富山から静岡まで茶旅2017(4)遠州森に藤江勝太郎の足跡を訪ねる

7月7日(金)
森町まで

翌朝起きて、お茶を飲みながら朝ご飯を頂き、Iさん宅を失礼する。今日は掛川まで行き、そこからローカル線に乗ることになっており、まずは名鉄で豊橋に向かう。全く問題ないルートだと思っていたが、何と人身事故で電車のダイヤは、完全にマヒしていた。豊橋に何時に着けるのかもわからない状況となる。

 

何とか電車が動き出し、各駅停車となった列車に乗り、豊橋を目指す。だが予定していた東海道線には乗ることが出来ず、豊橋で待ちぼうけ。調べてみると掛川から乗る予定の天竜浜名湖鉄道は、掛川からだけでなく、豊橋に近い、新所原という駅からも出ていることが分かり、しかもこちらの方が待ち時間が少ないので、新所原で降りる。

 

天竜浜名湖鉄道の可愛らしい駅はJRの横にあったが、完全に隔離されていた。スイカも使えず、その料金も遠州森まで1280円と極めて高い、ローカル線だった。しかも車両は1両のみ。でも天気が凄く良くて、なんだか楽しい気分になる。乗客数人を乗せて出発。初めは民家のある場所を通っていたが、その内ちょっとした林の中に入ったりする。

 

20分ぐらいすると浜名湖がきれいに見えてきた。ウナギが食べたくなる。それから気賀という駅に着く。ここは今年の大河ドラマ、直虎の舞台になっているところ。こんなところから出たのか井伊家は。おじさん3人組が乗っていたが、彼らは直虎一日ツアー券を持っていた。ついには大河ドラマ館なる建物まで見えてきて、皆が降りていく。週末なら結構人がいて盛り上がっているのだろうか。

 

その内乗客はほぼいなくなり、運転手と私の2人だけがずっと乗っていることとなった。勿論途中で乗る人もいるが多くはない。ついにはトイレに行きたくなるが、途中駅で数分停まるというので駅のトイレの場所を聞き、降りて用を足したりした。何ともローカル、温かい雰囲気が漂う。まるでテレビのBSの旅番組のようだ。

 

大学が目の前にある駅を通り、乗客が増えてくる。フルーツパークという珍しい名前の駅もある。柿の木が植えられている。名物らしい。1時間40分ほど乗り、とうとう森町病院前という駅で降りた。何とも疲れたが貴重な体験だった。ただこの駅も無人で、周囲には町役場の建物などが見えるだけ。思えば遠くへ来たもんだ、という気分。

 

4. 森町
藤江勝太郎を訪ねて

森町教育委員会に詳しい方がいると聞き、既に1週間前に連絡を取っており、そこを訪ねた。目的は藤江勝太郎。彼は日本統治時代、総督府によって設立された茶業試験場の初代場長。台湾茶業の基礎を築いた人物だと思われるが、どのような人なのかはよくわかっていない。そこで出身地で、且つ帰国後は町長も務めた森町なら何かわかるだろうと訪ねた次第だ。

 

教育委員会には藤江家文書のコピーが残されており、見せて頂いた。それにより藤江の略歴なども明らかになって来た。興味深い資料もあるようだったが、文書を保存している藤江家の了解が必要とのことで、コピーなどは貰えなかった。取り敢えず撮れるものはカメラに収める。お話しを聞けば聞くほど、茶業における藤江の功績は大きいように思った。

 

しかし森町にはもう一人、台湾に深く関係した偉人がいた。鈴木藤三郎、台湾製糖の初代社長を務めた人物で、町としてはこちらの知名度を上げていこうと努力しているという。実際台湾に使節団を派遣し、台湾製糖と交流する、冊子を作りその業績を顕彰するなどを行っていた。藤江はその陰に隠れているようだった。それにしても台湾の3大商品の内、2つがここ森町出身者により興されたというはとんでもないことのように思うのだが。

 

ご担当の案内で、藤江勝太郎の生家にも行ってみた。特に表示などもなく、一人で来ても全く分からなかっただろう。現在は誰も住んでおらず、ご子孫は別の町に移っているとのことだった。森町は明治時代には茶業が盛んだったようだが、今やそれを示すようなものも見当たらない。昔の町役場を利用した歴史民俗資料館も訪ね、藤江の写真を見つけたのは収穫だった。

 

 

遠州森と言えば、どうしても森の石松を思い出してしまう。広沢虎蔵の浪曲、清水次郎長伝の中の石松が好きだ。実在の人物かどうかよくわからないが、この町には石松の墓があるといい、そこにも連れて行ってもらった。大洞院というお寺の前にその墓はあった。墓石を削って持っていると勝負運が付くと言われ、かなり削られていた。この墓は3代目で、削られても壊れない硬い石が採用されているという。

 

遠州一宮、小国神社にも行ってみる。このあたりを見てみると、昔からこのあたりは重要な場所だったことが分かる。まあ博徒が出入りするのも、町が栄えていた証拠だから、東海道線の開通までは少なくとも栄え、そして徐々に今のように落ち着いた街になっていったということだろう。

 

遠州森駅まで送ってもらい、また1両電車に乗る。夕方のこの時間は高校生などが多く、車内は昼間と違って込み合っていた。掛川まで25分、新幹線が走っているにもかかわらず、それからまた延々在来線に乗り、東京へ戻っていった。

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