極寒の湖南湖北茶旅2016(3)本当に茶馬古道はどこに

今日の夜は早く寝るぞと思ったが、やはりそうはいかなかった。魏さんはどこかへ連絡を取り、出掛けるという。ホテルから川はすぐで、そこは映画のセットのように煌びやかだった。なんでこんな田舎に、そんな輝きが必要なのだろうか。橋を渡ると向こう側はひっそりしており、明るさはなかった。傘を差して歩いて行く。

 

そこは小さなお茶屋さんだった。お客が一人、茶を飲んでいた。そこへ若い感じの男性が入って来た。安化茶業協会の会長だという。お客だと思っていたのは、顧問格の人だった。ここでも安化紅茶の歴史については型通りの答えだった。そしてやはりこれからの安化は黒茶で行く、それが政府の方針なのだと説明された。紅茶は元々輸出品であり、産量が多かったと言っても、地元の人間は飲んでいなかったという。黒茶は近年健康に良いと言われており、中国人全般が飲むお茶として志向されている。

 

1219日(月)
紅茶研究所へ

 

翌朝は雨が降っていた。今日は取り敢えず、安化の茶博物館へ行こうと思っていたが、何と月曜日で休館だという。ただここは黒茶の博物館だが、その横に紅茶研究所があり、そこは開いていたので、あさイチからお邪魔した。そこは古民家を改修した作りで、中には予想以上に多くの展示品があった。

 

湖南における紅茶の歴史が時系列に表示され、1915年の万博についても写真などを交えて、詳細に説明されていた。更には湖南から雲南へ紅茶技術が伝播したことなど、色々とためになる情報が飾られており、助かった。また雲台山の大葉種で作られた紅茶、何となく興味が沸くが、今回雲台山に行けなかったのは何とも残念だった。

 

洞市で

 

後は雨の中、観光となった。洞市という場所まで車で1時間ほど移動。かなり強い雨が降っており、山道はちょっと危険。茶馬古道の起点の一つと言われた場所を訪ねたが、そこにあったのは、後から建てられた記念碑だけだった。地元の人に聞くと『茶馬古道の1つの道として茶葉が運ばれたことは事実だが、それほど重要な場所だったとは聞いていない』という。結局は政府が茶馬古道をネタに予算を取り、こんな記念碑を建てて、後のお金はどうしたんだろうか、という話になる。最近このような光景が中国各地で見られる。

 

洞市の小さな街に戻ると、そこには古街があった。茶荘もいくつかあったようだ。ここの方がよほど歴史的には価値がありそうだったが、保存しても金にならなければ政府も手を出さないという。一部では解体工事が行われており、後にはきれいな土産物屋などができるのだろうか。一度壊したものは元には戻らないのだが。

 

雨が降り非常に寒い山の中だった。早々昼ご飯を頂く。山の幸がふんだんに出てきて堪能したのだが、驚いたことがあった。何と地元の男性3人と魏さん、そして香港から来た魏さんの友人はいつの間にか広東語で会話しているのだ。魏さんは香港籍の華僑であるので、話せるのは当然なのだが、この山の中のおじさんたちが普通に広東語を話すとはどういうことだろうか。

 

聞いてみると『俺は深圳に20年居た』とか『珠海で15年出稼ぎしていた』というので納得した。90年代、仕事のなかったこの地域では広東省への出稼ぎが一般的で、それも長期にわたって家を空けていた。向こうで生活するうちに自然に広東語を覚えたという。そして彼らは一様に『故郷へ戻ってきたのはここ数年だ』という。2010年以降の黒茶ブームで、田舎に仕事ができたので、年齢的なことも考慮して戻って来たらしい。茶業が仕事を生み出しつつあった。

 

食後、怡泰福茶荘というところへ行った。この茶荘は、150年以上前からある老舗で、茶貿易が盛んになった頃、出来たとみられる。往時を偲ぶものは古い看板ぐらいだったが、奥には囲炉裏があり、懐かしい雰囲気は満載だった。私は初めからここに来て数日泊ればよかったのだ。そうすれば茶畑を見ることも出来のだが、今日は大雨でとても行くことは叶わない。次回はぜひここを訪ねよう。

 

もう帰る時間になってしまったのだが、折角なので、この街の歴史的な遺産である永賜橋を見ていくことにする。特に期待していなかったのだが、驚くほどに形の良い木造の橋がきれいに架かっていた。きちんとした屋根が付いているので雨でも濡れなかった。往時は馬が茶葉を積んでここを渡ったという。これぞ茶馬古道だろう。絵になる風景だった。

 

安化の日程を終え、長沙に戻る。魏さんたちは今晩のフライトに福州へ戻ることになっており、私は長沙でもう1泊する予定だった。今日はずっと雨、それも時折激しい雨が降る天候で心配されたが、やはり途中、渋滞に嵌ってしまう。一度渋滞になってしまうと、何とも動かない。長沙の近くまでは来ていたが、ついにフライトに間に合わないという事態になってしまった。結局明日の高速鉄道に乗ることに変更して、魏さんたちももう1泊することになった。この辺の変更の素早さに中国人は慣れている。

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