島根横断茶旅2019(1)米子から安来へ

《島根茶旅2019》  2019年3月8日‐11日

島根県、そこは東京からもっとも遠く感じられる日本の県かもしれない。5年前にぼてぼて茶に興味を持ち、すぐにでも行こうと思ったし、2年前には知り合いのUさんは島根に移住して茶作りを始めたので、ぜひ来て、とも言われていた。しかしいざとなると、なかなか一歩が踏み出せずにいた。

 

ちょうど予定していた勉強会が、会場の都合で延期となった。実は私は今回の説明資料を作りあぐねており、この延期を心から歓迎していた。そしてぽっかり空いた数日間、これを島根行きの当てることにして、Uさんに連絡したところ、折角だから、島根を端から端まで楽しもうという話になり、渡りに船と出掛けていく。

 

3月8日(金)
米子から松江へ

今回の島根行きに際しては、Uさんより、『パッケージツアーを使うと安い』と言われてちょっと驚く。送られてきた内容を見ると、ANAの往復航空券(いくつかの空港から選択し、行き帰り別空港可)+ホテル1泊が付いており、他にも特典がいくつかあった。観光客を呼びたい島根とのタイアップ商品かもしれない。

 

行きは出雲空港から入ろうとしたところ、何とANAは飛んでおらず、米子空港となる。またいい時間のフライトには割増料金が掛かり、どこまでお得だったのかは判断が難しいが、この商品のお陰であまり悩まずに日程が決められたのは良かった。尚いつも思うことだが、ネットで購入したツアーのチケットなどが郵送されて来るのには本当に違和感がある。

 

早朝羽田空港に向かう。国内線は乗る機会が少ないので、いつも駅ホームの前で降りるか後ろで降りるかが覚えられずに困る。国内線はWebチェックインすれば、そのまま搭乗ゲートまで行けるので、荷物も預けずにスタスタと進む。正直、誰が乗っているか分からないフライト、ちょっと怖いけどね。

 

飛行機に乗る前にツアー特典を1つ使う。1000円分の買い物券があるので、それでお土産のお菓子を買う。足りない税金分80円を現金で払うと、マイレージを溜めましょう、と言われ、カードの提示を求められる。80円でマイルがたまるのだろうか??もし貯まらないのなら、こういうマニュアル的な無駄は排除して欲しいものだ。

 

フライトは順調で、1時間半ほどで米子空港に着いた。バッゲージクレームでは目玉おやじに歓迎されるなど、空港内は鬼太郎一色になっている。出口をUさんの姿はない。何とUさんの住む場所から、この空港まで車で4時間以上かかり、その予想外の遠さで少し遅れたという。それは本当に申し訳なかった。でも車がないと、何もできないのも事実。せめてANAも出雲行きを飛ばしてくれていればと思う。米子は鳥取県の端なのだ。

 

Uさんと落ち合って、最初に行ったのは境港のおさかなセンター。ここでお昼を食べようという。それにしてもいい天気だった。海も輝いており、向こうに大山がくっきりと見える。釣りをしているおじさんたちも何となく楽しそうに見えるのはやはり天気のせいだろう。

 

展望台のようなものが建っているが、登っている人はあまりいない。鳥取紅茶などが並んでいるお土産物店も開店休業状態だ。如何にも箱物行政の産物だ。ランチに魚を食べて、ちょっと市場を覗く。大きな蟹や魚がゴロゴロ。あまり見かけない魚もいるのは、やはり日本海側だからだろうか。

 

それから境港の鬼太郎ロードでも歩いて観光するのかと思いきや、突然の茶旅が始まり驚いた。さすがUさん、只者ではない。車はドジョウすくいで有名な安来町に向かった。30分ぐらい走るとちょっとした山の中へ入る。そこに古い工場が見える。茶工場だった。既に閉鎖しているのか看板もない。事務所に恐る恐る入っていくと、話しを聞くことが出来た。

 

この辺りでは昔から茶を作っており、戦後の好景気には製茶組合が出来て、共同工場としてここが作られた。だが茶葉需要は落ちていき、組合は解散。今は一部の人がここを使って、番茶などを細々と作っているという。工場は大きく、かなりの生産量があったことを窺わせる。安来番茶は、今でも周辺地域では飲まれているが、全国的には知られていない。因みにぼてぼて茶の原料はここの番茶ではなく、安来にはそもそもぼてぼて茶を飲む習慣もないとのこと。

 

茶畑の残っている場所を聞き、見に行く。突然立派な鳥居が見える。登っていくと、平安時代に京都岩清水八幡宮の別宮だったと書かれており、由緒正しい。それにしても、その時代にここに建てられた八幡宮、何か特別な意味があるようにも思う。更に進んでいくと、道路脇に茶畑が僅かに残っていた。防霜ファンも装備され、きれいな畑だった。

 

それから同じ安来市内の、母里という場所に移動した。そこに民俗資料館があるとのことだったが、閉まっていた。周囲を見ると立派な図書館があり、中には当地の民藝品などの展示室があった。更には地元の歴史本を見ていると、昭和初期にぼてぼて茶について纏めた資料が見つかり、コピーをお願いした。因みに母里と言えば、黒田官兵衛の部下に母里太兵がいたのを思い出すが、何か関係があるのだろうか。

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