杭州・安徽・北京茶旅2017(2)九曲紅梅を探して

6月21日(水)
九曲紅梅を探しに

翌朝は雨だった。明るくなってみてみると、ホステルの周囲は興味深い建物が並んでいる。だが雨なので外出を控えた。9時前には馮さんが迎えに来てくれた。彼女の車に乗り、知り合いのところへ行くという。私は今回九曲紅梅という杭州の紅茶を訪ねに来たのだが、前回宜興の旅で知り合った馮さんがそれを請け負ってくれ、知り合いに紹介を頼んだようだ。その彼も彼の車に乗り、我々を先導してくれる。

 

良渚文化村から約1時間かかって双灵村に着いた。同じ杭州と言いながらもマ反対の場所、随分と遠い所だった。そこで3代に渡って紅茶を作り続けているという賈炳校さんを訪ねた。彼の茶工場には、石うすやら木製の揉捻機やら、まるで骨董商の様にそこかしこに置かれていた。これは製茶道具として使うのではなく、彼の趣味だという。

 

九曲紅梅というと茶葉が少し曲がっているのが特徴だった。以前は殆ど見ることのなかったお茶、浙江省の茶葉の紅一点、それが最近の紅茶ブームに乗って少しずつ復活してきているという。ただその量は決して多くはなく、また龍井43などの品種を使って紅茶を作っても、需要もそれほど伸びるとも思われない。この村では、この紅茶という資源を使い、村おこしとして、観光茶園化を計画しているという。

 

実際に賈さんの茶工場の上も、既に宿泊施設の整備が始まっていた。来年には前の空き地も駐車場になり、週末には沢山の観光客が訪れることを期待している。杭州市内という一大観光地から僅か15㎞という立地に優位性はあるのだろう。だがお茶を使ってそこまでニーズがあるのだろうか。雨はかなり強くなってきている。仕方なくお茶を飲んでいる。

 

何とか雨が小やみとなり、昼ごはんに行く。地元の人しか知らない場所にある自然の中の食堂。野性味満点。そこで出された鶏肉の美味いこと。地鶏というんだな、これを。野菜なども柔らかくて美味しい。まさに農家菜だ。杭州の少し田舎でも皆さん、実に裕福だ。これも含めて観光化なのだろう。

 

午後は博物館へ。九曲紅梅の歴史がかなり細かく紹介されており、また実際に1900年代初頭から30年代ぐらいまで、この紅茶が龍井茶などと並ぶ高値の茶だったことなどが実際の新聞記事などを交えて展示されており、興味深い。その当時の九曲紅梅はどんな味だったのだろうかと、ふと思ってしまった。

 

それから村の中に少しだけある茶畑を見学。その横にある賈さん所有の別荘?も見学。池があり、いい庭があり、宿泊も可能な部屋がいくつもあるが、一般には開放していないようだ。こちらでは、緑茶をご馳走になる。それにしても賈さんだけがこの村の成功者なのだろうか。

 

賈さんに別れを告げて、浙江大学へ向かった。浙江大学と言えば、6年前、私が会社を辞めて最初の茶旅に出た際、訪れた大学だった。あれから6年も経ったかと感慨深い。馮さんはここの茶学学院の出身ということで、こちらの教授からも歴史を学ぼうと訪れた。残念ながら現在の茶関係者にとって、歴史はそれほどに重要ではない。なぜそれが必要なのかと質問されれば答えに窮する。

 

その後、良渚文化村に戻る。こちらにはなぜ、と聞く必要もなく、5000年前の文化がそこに厳然と残っている。ただ残っていると言っても、発掘されたものは博物館に行き、その現場には何も見られない。遺跡公園という名称が残るだけである。これからここを開発して、テーマパークのようにしていく計画らしい。同時に更に発掘調査が進められるようで、そこに期待がこもる。文化は経済の支えがあって初めて成り立つものだから。

 

夕飯は馮さんがご馳走してくれた。出来るだけ地元の料理をということで色々と頼んでくれた。湯葉を使った料理は日本を思わせる。他の炒め物も、何となく味がちょうどよく、日本を感じさせた。やはりこの地域、日本との関係が非常に強いのではないかと勝手に想像してしまう。

 

夕食後は、文化村内を散策した。この街は大手不動産集団、万科の王主席が『夢の街』として作ったと聞いている。それにふさわしい静かで落ち着いた、中国とは思えない、どこかアメリカ西海岸のような雰囲気を漂わせている。まず人々が急いでいない、車はゆっくり、信号もゆっくり、もうそれだけでも今の中国には貴重だ。ハワイなどを思い出す。

 

きれいな池の周囲を歩くだけで心地よい散歩ができる。犬などを連れて歩いている家族やカップルが多い。魚釣りを楽しむ人もいる。部屋に帰ってすぐに蚊取り線香を点けたが、またかなり刺された。自然に囲まれて生きるとはこういうことかと思いながら、何とか目を閉じる。

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