天津・大連・北京周遊茶旅2018(7)ロシア街、南山、甘井子を回る

12月21日(金)
ロシア街、南山、甘井子を回る

今朝もまた歩き出した。大連駅の前を通ると、天津などへ出航する船のチケットを売っている。どうせなら天津から船で来ればよかった、などと飛んでもないことを思ってしまう。煙台という地名もあった。32年前、大連から船に乗って煙台に着いたことを思い出す。午前3時に着いてしまい、駅で野宿?した記憶がある。何とも懐かしい。

 

今日は駅の北側、ロシア街へ向かう。10分ほど歩くと、線路を跨ぐ橋がある。旧日本橋、現在の勝利橋だ。そこを越えると、ロシアが100年以上前に建てた船会社の建物がきれいに残っていた。今は美術館らしい。それをシンボルとして、ロシア風情街がスタートする。日露戦争以前、ロシアがここに来て東清鉄道を敷設する。大連の由来はダーリニー(遠い)というロシア語らしい。ロシア正教会のような建物も見える。

 

更に歩いて行くと趣が変わる。現在の上海路付近、こちらは日露戦争後の日本人街だった場所。当時のロシアと日本の国力はどうだったのだろうか。上海の日本租界でも思ったのだが、石造りの建物は100年を越えても立派だな。木造の家があったとしても、100年はもたないようだ。

 

そこから路面電車に乗りたくてフラフラ歩いてみたが、何と人民路まで歩いてしまった。出張の時に泊まったシャングリラなど高級ホテルがあり、さすがに今や立派な道になっている。その先には友誼賓館など懐かしい建物も見え、フェリーターミナルの方向へ。ただここで何を思ったのか、南山の方へ行きたくなり、バスに乗る。

 

南山路辺りを歩いてみると、かなり整備されているが、昔の建物が残っている。ここは32年前に泊まったところだが、あの南山賓館は見付からない。日本時代大連で名を成した台湾人医師、孟天成の旧居などを見る。この時代、特に日本に留学した台湾人は、台湾に帰っても日本人と同等の待遇が得られなかったので、満州に渡る者が多かったらしい。彼らについては実に興味深いがその真相はあまり明らかではない。

 

一度ホテルに戻ろうとバスに乗ったが、地図を見ているとある日本料理屋の名前が見えたので急いで下りた。大名、という名は、10年前によく行った場所だった。歩いて行くと、立派な店構えがあった。午後1時頃だったが、店内は満員のお客さん。ランチの立派な定食が55元で食べられるので、思わず席に着く。以前は日本人が経営していたが、今はどうだろうか。何とも懐かしいランチとなる。

 

大名の道を歩いて行くと、昨日の魯迅路に出てくる。この付近には満鉄関連の社宅があり、すぐ近くに本社、その横には満鉄陳列館があった。その向かい側に昨日の図書館もある。陳列館に入ろうかと思ったが、閉まっているようだったので、外から見て退散する。満鉄ファン、鉄道ファンがやって来るのだろうか。

 

かなり疲れたので、そこからバスを探してホテルに戻った。部屋で休息しようと思っていたが、なぜかホテルの前まで来て、横のバス停が目に入り、ちょうど来たバスに乗ってしまった。何故だろうか。甘井子、バスで30分以上かかる遠い所だったが、ここにも日本人街があったと聞いており、行って見たくなったのだ。

 

取り敢えずバスの終点で降りてその辺を歩いてみたが、ただの中国の田舎町だった。きっと坂の上に古い家があったのだろうと歩いて行くと、やはり一部戸建ての家が残っていた。今は数世帯が同居しているように見え、庭には野菜などを植えている。更に街から緩い上り坂を20分以上歩いて行くと、そこには日本時代の建物がきれいに残っている。一体なぜこんな甘井子の街からも離れたこんなところに家があるのだろうか。日本人は一体ここで何をしていたのだろう。

 

そのヒントは付近にあった中国石油の大工場。恐らくはこのエリアに石油や石炭などエネルギー関連の施設があり、多くの日本人が働きに来ていたのではないか、と想像する。このエリアは現在でも工場があるだけで開発から取り残されている。帰りはさすがにバスに乗り、甘井子の街まで出て、さらにバスを乗り継いでホテルへ帰った。なんだか不思議なタイムスリップだった。

 

バスは行きとは違うルートを通っていた。そして少し渋滞に嵌りながら、市内を目指す。大連駅前は通らずに隣駅付近に来たのでそこで降りた。バスに乗っていたのはいつの間にか私と母子だけになっていた。母親と小学生低学年の息子も一緒に降りたのだが、母親が息子に丁寧に話しかけ、寒い中、肩を寄せ合いながら歩いている姿に、突然軽い感動を覚えた。何故だろうか。

 

夕飯は何にしようか。まだランチの豪華定食の余韻(刺身が踊り、てんぷらが舞う)が腹の中にあり、どうにも食べる気が起こらない。ちょうどの目の前にパン屋(フランス風だが韓国資本)があり、そこに入って、パンを買い、持ち帰って部屋で食べた。ある程度調整しないと、中国では本当に体調不良になるまで食べてしまう傾向があり、怖い。

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