天津・大連・北京周遊茶旅2018(4)広東会館から河沿いを行く

12月18日(火)
今日も天津を歩く

翌日は、午前中人民大会堂で行われた改革開放40周年式典をテレビで見ていた。科学者、文学者、政治家、技術者から、金メダリストなどスポーツ選手、アリババのジャックマーのような企業経営者まで、まあ、実に様々な功労者が紹介され、表彰されていた。確かに鄧小平が行った改革開放により、これまで人類史上稀にみる発展を遂げた中国、それを誇る気持ちはよくわかる。こういうパフォーマスンは意外と大事なのかもしれない。これまでの高速発展から安定的な発展へ、果たしてうまく舵を切ってくれるのだろうか。中国の動向は我々にも大きく影響してくる。

 

昼前に外へ出た。一昨日ちょっと目に入った広東会館に行って見たくて検索すると近くのバス停からバスが出ていると分かる。だがそこへ行くとなぜかその番号のバスはなく、仕方なくタクシーに乗る。そして鼓楼が見えたので、そこで降りて歩く。平日の昼間、人は殆どいない。

 

真っすぐ行くとそこに鼓楼があった。ただ昼の12時からは係員のランチ休憩で登ることは出来なかった。その横に目指す広東会館があった。ここも休みかと思ったら、寒さのためチケット売り場の窓口を固く締めているだけだった。窓を叩くと中のおばさんに突然『65歳以上なら、早く身分証出してよ、割引だから』と言われたので、本当に驚いた。自慢ではないが、最近実年齢より若く見られることが多いので、まさか65歳以上と思われるとは予想外だった。帽子を取って顔を見せると、おばさんも笑っている。

 

広東会館というのだから、その昔は港町の広東商人などが集う場所だったはずだ。ところが建物に入って見てびっくり。そこは立派な劇場で、ちょうど相声という漫才が行われており、大勢の観客が笑い転げて、熱気で溢れていた。周囲には京劇の人形などもあり、時間によっては京劇が上演されていることも分かる。僅か入場料10元で、このタイムスリップ感とコスパの良さ、すごい。

 

1907年に建てられたこの会館。広東人で中華民国初代総理の唐紹儀が中心となり建設された由緒ある建物で、その一部がほぼ完全な姿を残している。かつては300室もの部屋を備え、多くの広東人が集まって来たという。また梅蘭芳など有名な役者がこの舞台に立ったとある。今はこの舞台のある建物を中心一部が残されているということだろう。

 

広東会館を後にする。台湾の王さんが言っていた、河沿いを歩いて行くと勧業場に着く、という言葉に従い、海河沿いを歩いてみる。天気は良いのだが、風はかなりあり、ちょっと寒い。河の向こう側にはいくつもの洋館が立ち並び、往時の繁栄を忍ばせる。王さんもこの景色を見ながら歩いたのだろうか。橋を途中まで渡ったが、前回も歩いたので、今回は断念する。

 

更に歩いて行くと、おしゃれなストリートの中に勧業場の尖った建物が見えてくる。ここまで約30分、王さんの言っていた通りだった。多倫道付近を歩いてみると多くの小さな日本料理屋がある。本当に天津は日本料理ブームなんだな。それも若者向けで可愛らしい。この付近、昨日も一昨日も歩いたが、何となく落ち着く。やはり日本租界だからだろうか。

 

今日は最後に、紹介されたお茶屋さん?お茶教室?にお邪魔した。天津大好きというYさんが通う店だった。お店はマンションの一室なので、連絡を入れて店員に迎えに来てもらい、何とか中に入る。店内はお茶と茶器に囲まれた素敵な空間。店主の張さんとは初め中国語で話していたが、突然『日本語とどっちがいいですか?』と流ちょうな日本語で聞かれ、日本語になる。

 

張さんは大学で日本語を専攻して、卒業後貿易関連の仕事をしているうちに、お茶に嵌ったらしい。これだけの日本語を話せれば、日本人の生徒も多いだろうと思ったが、天津には上海や北京ほどには、日本人はいないようだ。お茶の品ぞろえも実に豊富でよい。お茶を飲みながら1時間半ほど天津のお茶の歴史などを聞く。

 

帰りはちょっと歩いて地下鉄東南角駅へ行く。この付近には地下鉄駅がなく若干不便だ。バスも退勤ラッシュに掛かり、乗り難い。何とかホテルに帰り着くと薛さんから夕飯を食べようと誘われる。最後の晩餐だ。奥さんは風邪をひいてしまったようで、二人で近所のきれいな北京料理屋へ行く。

 

好きな物を頼め、と言われたので、炒腰花と木須肉をチョイス。この店の味付け、北京よりうまいのではないだろうか。具材も新鮮だ。ご飯ではなく、煎餅を頬張ると、余計に北京らしくなる。今晩は私が支払いをしようとスマホを取り出し頑張ったが、やはりスピードが遅く、薛さんに払われてしまう。本当に今回、薛さんにはお世話になった。有り難い。

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