極寒の湖南湖北茶旅2016(5)長江への中継地 新店

今日は茶荘へ行くことにした。実は半年間に武漢に来た時、福州の魏さんから紹介されていた場所が2つあったのだが、その時は結局行くことができなかったので、この機会に訪ねてみる。ホテルの最寄り駅ではいつも地下鉄2号線のお世話になっているが、今日は1号線に乗る。どこにあるのかと探してみると、何とモノレールだった。都市の最初は地下鉄ではなく、空中というのは台北などもそうだったかな。

 

ここの切符の自販機、壊れている。行先を押しても反応しないから、代金が分からない。適当に4元を入れると、ちゃんとチップが出てきたのだが、損したのだろうか。1号線から3号線に乗り換える。私は漢口から漢陽に移動しているのだが、地下鉄では全く分からない。初めて降りた駅では、道に迷い、大回りして、茶城に何とかたどり着く。

 

知音という名の茶城、その中の敷地も広く、建物もいくつかあり、戸惑う。何とか探し当てたそこに、平さんがいた。彼は以前茶を求めて全中国を歩き回った経験があるというので、私と近いものを感じた。茶葉を売るというより、茶文化を売るという感じだろうか。物腰も柔らかく30代半ばとは思えない、落ち着いた雰囲気がある。茶壺にも力を入れており、宜興に出向き、提携を計ったりしている。

 

彼が淹れてくれたお茶を頂く。何となく慌ただしく過ぎていく日常にストップをかけるような、ふとした安らぎを感じた。こういうことは稀な私、やはり平さんの持つ雰囲気のせいだろうか。ここはお店というより、一種の空間であり、空間というのは人が作るものだ、としみじみ思う。

 

昼頃になり、ご飯を食べようと誘われる。彼は湖北省の出身だが、武漢から少し離れた場所らしい。そこの郷土料理が食べられる食堂があるというので行ってみた。正直私は湖北内での味の違いは分からなかったが、かなりのピリ辛。それが寒い日には非常にマッチしていて、ついつい食べ過ぎてしまう。湖北は、冬は寒く夏は暑い土地柄。どちらにしても辛い物を食べるのがよい。

 

午後はまた地下鉄で3号線から4号線に乗り換えて。復興路まで行く。その駅のところに陸羽茶城がある。こちらは昔からある茶市場の雰囲気があり、ちょっと狭いスペースにぎっしりお茶屋が並んでいる。その一軒、ちょっと雰囲気のあるお店が目指すところだった。茶市場とは少し違うような。

 

中に入ると、数人の女性が茶を飲んでいたが、一斉に立ち上がり帰り支度をする。日本人が来ると聞いていたのだろうか。店は一気に静かになった。ここには白茶やプーアル茶など、湖北とは関係のないお茶が並んでいた。店主の戴さんも落ち着いた感じの人で、ゆっくりとお茶を淹れてくれた。魏さんの周りには、このような茶文化を愛する人々が集ってくるらしい。これは歓迎すべきことだ。

 

戴さんたちは、4月に湖北省の恩施というところで緑茶作りをするそうだ。そこは恩施玉露という中国では珍しい蒸し製緑茶を作っていると聞いている。これは日本と同じ製法なのだろうか、そして玉露という名前はどこから来たのだろうか。興味があるので来年の春にお邪魔すると伝えて、茶城を後にした。夜は腹が一体だったのでフルーツだけ食べて寝入る。

 

1222日(木)
羊楼洞へ

 

翌朝は午前7時に王さんがホテルに迎えに来てくれた。王さんは湖北の歴史を研究している人で、著書もあり、詳しい。前回もお世話になった萬さんに依頼したところ、王さんも同行して旅をすることになったのだ。2人で武昌駅へ向かう。萬さんの車で出発する集合場所だった。だが武昌駅も広く、参加者が集まるのに時間が掛かる。最終的に5人で出発する。

 

私の今回の目的は、武漢から北の万里茶路の道を歩くことだったが、無情にも車は南に向かっていく。どこへ行くのかというと、前回も訪れた羊楼洞、あのロシア人が150年前に建てた茶工場があった場所だった。まあ、もう一度行ってみるのもよいかと、流れに任せてみる。

 

6. 羊楼洞
新店

 

車で1時間ぐらい行ったところに新店という小さな町があった。車が停まった場所には新店明清石板街、と書かれている。ここは古くから栄えた物資の中継基地で、近くを流れる川から長江に繋がり、武漢へと輸送していたようだ。石板街と言われる古街は、羊楼洞のそれより、趣がある。また今回のメンバーは歴史研究の専門家や写真家であり、地元民との交流もスムーズで、人の家の中を見学したり、その由来を実際に聴取したりと、大いに勉強になる。

 

川に出て行くと、王さんが『水位が上がるとあそこまで行く』とか、『この古い倉庫は往時の名残だ』とか説明してくれる。更に橋が架かっており、向こうへ行けば湖南省だと言われて、驚く。ここは省境だったのか。湖北側ではこの時期、豚肉などを外で干している。湖南側では豚肉を捌いている。これが湖北と湖南の違いさ、と言われても、こんなに近いのに川一本隔ててどうして違うのだろうか。島育ちの私などには見当もつかない。

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