中国鉄道縦断の旅2015(3)観光地瑞麗と極寒の大理

1217日(木)
国境散歩

国境の街は朝8時にようやく明るくなる。フラフラと街歩きが始まる。天気は悪くない。国境まで行くと、人はまばら。やはり中国側は観光客で賑わっていただけで、普段は静かなのだと分かる。宝石店も皆閉まっている。国境のビルからずっと境界線が敷かれている。だがどう見ても、夜は潜り抜けられそうな代物だ。この線を越えてくるミャンマー人はどれぐらいいるのだろうか。逆にここから出て行く、逃げていく?中国人もどれほどいるのだろう。

 

朝飯は雲吞米線にした。熱々でウマイ、8元。それほど寒くはないが、ダウンを着たまま過ごしている。ありえない状況だ。10時前に再度国境ゲート付近へ行くと、観光客が増えていた。孫悟空の着ぐるみを着た芸人が客に笑顔を振りまき、チップを求めている。ミャンマー側へ行く客は殆どいない。

 

 

疲れたのでお茶でも飲もうと思い、ミャンマーティの店に入る。しかし何と店員と言葉が通じない。客もすべてミャンマー人、昼間もこういう世界があるんだ。横の客が通訳してくれ、ようやくミルクティにあり付く。S氏もミャンマーで飲んで以来、大好きになっている。

 

3. 大理へ
出発しないバス

昨日の運転手が11時半にホテルに迎えに来た。ここが今回スタート地点だが、残念ながら鉄道がない。まずは鉄道のスタート地点、大理まで速やかに移送するため、昨日のうちに頼んでおいたのだ。でも昼のスタートは予想外に遅い。しかも迎えには来たものの、出発しない。客が満員になっていないのだ。この運転手、毎日のように800㎞の道のりを往復している。赤字になる運行はしない。

 

瑞麗大道沿いで車を停めて『まずは昼飯を食え』という。早く走ってほしいのだが、それは無理な相談のようだ。どう考えても路線バスに乗った方が確実だった。でも今更仕方がない。飯を食い、周囲を歩き時間を潰す。更には午後1時過ぎてから郊外の物流センターに客を拾いに行く。ようやく1時半に瑞麗を離れる。この物流センター、規模が大きい。乗って来た客は何と山東省から3日以上掛けてトラックを運転してきたらしい。今から故郷へ戻るというのだ。

 

昨日のパスポートチェックポイントに着く。今回は係員がやって来た。運転手に色々と聞いている。どうやら我々の行動が特殊だったため、怪しまれたらしい。それはそうだ、観光だと言いながら、昨晩着いて、すぐに引き帰している。何か運んでいるのではないかと思われたらしく、荷物を全て検査される。我々の旅を彼らに説明してもきっと理解されないだろう。何しろ私自身が理解していないのだから。

 

何とか解放され、またバスに乗り込む。既に相当に疲れていた。他の客にも迷惑な話だったが、今日は乗っている客同士の会話もあり、Nカメラマンも加わっている。今日中に昆明に行き、明日のフライトに乗るという男性2人は、運転手の口添えもあり、1部屋に2人で泊まり、経費を浮かせる話にまでなった。さすが中国だ。

 

この瑞麗から昆明への道は、戦時中援蒋ルートと呼ばれ、重慶の蒋介石軍に米英が物資を供給した道だという。勿論日本軍もそれを阻止しようとして、爆撃などを繰り返したらしい。この道はミャンマーのティボーやラショーでも出て来たルートであり、これも1つの茶葉の道でもあったと考えられるが、今はその痕跡は見られない。

 

車に空きがあり快適に移動していたが、運転手の携帯が鳴り、保山で4人の乗客と大量の荷物を拾うことになった。もうこの時点で午後5時を過ぎていた。一体いつ大理に着くんだ、と叫びたくなる。結局夜8時に大理着。滅茶苦茶寒い。今晩はここに泊まるだろうと思って油断していた私が悪かった。大理の駅へ入り、切符を確認すると何と1時間半後の昆明行きが買えてしまい、大理は夕飯を食べるだけになってしまう。ここは実質のスタート地点だよ、そんな滞在でよいのか、と誰も聞いてくれる人などいない。

 

 

駅構内の食べる所は見当たらなかった。カップ麺でも買って食べるかと思ったが、駅の外へ出てみた。駅前には屋台だけがあった。温かさそうな湯気が出ていたので、つられてそちらへ向かう。小雪が舞う中、とにかく寒いので、米麺と包子を頼んだ。しかし待っているのは完全な外だ。風邪ひきそうで、泣きそう。

 

驚いたことに、屋台の女性はこの寒いのに赤ちゃんをかごに入れておぶっていた。これは寒いだろうが、この夫婦はこうしなければ食べていけないことを物語っていた。そこへやはり出稼ぎかと思われる若い男女が寄ってきて、一生懸命その赤ちゃんをあやし始める。これが中国の良いところだ。その光景には、本当に泣きそうになってしまった。中国の貧富の差とはなんと過酷なものなのか。そんな中でも懸命に生きる人たちがいる。

 

夜の9時半に、暗いホームから列車は大理を発った。直前に切符を買ったので、硬臥中段(2人は下段)になっていた。中段は初めてだったが、結構広い。隣の席に座っていた夫婦がお茶を飲み始めたので覗き込むと茶葉をくれた。プーアール生茶だった。どうやらお茶屋さんらしい。それを飲んでから、すぐに寝入る。5時間は寝むれた。朝4時に列車は極寒の昆明駅に入った。

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