雲南から江蘇、湖北の茶旅2017(4)樹齢3200年の茶樹

皆今年の新茶の出来を気にして、また買付の算段のために、この山深き茶産地まで足を運んでいる。一番長い人で既に半月いるという深圳の女性がいた。『勿論自分の商品を確認するために来ているのだけれど、ここの環境があまりにも良いので長居している』と言い、もう2-3年前から毎年春はここにいるのだとか。そして『今年は例年より寒かったから、なかなか茶葉の芽が出ず、お茶が出来なくてさらに長居になっている』ともいう。確かにここは自然に囲まれた場所で、都会よりはるかに空気もよいし、静かだ。

 

この工場には来客用の宿泊所が作られており、何と3階建てで部屋数は10を超えている。現在も多くの部屋が埋まっており、私が街のホテルになったのも、実は満室だったからかもしれない。そしてお昼の時間になると皆が食堂へ行き、地元料理を頂く。これがまた美味いから、皆も飽きずに泊まっているのだろう。なんと素晴らしい環境だろうか。暇があればお茶を飲み、雨でなければ付近の茶畑を散策する。極楽生活だ。

 

昼ごはんの後は、宿舎の屋上から外を眺める。雄大な景色が広がっている。反対側を見ると斜面に茶畑が見える。案内されてその茶畑にもちょっと足を踏み入れる。結構古い茶樹が植わっている。説明によれば、1950年代に植えられた大葉種だとか。この葉を使って紅茶を作るのがよいという。土壌もしっかりしており、確かの紅茶作りに適した場所のようだ。

 

茶畑の方で激しい爆竹の音がした。今日は清明節、先祖供養のために人々が墓に集まるのだが、この茶畑の中に墓があるのだろうか。それとも茶農家だった故人を偲んで茶畑の中で供養しているのだろうか。いずれにしても、お茶と友の人生を過ごし、そしてこの地で逝った人々がいた、という事実が語られる、そんな清明節だった。

 

3200年前の老茶樹
何人かが車で出かけるというので付いていくことにした。どうやら相当古い茶樹を見に行くらしい。昨年は雲南省易武で1000年茶樹を見た。今回はどんなものが見られるのだろうか。車2台で出発。それにしても思ったよりその場所はずっと遠かった。山道を1時間ぐらい走ると、ダムが見え、そこで休憩した。この道路も十年ほど前、水力発電のためにこのダムができる時に作られたらしい。その前は道路がなく、あの茶工場も含めて、街に出るだけでも大変だったはずだ。だからこそ、いまだにあの自然環境が残っていたのだろう。

 

更に30分以上車に乗り、ようやくその場所に着く。茶畑が広がり、その間を歩いて行く。一応観光地のように整備はされている。小湾鎮茶王村と書かれている。ちょっと上って行くと、かなり背の高い木があった。表示があり、樹高8.3m、1000年以上の古茶樹となっている。但し大理茶とも書かれている。これはカメリアシネンシスではなく、タリエンシスということか。

 

その上の方に城壁のように囲われた場所がある。遠くに大きな木が見えた。『あれが3200年前の古茶樹だ』と言われたが、ちょうど管理人さんが清明節で出かけており、中に入ることは出来なかった。ただどう見ても、あの木もタリエンシスだろう。石に彫られた内容を見ると、中国をはじめ、アメリカや日本の専門家が『3200年前の世界最大の古茶樹』に認定したとある。そんなこと、簡単に認定できるのだろうか。軽い疑問は残ったが、古い木であることには違いない。一人だけ茶摘みしているおばさんがいた。

 

帰りは1時間半ぐらいで工場に戻った。実はこの会社、紅茶作りの他、プーアル茶も作っている。ここからかなり離れた茶葉の産地にもネットワークがあり、仕入れているらしい。ここに集まった茶商の中にも、紅茶よりもプーアル茶を求めてきた人たちもおり、彼らは明後日から茶葉の産地巡りに出掛けるという。私も是非ついていきたかったが、次の予定があるため、今回は断念した。

 

夕暮れ時、茶葉を担いだ近所の農民たちがやって来た。ここに茶工場があることは地元の農民にとって本当に貴重なことであり、また地元の若者に働く場を提供している。夕飯をここで食べ、車で送ってもらい、またホテルに戻った。今晩は外へ出て歩いて見た。10分ぐらい行くと、便利店があり、水などの飲み物も買えた。

 

4月4日(火)
博物館で

今朝も迎えが来てくれ、活動開始。今日は滇紅の歴史を知るべく、元国営企業である滇紅集団の博物館を訪問することになっている。滇紅集団は清明節中休み、と聞いていたが、張さんがアレンジしてくれ、街の顔役を通じて、博物館を開けてもらうことになっていた。何とも申し訳ない話だ。ただ役場に行くと、その人はまだ来ておらず、先に朝食。昨日とはまた別の麺を食べる。この麺線が何と旨い。

 

滇紅集団は元々、この街そのものと言ってもいい大企業だった。企業城下町という言葉がピッタリで、旧市街地の中心部に旧工場とオフィスがデーンと構えていた。新工場は2012年に郊外に作られており、基本的な機能は全てそちらに移っている。ここに残っているものは、今後歴史的な遺産として残されるものなのだろうか、それとも壊されていくものなのだろうか。この辺が大変微妙であり、滇紅の経済的な現状とも大いに関わってくるはずだ。

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