな玄関。面白いのが、部屋のドアノブ。何故か分からないが、下の方についている。非常に不便。恐らく何か秘密があるに違いないが、フロントの女性は英語出来ないし、ズンさんに聞いてもらっても知らないようだった。

部屋は比較的広く清潔。バスルームは無駄に広く、便器がポツン。如何にも昔の風、社会主義国ホテル。中国の昔を思い出してしまう。ソ連の援助で建てたのだろうか。外にはテニスコートがあり、ナイターでテニスする人も。

インターネットはロビーにPCが設置されており、メールチェックなどは出来る。今やベトナムの昔風のホテルでも最低限のサービスはある。というか、従業員も時々見ているようで、彼らの福利厚生のためにあるのかもしれない。




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