雲南から江蘇、湖北の茶旅2017(11)恩施玉露はどこから来たの?

そのまま部屋に入り、休む。何とも激動の旅だが、何とかゴールに着けそうな気配。部屋も広いし、眺めも良い。ベッドに潜り込み、寝入る。夕方劉さんがやってきて、また車に乗る。どこへ行くのかと思っていると、少数民族の家などを再現したテーマパークのような場所だった。

 

そこにも恩施玉露体験館があり、劉さんの店に比べると伝統的な雰囲気を漂わせていた。ただここの店長も若い女性だ。彼女に歴史について聞いてみると『我々に聞くより、この本を読んだ方がよい』と言われたので、楊勝偉さんという方が書いたその本を購入した。中をパラパラめくっていると松下先生の名前なども出てくる。後でご本人に聞くと『90年代、3回は行ったよ』とおっしゃっていた。当時は不便だったろうが、『飛行機に乗ったらすぐ着いた』とバッサリ。さすが。

 

店の中を見回してみると、日本で手もみ茶に使っているホイロが置かれている。しかも文字も日本語と同じ焙炉と書かれていた。更にはおじさんがそこにやってきて、茶葉を扱い始めたが、どう見ても日本と同じように手で揉んでいるように見える。これは一体何を意味するのだろうか。日本茶について全く不勉強な私、焙炉はいつから日本で使われていたのだろうか。そして中国には元々こんな形のホイロはあったのだろうか。

 

そこへ恩施玉露伝承人と言われている蒋子祥さんが入って来た。第11代と書かれているが、日本的な数え方ではなく、同時期に学んだ『世代』を表している。彼の先生が先ほどの著者、楊さんという方らしい。私が歴史の話が聞きたいというと、40歳前後の蒋さんはすかさず、師匠の楊さんに電話を入れてくれたが、あいにく恩施にはいなかったので、今回の面談は叶わなかった。

 

という訳で、歴史については本を読めばわかると言われてしまい、それ以上話は進まなかった。特に今回の目的である『恩施玉露は中国独自の物か、日本が伝えたのか』という点については、『中国には昔から蒸し製緑茶は存在している』との立場を述べるにとどまった。そして目の前にある焙炉についても、『昔からあった』と話すだけだった。

 

まあ確かに自分たちが自信を持って作っている茶については『それは日本人が教えたんだろう』などと言えば、気持ちの良いものではないだろう。それでも蒋さんは私を客としてもてなし、夕飯をご馳走してくれた。最近常に思うことではあるが、歴史の勉強とは真に難しいものなのだ。様々な立場があり、しかも過去のことだから、実際にはよくわからないというジレンマ。その真実を明らかにしたという好奇心はあるが、それが一体何になるのだろうか、と考えてしまう。

 

食後は劉さんが近くの硒茶博物館に案内してくれた。このあたりの茶の歴史が語られていて興味深い。この地は以前より緑茶の産地として知られていたが、1850年頃に広東商人がやってきて、植えられていた大葉種が良質だと判断し、紅茶作りをさせたとある。これは同じ湖北の宜紅と同様の歴史だ。また茶馬古道の拠点でもあったとある。この辺で黒茶が作られたという歴史は見られなかったので、恐らくは運ばれる中継地点ということだろう。またここにも焙炉が置かれていた。

 

外では少数民族の祭りを再現したようなイベントが行われており、意外と多くの観光客が集まっていた。湖北省の外れにある恩施では、街を盛り上げるための観光業に力を入れている。その一環として、中国でも珍しい蒸し製緑茶の存在をもアピールしているようだ。実際販売している人に聞くと、ほぼ湖北省内で消費されているというこのお茶、一般の中国人の口に合うのだろうか。雨の中、劉さんの車でホテルまで送ってもらった。

 

4月12日(水)
切符を求めて

翌朝は晴れていた。何と昨日の蒋さんが『午後であれば茶畑に連れて行ってもよい』と言ってくれたので、その連絡待ちとなる。何しろ彼は茶作りの前に経営者であり、様々な雑事に追われている。いつ用事が終わるかはわからないので、取り敢えず明日の漢口行きの列車の切符を買いに行くことにした。

 

私が今いるホテルから駅までどのくらい離れているのかも分からなかったが、言われるままにバスに乗る。どうやら目の前の大きな道をまっすぐ行けばよいだけらしいが、なぜかバスは道を曲がってしまい、焦る。20分以上かかって何とか駅に着く。一昨日降りた時の印象通り、駅の付近は全く新しく作られた街だった。高鉄が通るとはこういうことだ。

 

駅の切符売り場に行くと長い長い列ができており、その列は屋外にまで達していた。こんなに客がいるのに、窓口は僅か2つしか開いていない。どうなっているんだ、これは。取り敢えず列の最後尾に並ぶ。いずれ改善されるだろうとたかを括っていたのだが、人はどんどん増えるばかりで、一向に列は進まない。

 

当然予約した切符を取らなければならない客は窓口に割り込みを図るが、他の場所と違って、ここの客は誰も彼らに譲ろうとはしない。譲っていてはいつになっても順番が回ってこないと分かっているのだろう。この状況で一番後ろに並んでも乗り遅れは必至だ。そうなるとまた窓口で変更などの問題が起き、時間が掛かる。悪循環だ。

 

結局1時間以上並んで切符をゲットした。この駅には自動販売機もあるのになぜこんなに人が並ぶのか。どうやら高鉄だけではなく、乗り継ぎの相談などもしているかららしい。駅ができたばかりの街、というのは慣れていないのだろう。いずれにしても人員が足りないのは致命的だ。

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