《ベトナムお茶散歩 2008》ホーチミン(1)

【ホーチミン散歩】

1.ホーチミン 
(1)空港での出会い 
朝6時前に起きて、車で空港へ。バーンタオ氏も同行して見送ってくれた。車中で『ミャンマーに行っているS氏が昨日辺りバンコックに居たはずだが、電話がなかった』などと話をしていた。私は何故か今回S氏に会いそうな気がしていたのだが??

空港で簡単にチェックインして、イミグレへ。いつものことながら、このイミグレが込んでいる。今回は反対側にあるもう一つのイミグレを目指すことにした。ところが・・??通り過ぎようとしたイミグレ、シルエットになっていて中の様子がうっすらとしか見えないようになっている。

何気なくそのシルエットを見てびっくり。イミグレの長い列の最後尾にS氏の後姿が見えた。バーンタオ氏に急いで別れを告げ、中へ。そして『おはようございます』とその後姿へ声を掛けた。

その姿は突然のことに体をビクンとさせて、『エー、何で』と叫ぶ。バンコックに行くとメールしたことを話したが、見ていなかったようだ。そうであれば私がバンコックにいるはずがない、と思うのも無理はない。当然であろう。いるはずがない人間に突然声を掛けられれば驚くに決まっている。

更にS氏によれば、今日のフライトは昨日変更したもので、大阪行きは取れなかったため、マニラ経由となった由。自分のスケジュールを知っている人も殆どいないこの偶然。彼にとってはまさに晴天の霹靂。

それにしても最近霊感があるのであろうか。いや、会う人とは必ず会うのである。『人生は予め決まっている』、最近は自然とそう思える。S氏からは是非ヤンゴンでTTMやSSと会って欲しいと言われ、その気になったが。出発の時間が近づき、S氏とお別れ。

ホーチミンへは僅か1時間半のフライト。飛行機は空いていて自由に席が選べた。何となく欧米人が目立つ。フランス人だろうか??ベトナムへ行くのは2004年1月のハノイ家族旅行以来実に4年ぶり。

あっと言う間にホーチミンに到着。空港のイミグレの遅さは相変わらずだが、特に問題もなく通過。税関も素通りし、外へ出る。人々が大勢待っているが、私を待っている人は見付からない。実は誰が待っているのかもよくわからないのだ??

最近はこういう時に慌てない。きれいな空港の入り口にプレートが嵌っている。『タンソンニャット空港は日本の円借款で建設された』と刻まれている。ハノイと同じ、日本の支援である。中国の空港にもこの程度のプレートはあってもよいと思うのだが。

写真を撮って再度振り返ると私の名前を書いた紙を持った運転手が如何にも前から待っていたかのように笑顔で待っていた。先ずは順調、順調。車はトヨタ、空港周辺ではトヨタの車が目立っていた。

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企業の看板は日本もあるが、韓国系が多い。やはりベトナム戦争以降の繋がりの深さが見える。道はバイクが多いがスムーズ、30分ほどで市内へ入り、宿泊するホテルに到着。

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(2)昼飯 
ホテルのフロントでチェックインしようとすると後ろから声を掛けられる。バーンタオ氏の友人Kさんだ。今回の旅行のアレンジは全てKさんにお任せ。というか実は1年前に東京からホーチミンへ旅行しようとした時もKさんに依頼していた。

あの時は前日の夕方5時にドタキャン。父が入院したのだ。そして翌月亡くなる。ホテル、車などアレンジは全てパーとなったが、全てをKさんが処理してくれていた。それからずっと気になっていたが、そのまま北京に赴任し、漸く今回辿りついた。

チェックインはKさんがスムーズに行ってくれた。彼は旅行のアレンジも仕事の一つとしている。前回はレトロなコンチネンタルと言うホテルを予約してもらっていた。1泊80ドルだったと記憶している。ところが今回同じホテルは満員で、同等のホテルは1泊200ドルと言われて唖然とした。

