ある日の埔里日記その3(8)関西から羅東へ

5月18日(木)
関西から羅東へ

以前訪れた新竹の関西。連載の締め切りが迫る中、いくつかの疑問を確認するために、もう一度訪問させてもらった。関西には鉄道は通っていないのでバスで行こうかと思ったが、羅さんが高鐵新竹駅まで迎えに来てくれるというのでお言葉に甘えた。埔里からバスで台中高鉄駅へ行き、そこから高鐵に乗った。新竹までは僅か30分ちょっと。思ったより早く着いた。

 

高鐵新竹駅の周囲には何もないように見えたが、後ろ側には高い建物がいくつもあった。トイレから出てくるとちょうど羅さんが駅に着いたとの知らせがある。羅さんは実は台北に住んでおり、今日のためにわざわざ高速を飛ばしてやってきてくれたのだ。申し訳ない。駅前でさらっと拾ってもらい、関西へ向かう。羅さんは日本で15年暮らしていたと言い、日本語に問題はないので、色々と話を伺う。

 

先日も訪ねた台湾紅茶公司。今日も現在の社長、3代目の羅慶士さん(羅さんのおじさん)から、様々な茶の歴史を教えてもらう。特に紅茶から緑茶への流れ、客家人の精神とお茶について、また新たな発見があった。このような80年の歴史の流れは、とても1回のコラムで書ききれるものではない。何回かに分けて、もう少し資料を集めて書いていこうと思う。

 

羅さんが台北に戻るというので、その車に乗せてもらい、台北に向かった。高速だとあっという間に市内に入る。常々感じることだが、台湾も以前比べて渋滞が少ない。新たな道路が出来たりしているからだろうが、非常にスムーズに移動できるのは何とも有り難いことだ。

 

市政府前で降ろしてもらい、羅東行のバスを探した。台北発のバスというとつい慣れた台北駅前出発のバスを思い浮かべてしまうが、実はいたる所からバスが出ている。羅東は初めて行く場所なので、言われた通りに切符を買い、バスに乗ってみた。結構きれいなバスで、頻繁に出ているらしい。

 

1時間ちょっとで羅東のバスターミナルに着く。横には台鉄の駅もある。今日はここに葉さんを訪ね、台湾茶の歴史の教えを乞う予定だ。電話するとすぐに葉さんが車で迎えに来てくれ、自宅へ向かった。だが突然すべての通行が遮断されてしまった。何と台湾には今でも防空訓練があったのだ。最近台湾に来ても出会うことがなかったので、もうなくなったと思っていたのだが、私のスマホにすら訓練の知らせが出てきた。未だに中華民国は戦闘状態なのだ。ただ緊張感はまるでない。

 

この間は車の運転はできない。葉さんは途中のお店に入り、椅子に座り、私の時間を惜しむかのように台湾茶の講義を始めた。店の人も訓練中は仕方ないと思っているのか、なにも文句は言わない。お茶の壮大な?歴史の一端が幕を開けた。20分後に訓練は解除されたが、まだ講義はほとんど進んでいなかった。

 

それから自宅で延々話を聞き、資料をもらった。実はすでに彼からは郵送で膨大な資料が送られてきており、手が痛くなるまで全てコンビニでコピーしていた。今回はこれを返すのが目的だったのだが、更に多くの知識と資料を頂戴した。何よりも想像ではなく、文献などの一次資料に基づいて説明してくれるのが有り難い。勿論すべてを一度に消化するのは難しいが、まずは基礎を頭に叩き込む。

 

夕方まで話し込み、車で出かけた。宜蘭で奥さんが働いているのでそちらでピックアップし、夕飯に向かった。その食堂は宜蘭の地元料理を出すとのことで、わざわざ葉さんが連れて行って、ご馳走してくれたようだ。料理は普段あまりお目に掛からないような食材で作られ、とても美味しかった。宜蘭というのは、よほど裕福な土地だったのだろうか。

 

食後、宜蘭のバスターミナルまで送ってもらい、バスに乗り込んだ。行きと帰り、乗る場所は違うのだが、同じバス会社が運行している。実は台北と宜蘭は極めて密接に結びついている。特に新しい国道が出来た後、その便利さは格段に上がり、週末には台北から多くの観光客が温泉に浸かり、食事を楽しんでいるという。台北市政府前まで1時間で到着した。

 

それからMRTに乗り、予約した宿へ向かう。そこは林森北路と長安東路の角にあった。かなりきれいなに改装された宿で、個室は5階にあり、広いリビングがあった。今晩はお客が少なく、ほぼ独占できたのは嬉しい。ただシャワーとトイレが4階にしかないのはかなり残念。またタオルを借りると40元取られた。まあ静かだったので良しとして、シャワーを浴びてから寝込んだ。

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