天津・大連・北京周遊茶旅2018(3)五大道を行く

12月17日(月)
五大道を行く

今朝はかなりゆっくりと起きた。そして食べ過ぎの為、朝食を抜いた。9時頃には薛夫妻が来てくれた。今日は五大道に連れて行ってくれるという。ここの管理委員会の主任が薛夫人の同級生で会ってくれるらしい。天津の歴史の一端を知る上で重要な場所であり、訪ねてみた。

 

管理委員会の場所、そこは大きな競技場のように見えた。コロッセオとでもいうのだろうか。ここは1920年に建設が始まった総合運動場だった(2014年に全面改修が終了)。この運動場の建設には天津生まれのイギリス人、1924年のパリ五輪、400m走で世界新記録、金メダルのエリック・ヘンリー・リデルも関与していた。リデルはその後も天津に住み、日本軍により強制収容所に入れられ、そこで死亡したという。両親が宣教師で、義和団事件直後の天津で生まれたリデルの物語は実に興味深い。

 

この運動場を囲む建物の中には博物館があり、まずはそこを見学した。100年以上前の天津の生活、薬局やレストラン、カフェ、写真館や日本人が開いた床屋までが再現されており、展示されていた。往時如何に天津には海外から人々が集まり(後の米国大統領など著名人も多く含まれる)、暮らしていたのか、その様子がよくわかる。

hdrpl

 

見学が終わると、主任が登場。博物館に併設されたカフェ、キースリンでお茶を頂きながら、五大道の説明を聞く。主任にとってはこの地区を世界に知らしめ、観光客を呼び込むことも重要な任務の一つであり、その魅力を語ってくれた。天津には1000もの歴史的建造物が保存対象となっているが、その内半数近くがこの地区にあるという。因みにこの建物の中には北欧などのブースがあり、今やインバウンドではなく、海外旅行誘致が盛んだ。

rhdr

 

旧イギリス租界の一角にあった五大道は、成都、重慶、常徳、大理、睦南及び馬場の5つの街道からその名が付けられた。車で案内しようと言われ、専門家の金先生まで登場して、詳しい説明が始まる。全部の道を歩いたら20㎞近くあるようで、今回は車で30分程度、簡単にぐるっと回っただけだったが、戸建ての立派な家が多かった。

 

清朝瓦解後、天津に逃れてきた貴族や金持ちが住んでいたと言い、洋風の建物が多い割には、実は中国人の街だった(日本人も僅かに住んでいた)。今でも著名人の末裔たちがひっそりと暮らしているともいう。金先生の説明が早口である以上に、あまりにも歴史が多過ぎて、完全な消化不良のまま、車を降りた。

 

昼は運動場にあったイタリアンレストランに入る。主任は『五大道は今や日本食ブームだよ』と言っており、多くの日本料理屋の看板が見えていたが、薛さんは敢えて『五大道では洋食だ』と言って入っていく。レストランの内装などには雰囲気があるが、正直パスタもピザも味はイマイチ。

 

午後は薛夫妻と別れて、五大道を一人で歩いてみることにした。道は平行に走っており、歩きやすい。路地などはほぼ無くなっている。慶王府のような中国風の建物も見られるが、洋館が多い。保存はかなり行われており、状況の良い建物が多い。有名人の各家の前にはプレートが掛かっており、説明も付いている。私にはよく分からないが、中国人ならすぐわかる人が多いのだろう。買弁、商人、軍人、医者など、様々な職業の人々の家がそこにあった。10年前に来た時に入った茶楼もそのまま残っていて驚く。

 

3時間近く休みもなく歩き続けてしまった。暖かな日差しがあるとはいえ、気温は零度をちょっと上回った程度。さすがに体がこわばり、休みを欲していたので、この街を離れることにした。地下鉄駅まで何とか歩いて行く。先ほど博物館にあったキースリンの本店、立派な建物が見えた。帰ろうと思ったが、すぐ近くに静園があることに気づき、地下鉄を降りて向かう。

 

ラストエンペラーが住んだ静園には10年前に来たことがあった。今回はもう一つの張園が見てみたくて探す。静園のすぐ北側にその建物は見えたが、改修中で入れなかった。張という山西人が1916年に建てた私邸だというから、相当の金持ちだ。茶葉貿易にも絡んでいたのかと思ったが、調べてみると清末の軍人、湖北提督だった。この園、ずっと未開放で数年前に開放されたと聞いたのだが、また閉鎖されたのは残念。この付近は五大道とは違い、日本租界の雰囲気が漂っており、古い建物も多く残っていた。

 

仕方なく静園に入る。溥儀の一生が詳細に展示されており、ちょっと興味深い歴史をいくつか発見した。ここで一緒に暮らし側室、文繍に訴えられ、慰謝料を払って離婚、中国史上初の離婚歴のある皇帝となった。文繍の暮らした部屋も公開されている。紫禁城と比べれば、決して広くない家に正室婉容と側室が同居、問題が起こらない方がおかしい。その他の女性関係も細かく展示されているのが面白かった。

 

地下鉄でホテルに戻る。夕方5時を過ぎていたが、何と部屋の掃除がされていない。そのことでひと騒動あったが、今の中国ホテル業界の厳しい競争を肌で感じ、それはそれでよい経験だった。掃除班長からの差し入れ、水4本を大切にして、トワイニングの紅茶で今日一日の疲れを取る。夜はホテル近くの食堂で簡単にご飯を食べて休む。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です