茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(6)本当の茶旅が始まる?

3月23日(土)
本当の茶旅が始まる?

ついに茶旅行最終日。今日ご一行は成都から成田へ帰る。そのフライトは午後なので、朝は雅安の博物館を訪れる。あまり期待はしていなかったが、ここには文成公主から始まる茶関連の歴史がかなり展示されており、旅の纏めてしては一見の価値はあった。今回はお茶の歴史に殆ど踏み込んでおらず、不完全燃焼だったので有り難い。

 

更には茶馬古道や蔵茶の歴史に関する本も何冊か売っており、既にパンパンのカバンにも拘らず、また買い込んでしまう。私が昨年北京で買った四川茶に関する本は、ここの元館長が作者だったらしい。だからここの展示が比較的詳細なのだと理解した。清代の大商人の歴史など、もう少し突っ込んで知りたいところだ。

 

高速道路をひた走り、2時間ほどで成都まで戻ってきたが、街中で渋滞に遭う。本当は空港近くで軽くお昼を食べるはずだったが、折角だから老舗の陳麻婆豆腐で、本場の辛い物を食べる事に切り替わっていた。渋滞でロスして時間があまりない。取り敢えず店に入り、席には着いたものの、ちょうどイベントなどと重なり、思ったようなスピードで料理は出て来ず、全部出てこないうちに時間切れ。八宝茶の切れのあるパフォーマンスが見られただけでも良しとするか。実はガイドは前日店側に昼のメニューを連絡していたが、厨房には伝わっておらず、残念な結果に終わる。

 

渋滞は続いたが、何とか出発1時間半前に空港に到着。空港に着くまで、ガイドは一人ずつの名前を呼び、その思い出を語っている。私は鉈先生との漫才コンビの相方、として記憶されている。そして最後に『今日の日よ、さようなら、また会う日まで』と歌った。日本語ガイドの需要は本当に少なく、また次回彼女に会えるのか、ちょっと心配だ。

 

皆さんはチェックインカウンターに並ぶ。北京に帰るフライトがキャンセルとなり、夜便を取り直したMさんと私はそこでお別れし、街に戻ることにした。私はホテルを予約しており、Mさんの検索により地下鉄が早そうだというので、空港から初めて地下鉄に乗る。今や中国の地下鉄はどこもきれいだ。1度乗り換えたが、意外と近い。そこは最近泊まり歩いているチェーン店だが、部屋は広く快適そうだった。

 

それから魏さんに紹介されたお茶屋さんに出向く。ホテルから近道(地下道?)を行けば歩いて10分もかからない。そこは小さなお茶屋さんだったが、オーナーの陳さんは何と福建人で雑誌の編集などもやっており、自らも茶産地に出向いて、取材を重ねている人だった。現場を踏んだ彼の話には説得力があり、とても参考になる。因みにお茶屋の方は奥さんに任せて、本人は年に数か月は中国各地を飛び回っているのだという。茶旅の先達だ。

 

陳さんが鉄観音茶の歴史を話しながら、工夫茶のセットで古い鉄観音茶を淹れてくれた。それをじっと見つめていたMさんは『この人のお茶の淹れ方、なんて丁寧なんだろうか』と感心している。後で彼の経歴を見て頷くMさん。陳さんは国家級高級茶芸師でもあった。お茶を丁寧に淹れる、とても新鮮な言葉だった。私の最近の興味は歴史だけなので、人の口元は見ても手元を見ることはない。

 

陳さんと色々と話していると突然、『実は明日彭州へ行く予定だが、良かったら一緒に行かないか』という喜ばしいお誘いがあった。明日はもう一軒お茶屋を訪ねるつもりだったが、そこは次回にお願いして、すぐに同行することにした。何しろ彭州は約2000年前から茶があったという記載がある場所だと記憶しており、四川茶の歴史上では重要な場所だと思ったからだ。それを聞いたMさんも迷いに迷った末、何と先ほど取り直した今晩のフライトをまたキャンセルして、明日一緒に行くことになった。これぞ茶旅だろう。

 

明日の再会を約して店を出た。ホテルに戻り、突然泊まることになったMさんもチェックインする。まあこれまでいくつか泊まったが、成都のここが一番広々としており、何だか寛げる。料金はそれなりだが、余計なことを考えなくてよい。おまけにゴールド会員に昇格したらしい。何かいいこと、あるのだろうか。

 

夕飯は近所に食べに行った。フロントでは『道を渡れば色々あるよ』と教えられたが、そんなに色々な選択肢はなかった。食堂に入ると、一皿が大きいので二人では食べ切れないように思う。これまで食べ過ぎなので、抑えたかったが、出てくるとまた食べてしまうのは、何とも悲しい。胃袋が大きくなっていた。

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