福建茶旅2018(6)安渓を再訪する

4月20日(金)
安渓

今朝は早めに目が覚めた。疲れてくるとこういうことがよくある。ホテルの朝食は、かなり混みあってはいたが、満足のいく物で、美味しく頂く。食べ過ぎだとは分っていても、付いている物は食べてしまう。悲しい習性だ。そのまま気持ちがよいので散歩に出た。この厦門賓館、実は後背部を含めてかなりの敷地がある。驚いたのは小高くなった場所にある古めかしい建物、タイの領事館がこの中にあったことだろうか。周囲にも古い建物などが残っており、歴史を感じさせる昔の一流ホテルだ。習近平もここで結婚披露宴をしたとネットにあったが、本当だろうか。

 

王さんが迎えに来てくれた。沈さんという年配の人も一緒だ。沈さんは長年お茶の歴史を研究し、雑誌を発行しているという。これから行く安渓の歴史などは相当に深く勉強しており、おてものだ。3人で安渓を目指す、その車の中で既にレクチャーは始まっている。これは何とも有り難い。更には既に雑誌に載せた物で関連あるものを微信で送ってくれた。

 

1時間半ほどで安渓県の中心に到着する。そこには茶市場があるのは前回も来たので知っている。ここで昼を食べる。王さんの知り合いがレストランを開いており、豆腐がうまかった。その後市場をちょっと見学するが、そろそろ茶が出来始めているが、昼過ぎで閑散としている。市場の外の店に入る。沈さんの知り合いだという。鉄観音茶で色々と賞を取っているようだ。出された鉄観音は清香だが、マイルドな味わいだった。

 

それから孔子廟を訪ねる。なぜここに来たのかと思っていると、見学もせずにどんどん中に入っていく。奥にオフィスがあり、そこにこの廟の管理者が待っていた。彼は書の達人のようで、帰りに彼が書いたものをくれたので、驚いた。そしてそこには安渓華僑史の第一人者である陳先生がいた。

 

86歳の陳先生から、詳しくはこれを読んでくれといわれ、著書を頂く。中をパラパラめくると、安渓出身、東南アジアで活躍した華人のことなどが沢山記されている。これは大いに参考になる。特にビルマで茶商として成功した人が気になる。タイは殆どいない。インドネシア、マレーシアも茶商は見当たらない。

 

そして私の一番の関心事を率直に聞いてみた。『台北の大稲埕で歴史的に茶商をやっていた(今もやっている)者には安渓西坪出身者が多く、その姓は王だが、それにはどういう歴史があるのか』と。しかし陳先生の答えは意外だった。『私の専門は華僑史だが、台湾に渡った者は華僑ではないから専門外だ』というではないか。

 

確かに中国から見えれば、国外に渡った者が華僑、華人であり、中国の一部である台湾に渡っても、単なる国内移動ということだろう。これは香港、マカオについても同様の論理だ。なるほど、この辺の定義もしっかりしているなと妙に感心する。結局その答えには辿り着けなかったが、収穫のある面談だった。西坪に行けばこの答えは見つかるだろうか。

 

1年半ぶりに西坪の梅記を訪れた。前回2泊させてもらったが、ここは本当に居心地の良い場所だった。智送が笑顔で迎えてくれた。まだ茶作りは始まっていないようで、周辺は閑散としていた。近くの泰山楼を見学。前回も見たが、住んでみたくなるような100年以上前の建物だ。

 

夕暮れが近づいており、すぐに車で茶畑のある山の上まで登る。標高約1000mの眺めの良い場所にある茶畑は、まだ茶の芽が少し出ているだけの状態であり、茶摘みが始まるのは数日後かららしい。沈さんが愛おしそうに茶樹を眺め、茶葉に触っていたのが、ちょっと印象的。本当にお茶が好きなんだな。

 

日暮れ前に梅記に戻り、美味しい夕飯を皆で頂き、それからゆっくりと老茶を飲む。今日は沈さんが一緒ということもあり、前回よりさらに古いお茶が出てくる。部屋は前回同様4階にあり、そこに場所を移して、お茶を飲み続ける。何となく疲れてしまった私は先にシャワーを浴び、そして静かな、涼しい環境の中、ぐっすりと寝入る。

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