福建茶旅2018(4)黄檗文化促進会で

4月18日(水)
2. 福清
黄檗文化促進会

翌朝は福州から福清に移動する。魏さんが連れて行ってくれるというので、オフィスまで歩いていき、そこで合流して乗車した。福清には2年前にも一度行っているが、今回も又黄檗文化促進会を訪問する。因みに魏さんも福清の出身、というか、日本にいる福建人の半数以上は福清出身だと思う。黄檗文化促進会の林会長もやはり福清出身で、魏さんと同じ時期に日本に留学していたらしい。この福清人脈は知られていないが、かなりすごい。

 

車は小1時間で福清に入る。昔は山を越えて難儀して福州に来たらしいが、今は高速道路があり、トンネルがあり、簡単に行きつける場所になった。何故福清から海外を目指す人が多かったのか、それは山深い場所で仕事がなく、福州までは難儀ではあるが歩いて行けた、ということであったろう。

 

黄檗文化促進会の建物は相変わらず立派だった。入っていくと、既に大勢の人が集まり、何かをしている。林会長の正面に座っていたのは、まさかの日本人。それも黄檗宗のお坊さん、N師だったので、驚いた。聞けば、仏教画を描かれるということで、隠元禅師にもゆかりが深く、林会長とも深いご縁のある方だった。

 

それに合わせて東京からもマスコミ関連の中国人が同行してきていた。やはり今は黄檗宗、隠元禅師を見直そうという機運が、特に中国側で強いということだ。皆が話している中にも、隠元禅師が中国からもたらした文化が江戸初期の日本にどれほどの影響を与えたのか、と言った話題が出てくる。

 

 

同時に『魏氏楽譜』という古来の楽譜を研究している女性が態々広西から来ており、驚く。これは中国で現存する最古の楽譜であるらしい。確かに古代から音楽はあるが、それがどんな曲だったのかは分かっていない、と説明されればその通りかもしれない。そしてそこに我が魏さんが当然のように食いつく。彼も魏氏の一人なのだ。放っては置けない。一緒に勉強を始め、同じ魏姓で、この研究をしている人に熱心に教えを乞うている。

 

今日宿泊する予定のホテルに場所を移してランチ。かなりのご馳走が出てくる。テーブルも2卓、20名が食事を共にした。この食事の内容がまた日本人の口に合う。それは味付けがよいこともあるが、食材が日本に近く、何となく安心して食べられる雰囲気なのだ。これもまた隠元禅師のお陰か。忙しい魏さんはここで福州へ向けて帰っていった。いつも本当にありがたい存在だ。

 

促進会に戻る途中、林会長が『ちょっと寄り道しよう』と言って、街中に出ていく。車を降りるとそこにはベーカリーがあった。『ちんすこうを買おう』というので驚いた。店にはパンやケーキなどが並んでいたが、その一角に中華菓子のようなものがあった。その中に『真酥』と書かれた食べ物がビニール袋に入っている。『これがちんすこうだよ。真酥は福清語で「ちんる」、そこに糕「こう」を加えて、ちんすこうと沖縄の人には聞こえたのに違いない。もっとも糕は蒸しパンなど指すけど、福清も沖縄も焼き菓子だね』と説明される。林会長はお店の人に作り方も見せて欲しいと交渉してくれたが、さすがに企業秘密ということで断られてしまう。ただ作り方もほぼ同じらしい。

 

これを持ち帰る。まだ腹が一杯なので、まずは隠元禅師や黄檗宗の説明を聞く。この会館には実に多くの関連資料が保管されている。その多くがこの2年、林会長自らが毎年4-5回は日本へ行き、ゆかりの地を訪ね歩き、そこで集めて来た物なのだ。中国にはすでに残っていないが、日本には残されている歴史的な資料、遺品の典型例だった。

 

そしてついに福清のちんすこうを食べる時が来た。どんなお茶と合わせるのかと考えていると、何と会長は生卵を持ち出し、それを溶いているではないか。そこに熱湯をかけてかきたま風にする。更にちんすこうをパラパラとかけてかき混ぜ、頂く。なんだこれは。まるでシリアル?真酥にはちょっと塩気があり、卵の甘さを合わせると絶妙な味になる!

 

林会長によれば、昔は皆貧しく、子供は病気になった時だけ食べさせてもらえたらしい。何だか私の思い出すのはバナナかな。また来客があり、食事まで間がある時に出されるものだったともいうが、当時卵は貴重品であり、平時食べるものではなかったであろう。それにしても熱湯をかけるとはいえ、生卵を使うことが驚きであり、まるで日本の風習かと思ってしまったのは偶然だろうか。

 

実は1月に沖縄に行った時、老舗ちんすこう店の方を紹介してもらい、話したことがある。沖縄に入ってからの歴史はある程度分かるが、中国でのちんすこうの歴史は分からない、ということで、今回聞いてみたわけだが、まさに百聞は一見に如かず、というところか。今後沖縄と福清の交流が進むとよいと思う。また福清以外にもちんすこうはあったかもしれず、それを探すのも又一興だ。

 

林会長は忙しい。これから厦門まで行って夜は宴会だという。我々は皆お腹が一体でホテルに戻る。だが軽く夕飯を食べようということで、ホテル内になぜかある韓国料理へ行く。N師はここの牛丼は日本のような味だと言って勧めてくれたので、それを食べて、部屋に戻る。とても長い一日だった。

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