極寒の湖南湖北茶旅2016(9)圧巻の社旗 瑠璃照壁

そこからまた川沿いに出た。そこには先ほどとは違い、埠頭の跡が立ち並んでいた。全部で30近い数があったという。しっかりした門があるものもあり、名前が明示されている埠頭もある。ここから荷が運ばれたということだろうか。この付近だけが残ったということか。正直よくわかない。

 

この川沿いには高層マンションが立ち並び始めている。李さんによれば、この街の不動産はどんどん高くなっているという。私は襄陽という街がどうしてこんなに発展していくのか理解できなかったが、李さんは『だってここは東風汽車があるからさ』と一言で片づけた。そう、中国三大汽車の一つ、東風汽車の工場がここの郊外にあった。そして日本の日産やホンダとの合弁会社もここにある。意外と外国人も多く住んでいる街なのかもしれず、マンションは自動車関係者の需要に応じているようだが、どうだろうか。因みに当たり前だが街には東風の車が沢山走っている。

 

襄陽城という、城壁がほぼ完全に残っている場所には驚いた。中国各地に行ったが、ここまで城壁に囲まれているのは初めての光景だった。襄陽は三国志の舞台としても有名なところらしい。襄陽の戦いでは呉の孫権の父、孫堅が討ち死にしている。その時代からこの漢江の畔は、重要拠点だったということだろう。それにしても、後世にこの城が残っているのは何とも不思議だ。

 

城内に入ってみると、観光地として、土産物屋などが並んでいる。それはちょっとわざとらしい、中国のどこにでもある風景だが、裏に回ると、ちゃんと人が住んでいる。住人も何代にも渡ってここに住み、この街の繁栄を眺めてきたのだろうか。ここはさすがに再開発にはならいだろうが、立ち退き問題は起こりそうだ。

 

昼ご飯は牛肉麺を食べる。さっき見た回族の肉売りのことが思い出される。襄陽の名物が牛肉麺だとすれば、それはやはり回族の影響だろう。貿易の街らしい名物というものはあるものだ。それにしてもこれは濃厚なスープで美味い。麺もしっかりしている。もうこの辺は米文化ではなく、小麦文化なのだろうか。それにしても、万里茶路を訪ねてきた私としては、襄陽は書面上では重要拠点であるが、それほど保存されたものがない、そして勿論茶畑もない、という結果を見るだけだった。

 

社旗

李さんの車は郊外へ向かう。まずは李さんの奥さんが車に乗り、更に彼の知り合いの男性を乗せて、社旗へ。今日はこのメンバーで社旗に泊まる、1泊旅行に出たわけだ。突然の展開だが、私の旅としては望ましい。車は高速道路を1間ほど走り、それからはローカルな道を1時間ほど行く。ここは既に湖北省ではなく、河南省に入っていた。南陽市とある。

 

街に入ると、そこは時代劇の舞台のような雰囲気があった。街全体が観光地といった様相だ。そこに博物館がある。その横へ行ってビックリした。大型のスクリーン、と言えばよいだろうか。あでやかな壁がそこに存在していた。瑠璃照壁という、高さ15m、幅10mの、見る者を必ず引き付ける、龍や牡丹の図柄が色鮮やかに輝く、まるで黄金の壁とでもいうようなものがあった。これにはしばし声が出なかった。

 

この壁がある場所、それもまた山陝会館だというではないか。襄陽で見た物とは違って、こちらは完全にその形が残っており、今は入場料を取って観光客に見せている。李さんは各地の会館を調べる中、こちらのオーナーとも連携しており、今日もガイドさんをつけて我々を案内してくれた。

 

門を潜ると、裏側にも照壁があり、こちらの方が更にはハッキリしていた。中庭、本殿など全てが揃っており、李さんによれば『これほど完璧に当時の姿が残っている会館は珍しい』という。確かに200年にも渡って、きちんと残されているのは、ここが発展しなかったからだろうか。そしてここへ来て、万里茶路の重要拠点、茶畑の無い世界でも道は存在していたと実感できるものだった。大興奮。

 

会館の周りも、全て古い街並みが残されており、観光客向けの宿や土産物屋、食堂が並んでいる。その中には博物館として物を展示しているところもあり、見学する。特に金融関係の票号など、貿易の街には必須のアイテムはチェックした。河南省から山西省にかけては、農作物が育ちにくい場所もあり、貿易や金融で生きていくしかなかった、ということだろうか。

 

福建会館など、他の会館や商家も多くある。大きな廟もあった。ここで商売繁盛を祈願したのだろうか。これも万里茶路では重要アイテムだ。商人には商売祈願の廟が必須だ。だが、その廟の中へ入ると、本殿の背後に、大きなモスクが見ているのが何とも異様だ。だがそれは回族の活動拠点である証であり。ここでは様々な貿易戦争が起こっていたのではないかと想像できる。

 

夜は山陝会館の女性オーナーを食事した。彼女が連れて行ってくれたのは、やはり回族料理だった。この辺ではポピュラーなのかと思っていたが、何とそのオーナーも回族だった。何とも恐るべし、回族。その夜は何とクリスマスイブ、でもイスラムには関係なかった。会館のすぐ近くにある古めかしい宿屋に投宿した。李さんたちは夜の散策に出掛けたが、私は疲れたので部屋で休んだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です