Kさんによれば、『ホーチミンのホテルは時価です。部屋があれば言い値で予約するのです。それ程にホテルが逼迫しています。』とのこと。今回予約してくれたサンホテルはビジネスホテル風。これでも80ドル、Kさん価格だ。部屋は8階、広くないが、快適そう。バスタブは広く、ゆったり入れる。窓からサイゴン川方面が見える。

Kさんと昼飯に行く。ホテルを出ると方向が分からなくなる。ここがオペラ座、ここがドンコイ、ここがコンチネンタルホテル。次々に説明を受けるが位置関係がしっくり来ない。ドンコイ通りからちょっと入ったKさん行きつけのレストラン13に入る。

レストランが並ぶこの一角、ここが繁盛したことで周りに類似のレストランが出来たとのこと。日本大使館御用達とも。中は狭いが2階があり、小奇麗。基本的に民家を改造した造り。

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中華ということであったが、あっさりした広東風。野菜炒めの野菜が新鮮でしゃきしゃきしている。デザートに出たマンゴが甘くて美味しかった。やはり北京から来るとそう感じるのだろうか??

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お茶を頼んだが、ベトナムでは基本的に一般家庭で熱いお茶を飲むことはないそうだ。飲むのは氷の入った冷たいお茶??

お客はフランス人など西洋人が多かった。やはりここは高級なのだろうか??いや、味がよく、小奇麗なところに西洋人は来るのだ。日本人観光客は立派なところで高い金を払ってまずいものを食べているのでは??

Kさんによれば、日本人観光客は激減している。理由は簡単、ホーチミンのコストが高くなり過ぎたから。ホテルは部屋が無く、これまでアンコールワット観光数日本人は必ずホーチミンで1-2泊したものだが、今では空港トランジットのみ。一方西洋人はユーロ高の恩恵か、ホテルが高くてもやっている。

ついでにホーチミンへの投資は、工業団地を作れば直ぐに満員になる盛況。しかしこちらも人件費が高騰しており、原材料の値上げと相俟って、コストインセンティブで進出した中小企業は早晩撤退に追い込まれそう。現在の投資は海外在住ベトナム人、ベト僑が支えているとも言われている。

(3)チョロン 
食後、Kさんに連れられて両替所へ。ベトナムドンを調達。1万円でホーチミンの顔のある10万ドンを15枚ほど貰う。何だかお金持ちになった気分。

Kさんと別れて、チョロンへ向かう。所謂チャイナタウンである。どうやって行くのか??沢木耕太郎はバスで行ったようだが、時間もないので、いや時間はあるが、よくわからないので、コンチネンタルホテルの前からタクシーに乗る。

コンチネンタルホテル、このホテルは前回泊まろうとして予約してもらっていたホテル。白い外壁が美しい。1880年建造のコロニアルスタイル。中庭は特に美しい。昔は有名人が多数宿泊したらしい。今日もお客は西洋人が多い。

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タクシーは西に向かっている。しかしチョロンに向かっているのかさっぱり分からない。勿論言葉も通じない。不安に思いながらも何とかなると思ってしまうのが私の旅。20分ぐらい経って、それらしい感じになってきた、と言っても中華風な感じはない。

ようやくタイピン市場に到着。古い駅舎のような建物。周囲に商店が並んでいた。中に入ると大きな屋根の下に無数の店がある。昼下がりの市場はゆったりとしていた。お客も少なく、店の人も昼寝をしたり。

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早速お茶を探す。何軒かお茶を置いていた。ジャスミン、ロータスなどの英語が辛うじて分かるが、買いたいと思うものは見当たらない。建物の外に出るとそこにも茶屋があった。専門店はここ1軒か??

店に入り、中国語を使うと何とか通じたが、さほど出来るわけではない。ここはチャイナタウンとは言うが、既にベトナム化されていた。この茶葉がどこで採れるのか知りたかったが、良く分からないまま店を出た。

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プラプラ歩いていくが、漢字の看板などは全く見当たらない。やはり中越戦争以降の影響だろうか??途中で教会があった。チャイナタウンに教会??何とも不思議。

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更に行くと、布を扱う店が多くあった。チャイナドレスを作る店が見える。小さな食べ物屋の看板に漢字が見え出した。やはりチャイナタウンなのだ。中国大陸から渡ってきた人が同郷の人々と建てた会館やお寺が幾つかあった。学校とお寺が一緒になっている場所では、ちょうど下校時間で多くの父兄が迎えに来ていて、ごった返していた。この国でも誘拐などがあるのだろうか??

