極寒の湖南湖北茶旅2016(10)南陽市の漢画

1225日(日)
南陽市へ

 

翌朝は早く起きるが寒い。周囲を散策しながら、朝ご飯を探す。油茶と書かれていたので、食べてみる。油茶とは、『熱した鍋に茶油を注ぎ、茶葉を入れて炒め、水を注いで中火にし、数分煮だしたもの』で、トン族、ヤオ族、ミャオ族など少数民族の食べ物と書かれているが中には油条のようなものが入っていた。漢族流なのだろうか。思ったよりあっさりしていて美味しい。この地方で昔から食べられていたのだろうか。ちょっと不思議だ。

 

もう一度会館前で壁を見て、それから昔埠頭があったと言われる場所へ歩いて行ってみる。だが今や影も形もない。往時は水運も使われたが、川の規模からして、道路の発達などで廃れてしまったのだろう。僅かに石段などにその影を見るが、今やそこに住んでいる人でさえ、その歴史は知らないだろう。それから街を少し歩いて見ると、やはり古い建物が多く、歴史は感じられた。

 

 

そして社旗を離れる時が来た。車で南陽市に向かう。そこに李さんの知り合いがいるらしい。市内まではすぐだったが、そこで道に迷い、電話して確認しながら進む。音楽家の知り合いとその奥さんに美味しい地元料理をご馳走になる。羊料理の店と書かれているが、何を食べても美味しい。こんなことを言っては何だが、今や中国では大都市より地方都市、それも小さな店にうまい店が多いように思う。地元の人の案内があるからだろうか。

 

南陽市に来た目的は、漢画館に来るためだった。今から2000年ほど前の漢代に、石に掘られた絵が沢山展示されている。動物を描いたものが多い。人間が踊っている絵もある。一つ一つに意味があるのだろうとは思いながら、余りに展示品が多いので、さらっと見るだけでも2時間はかかった。

 

李さんは一生懸命写真を撮っている。それにしても、よくもこれだけの物が、2000年の時を経て、我々の前に姿を見せたものだ。ちょうど小学生の子供たちが休日に親たちに連れられて見学に来ていたが、郷土の歴史は誇らしいようだ。河南省南陽市、その歴史は恐ろしく古いと言えるが、私はその意味を知る前にこの街を離れてしまった。

 

襄陽へ戻る

李さんの車は襄陽に戻って来た。先に知り合いを下ろして、一度李さんの家に行き、奥さんを下ろした。更には私の明日の武漢行きの切符を買いに行く。手数料5元ですぐに手に入るので有り難い。次に私の宿を考える。安い宿は暖房が効いていない可能性があると言い、彼の知っている特別の宿へ案内してくれた。確かにそこの部屋は非常に暖かかった。暖汽、北京の部屋も暑かったが、何とも懐かしい。

 

外は雨が降っている。もう今晩は一人で適当に軽くご飯を食べようと思ったが、李さんは気を使ってくれ、宿まで迎えに来てくれる。今日はクリスマスだが、中国には関係ないか。奥さんも1泊旅行に一緒だったので許してくれたのだろう。それほどお腹は空いていなかったが、羊鍋を食べた。あまりにうまいので、結局かなり食べてしまい、動きが鈍くなるほどだった。

 

李さんからは、様々な資料を見せてもらった。その中には1910年代に、漢口にあった日本領事館から外務省宛に『襄陽の重要性を調査したい』との公文書も残されていた。その時代は未だ万里茶路が幕を閉じてすぐであり、茶葉貿易以外にもまだまだ物資は動いていただろう。今では想像できないことだが、当時はここの重要性が際立っており、各国も注目していたようだ。日本はここで何かをしようとしただろうか。開発計画という言葉が見えるようだが。

 

1226日(月)
漢口へ

 

翌朝はゆっくり起きて、ゆっくり漢口へ帰ろうと思っていたが、李さんから電話があり、地元の新聞記者が取材したいと言っているというので部屋で待っていた。李さんが私の旅を面白いと思い、記者に売り込んだらしい。やって来たのは女性記者で、1時間ほど万里茶路や私の茶旅について、話をした。私もこういう形で話をする機会はなかったので新鮮だった。相手の質問に答える方が、自ら話すより話しやすいのかもしれない。因みに数日後、これは記事になり、ネットで見ることができた。

 

朝から降っていた雨は殆ど止み、タクシーを拾って駅へ向かった。駅は旧市街から見ると郊外に位置しているようだった。それでも15分位で着いてしまい、時間があったので、駅前で携帯電話の入金を行う。そしてまた一昨日来た道を漢口に向かって帰っていく。もう日本は年末、そろそろ日本へ戻りたいという里心が出てきた。

 

8. 武漢3
休む

 

漢口のホテル、今回は何の問題もなくチェックイン出来た。この1週間で3回目だから流石に大丈夫だった。このホテル、古いが部屋は広く、何より落ち着ける。これでホテルサービスがきちんとしてれば、言うことはないのだが、まあ仕方ない。まずは部屋で昼寝する。それからいつもの腰花麺を食べに行き、飲み物を買い、部屋に戻ってテレビを見ながらゴロゴロする。正直相当に疲れていた。湖南から湖北へ、縦横無尽の移動、これは堪えた。

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