先生と行く高知茶旅2017(1)突然長曾我部の居城跡へ

《先生と行く高知茶旅2017》  2017年11月24-28日

ある日、以前からのお知り合いであるHさんよりメールが来た。『この度M先生から、お電話があり11月24日~27日まで四国へ山茶の実態調査に行かれるそうです。関心のある方と同行したいとの事です。ご一緒しませんか?もう、最後の調査かも^_^; と仰ってましたが・・・( ^ω^ )』

 

M先生と言えば、茶旅の大先輩であり、茶の歴史の研究歴は60年を超えるという大御所だ。一昨年ベトナム茶旅をご一緒し、その60年に渡る茶旅の膨大な蓄積を伺う機会を得、大いに感化された。出来ればまたお話を伺いたいと機会を狙っており、幸運が訪れたと即座に回答した。しかもこれが最後の旅かもしれないと言われるとどうしても行こうと考える(先生は毎回これが最後か、とおっしゃっていることは知っていたが)。

 

だがよく考え見れば、なぜ私が誘われたのか、誰が私を誘ったのかさえよくわからない中で、行くという決断は早計だったのかもしれない。ただこれまたベトナムでご一緒したTさんも参加されると聞き、また千葉のIさんとも初めて会う機会を得るというので、取り敢えず行くこととした。タイミングは絶好で、ベトナムの旅から帰ってすぐ後、台湾に行く前になっており、やはり天は行けと指示したと感じた(元々は九州に茶旅に行く予定だったがキャンセルした、残念)。

 

11月24日(金)
高知まで

高知に行くには、飛行機しか考えられなかった。例え電車に乗ったとしても料金は安くないし、何より時間がかかり過ぎる。四国の他の都市にはLCCが参入し、料金が大幅に下がっているのに、高知だけはJALとANAしか飛んでいないため、更に競争原理が働かず、料金は高いままである。夜行バスなどもあるかもしれないが、今回は待ち合わせもあり、またベトナムから戻ってすぐのため、ANAを選択することにした。M先生は新幹線と特急で来るという。その時間に合わせて午後のフライトを予約した。羽田から行くHさんとIさんも同じフライトとなる。

 

久しぶりには羽田空港の国内線のロビーへ行く。今やチェックインはなく、バーコードで飛行機に乗れる。今回は荷物を預けるつもりもなく、何とも手軽だった。ただ荷物預けが機械で自動になっているのを見たが、そこには『手荷物』と大きく書かれている。手荷物とは、機内持ち込み荷物のことだと思っていたが、中国語では宅運行李と書かれており、こちらは正しい。なぜこんな紛らわしい書き方をしているのだろうか。日本人はこれで分かるのだろうか?不思議でならない。

 

お二人とも無事に合流した。搭乗口で前回はバーコードが消えてしまい焦ったが、今回はきちんと処置をしてきたので、問題なく搭乗できた。国内線のフライトとはいえ、料金はかなり高いのに、ご飯すら出ないのはどうしてだろうか。LCCとは違うのだから、その辺のサービスがあってもよいのではと思うほど高知は遠かった。2時間以上かかって高知空港に到着した。

 

いきなり博物館へ
当初はM先生の到着する高知駅で待ち合わせていた。ところが状況が変わり、急きょ高知県立歴史民俗資料館へ行くことになった。空港からタクシーに乗り込んだのだが、運転手は極めて陽気に高知の紹介を始める。だが今回お世話になるKさんによれば『空港から10分で着く』と聞いていたのに、それを過ぎても着かない。そして車は市内中心部へ入っていく。

 

突然運転手が『間違えた』と言い出した。彼は高知城の横にある博物館だと思い込んで走っていたが、指定されていたのは、市内から少し離れた、長曾我部氏の居城だった岡豊城跡に建てられた資料館だったのだ。運転手は恐縮しきりで、料金は割り引かれ、何回も謝られた。小高いところを上り詰め、ついに到着した。外には格好良い長曾我部元親像が建っていた。私のイメージが武骨な武将だったが、近年ゲームがヒットして、格好良い長曾我部像が作られているという。

 

ちょうどKさんが老人を送りに出てきたところだった。この郷土史家がM先生と会い、お互いの情報交換をしていたという。その話、是非聞きたかったが間に合わなかった。何とも残念だ。それにしてもかなり高齢で、且つ外出も難しいと言われている老人がわざわざ出向いて来る。その好奇心の強さ、精神力、私など到底及ばないと察する。

 

資料館に入り、先生を探す。長曾我部氏の歴史が展示されているところで先生と合流した。この歴史も何かお茶の歴史と繋がるものがあるのかもしれない。更には特別展として、仏教、禅関連の展示もあった。最近地方の博物館、美術館に行くことがあるが、実に展示が充実していると思う。ここには高地について色々と書いているKuさんも同行していた。

 

それからKさんの車に乗せてもらい、1時間半ほどかかっていの町に到着した。実は今回の旅は先生と一緒にTさんがやってきて、レンタカーを借りて動く、と聞いていたのだが、なぜかTさんの姿がなかった。先生によると、『名古屋から乗った新幹線でも、乗り換えた岡山駅でも見付からなかった』というのだ。そして『Tさんには高知でどこへ行くのか知らせていない』というので、急いで携帯電話を掛けると、既に名古屋辺りに戻っていた。何とも残念だったが、結局参加者が4人となり、Kさんの車に乗ることができた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です