沖縄で突然茶旅2018(1)日本のサービスとは

《沖縄で突然茶旅2018》  2018年1月9-15日

 

2013-15年の間、沖縄には3年連続で行っていた。基本的にはヨーガの合宿参加が目的であったが、所々で沖縄の茶についても勉強していた。さんぴん茶は『香片茶』だと感覚的に理解し、分かったつもりでいた。だが台湾茶の歴史を訪ねていくうちに、その輸出地として、沖縄、という地名も出てくるようになり、何となく疑問が深まっていく。

 

台湾へ行くフライト、東京‐台北間はどんどん料金が上がっている。これは日台双方の旅行客の増加によるものと思われるが、低価格旅行を旨としている私としては、何とか手を打たなければならない。ちょうど正月明けの羽田‐那覇線を見ると、何と片道ならANAでも1万円はかからない。これなら那覇経由で台湾へ行けばよいとの結論に達し、沖縄の旅が実現した。

 

1月9日(火)
宿まで

那覇行きの午後便に乗るため羽田へ向かった。今日は正月休みの最後の三連休の最終日。電車は空いており、難なく空港に着く。国内線ターミナルもそれほど客はいなかった。前回ここに来て気になっていた、『手荷物』と書かれた預け荷物を自動で預けてみる。これもまた簡単に行ってしまい、ちょっと心配になるほどだ。

 

フライトは3時間、ほぼ台湾へ行くのと変らないが、国内線なので飲み物しか出ない。取り敢えずスープをもらって飲む。その後熱いお茶が飲みたいな、と思っていると、隣のおばあさんにだけCAが『熱いお茶をお持ちしましょうか』と聞いていたので、それに便乗してお願いした。

 

我々がお茶を頼むと、冷たいお茶が出てくるご時世である。ところが出てきたお茶を見てびっくり。まるで給湯器の粉茶を入れたように泡立ち、味もこれ以上ないほど美味しくない。これなら熱いお茶など頼む人はいないだろう。ANAの機内にしてこれだから、外国人にお茶を売り込むなど程遠い。日本のお茶文化とは既にこんなものなのだろうか。残念でならない。

 

何とか那覇空港に到着したが、荷物がなかなか出てこない。ふとターンテーブルの反対側、出口付近を見てみると、ごみ箱がいくつも置かれている。その箱は何と搭乗券や荷物券などを捨てるために置かれているのだ。今や世界がスマホ化し、ペーパレス化を計っている中、なぜこのような無駄な紙を大量に出すのだろうか。エコという概念はどこにあるのだろうか。正直日本という国が分からなくなる。

 

既に辺りは暗くなり、ゆいレールに乗り込む。ここでもスイカなどは使えず、現金で切符を買うことになる。しかもこの切符、自動改札に対応するため、わざわざ紙の切符の上にバーコードを付けている。そんなことをするくらいなら、スマホで乗車できるようにならないものだろうか。恐らく隣の中国人はそう思っているに違いない。乗客の半分は外国人観光客なのだ。

 

旭橋まで十数分、そこを降りてから、歩いて数分で今日の宿に到着した。県庁のすぐ裏付近で、国際通りにも近く、観光としてのロケーションは抜群だった。そこは古いアパートの2階、いわゆる流行の民泊だ。鍵の受け渡しなどが面倒かと思ったが、全てが指示されており、簡単に入室できるのは嬉しい。畳の部屋が2部屋もあり、こぎれい。風呂場も広いし、キッチンもあるので自炊も出来る。一人で住むには広過ぎるが、料金は高くないので、何とも有難い。確かにこれなら既存のホテルが食われてしまうだろうな。

 

腹が減ったので、近所を散策する。居酒屋は何軒かあるのだが、酒を飲まない私には縁がない。その先に定食屋があった。鶏肉を売り物にしているらしい。迷わずチキン南蛮を頼むと、セットでスープやだし巻き卵が付いてくる。チキン南蛮自体も特製のタルタルソースが付いている。沖縄初日の夜がこれでよいのかよくわからないが、まあこれでよいのだろう。沖縄の定食らしいボリュームで腹が膨れた。

 

その夜の那覇は非常に寒く感じられた。東京も冷えていたが、まさか沖縄がこんなに寒いとは思っていなかった。部屋にはエアコンがついていたが、埔里で寒い部屋を経験済みだったので、そのまま厚めの布団をかぶって眠りについてしまった。だが翌朝明け方近くにあまりの寒さに起きあがるほどだった。確かにこの時期、沖縄に来る人が少ないのはよくわかった。

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