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1時間ほどかれこれ歩き回ったが、これは、と言うものは発見できず。暑さもあり、かなり疲れた。タクシーでホテルに戻る。ちょっと拍子抜けの中華街であった。

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(4)夕飯 
歩き疲れた。ホテルで休む。そして日が暮れるとまた外へ出た。むしむしするが、日が出ているよりマシだ。ドンコイ通り付近を冷やかす。幾つかレトロなホテルが見えた。

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夕飯を食べようと思ったが、それ程食欲がある訳ではなかった。多分疲れていたのだろう。その辺で麺でも食べようと探したが、ドンコイはお洒落な感じで、ちょっと気分が違う。裏通りに入り、ようやく1軒の店を見付ける。

如何にもフォーだけでやっている小さな店で好ましい。恐る恐る入っていくと、おやじさんが『何食べる』と聞いたようだ。麺を指で指したら、黙って作り始めた。息子と思われる若者が手伝っている。

細めん、クリアーなスープ、ワンタンが少し、豚肉も少々、実にあっさりしていたが、これが食べたかった、というフォーだ。満足。但し22,000ドンは4年前ハノイで食べた頃より相当に値上がりしている。

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この店には仕事帰りのサラリーマン風の男性が2人ほどバイクでやってきていた。ベトナムでは未だこのような店が主流のはずだ。私がこれまで見たのは、やはり観光客用だったということだろう。

店を出ると、急に食欲が出た。もう一杯食べる手もあったが、歩き出した。少し行くと、街角の屋台でフランスパンに何か挟んでいるサンドイッチを売っていた。ここも言葉は通じないが、手振りで十分。おばさんは手際よく、ハムを挟み、バターを塗った。野菜も少し入れて直ぐ出来た。そのパンを新聞紙で包んで渡してくれた。10000ドン。安いのか高いのか??ホテルに持って帰った。

ホテルで新聞紙を開いてビックリした。何とその新聞紙は日経新聞だったのだ。一体どこでこの紙を手に入れるのか??パンより遥かに高い新聞紙を眺めながら、サンドイッチをほお張った。不思議な気分であった。それにしてもベトナムでは道端のフランスパンでも十分美味しい。中国にはパンの文化がなかったのか??

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3月29日(土) 
(5)朝食 
朝5時半に起床。バンコックのバータオハウスと大いに異なり、鳥のさえずりではなく、バイクのクラクションで起こされる。如何にもホーチミンらしい朝である。時差はタイと同じで中国より1時間遅く、日本より2時間遅い。しかし経度から見えれば中国時差圏ではなかろうか??6時過ぎには辺りは明るい。

6時過ぎに朝食。1階のロビー奥に取って付けたようなレストランがある。正直食事が美味しいとは言えない。大好きな目玉焼きを焼いてくれる人もいない。昨夜のフォー屋の対応を見てもどうやらこの国ではチキンは嫌われているようだ。すると目玉焼きも駄目ということになる、そうだろうか??

フルーツに柚子があったのは嬉しかった。昨日ビンタイ市場にあったのでもしやと思っていたが、やはりあった。北京でもほぼ毎日食しているので、有難い。元々は上火対策で食べているのだが、今では生活に欠かせなくなっている。甘さも控えめでよい。

朝が早く、殆ど客がいない中、日本人の母子が目立つ。娘(40前後)がやたらにハイテンション、大声で喋り捲っている。元々そういう人なのか、母親のテンションを上げる必要があるのか??朝から元気なのはよいが、周りが見えていない。日本人旅行者にはたまにこんな人がいて、日本人としては何やら気恥ずかしい気分になる。

7時にロビーでガイドと待ち合わせ。私の旅行は一人で歩くのが基本だが、今日は茶畑訪問のため、致し方ない。ガイドはタオサンという40歳代の女性。非常にゆっくり話す。何となく不思議な感じの人。車はトヨタビオス。

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