中国鉄道縦断の旅2015(2)長い長い瑞麗まで道のり

1216日(水)
2. 瑞麗
瑞麗行きのバスに乗るも

8時、起きてたまげた。何と雪がパラパラと降っている。えー、12月とは言え南だろう、と言っても始まらない。ホテルの朝食も何となく冷えている。すでに心が萎えている。こんな日はどうするんだろうか。それでも外に出た。そしてどうやったら瑞麗に行けるのかの調査が始まった。普通はそれを調べた上で来ると思うのだが、この旅にはそんなものはない。全てが現地対応だ。

 

駅前を歩いていると、バスターミナルのようなものがあった。チケット売り場があるのかと覗き込むと、カメラマンのNさんが『ここから瑞麗まで直行バスがあるようだ』と言い、一人の切符売りと話し始める。9時には出るから、乗るならすぐ来い、と言われ、ホテルに戻って荷物をまとめ、慌てて取って返した。

 

そこは商店の前だった。男達がたき火をしている。それほどに寒い。そこで待っていると、ミニバスがやってきて、乗客が乗り込む。ぎゅうぎゅう詰めだ。中国人のおばさんは『これは本当にバスターミナルへ行くのか』と叫び、納得できずに降りて行った。そう、今や中国人でも騙される危険があり、誰を信じてよいか分らない。だが我々にとってはこんな旅が欲しいので、そのまま揺られていく。

 

街を少し走り、9時半ごろ、郊外のバス会社に到着した。ここで客を集め、出発するらしい。それにしても寒い。たき火しているので、そこへあたりに行く。昔は皆がこのようにして暖を取り、自然と輪ができていたと分かる。トイレは横の倉庫の中。ボロボロだ。いつになってもバスは出ない。しかしここまで来たら待つ以外方法はない。バス代もすでに払っているし、街に戻るのも大変だ。

 

10時過ぎにようやくバスが来た。ミニバスだ。ところが最後に乗り込んだ若い女性3人がチケットを買っていなかった。お金はないという。行先で待っている人が払う約束になっているというので、そちらに電話が回る。そこで、払う、払わないで押問答が凄い。他の客は、あの三人早く降りろよ、と言いたいところだが、誰一人言わない。でも本当に一人でも減れば座るのが楽になるんだが。荷物は後ろにも思いっきり積み込んでおり、後ろの三人は大変だ。

 

何と11時を過ぎた。ついに電話の相手が折れ、携帯で代金を振り込んだらしい。この辺が今の中国の凄いところだ。こちらの会社の人間が入金確認のショートメッセージを受け取り、ついに出発した。最初にバスに乗ってからもう2時間以上が経つのに、まだ昆明だ。すぐに高速に乗り、スピードが出る。でも雪だからあまり速いのも怖い。

 

午後2時頃まで猛スピードで走り、サービスエリアに入った。運転手の昼ご飯の時間だ。我々も何か食べようと見渡したが、特に何もない。寒いので麺を食べる。10元、ちょっと辛い。その後大理を通過して、保山へ向かった。4時間後に、サービスエリアに入る。もうかなり疲れていた。

 

ここで例の代金でもめた3人ともう一人男性が降りて行った。3人娘は迎えが来ており、また乗り換えだった。彼女らはどこかへ働きに行くようだ。どんな仕事なのだろうか。天気は良くなっており、南へ向かうので暖かく感じられた。景色も悪くない。もうすぐ着くよと言ってくれれば、晴れ晴れした気分になれるのに。

 

席に余裕ができたことは大きかった。でもバスは高速を降りてしまう。これはいい話ではない。前のおばさんたちの家まで行くらしい。彼らは龍陵という玉の産地で商売しているという。かなり狭い道を行く。夕闇が迫ってくる。何だか絶望的な気分になっている。おばさんたちは大量の荷物と一緒に降りて行った。

 

次は国境検問があった。場所は木康というところ。パスポートチェックが行われて、すぐに通過できた。まだ国境には相当あるはずだったが、なぜだろうか。また高速に乗る。そして夜の9時、ついに瑞麗に着いた。かなり大きな街で驚く。バスに揺られて10時間が経過していた。運転手にミャンマー国境へ行きたいと告げると、『この車は夜国境地域に入れないから、タクシーを拾え』とあっさり降ろされてしまう。仕方なくタクシーを見付けて姐告という半島の先のような場所へ移動した。

 

タクシーで着いたところは、確かにあの半年前に見た国境のゲートの反対側だった。だが今は夜で人はいない。村聯飯店というミャンマーの雰囲気の宿へ入る。フロントの女性はミャンマー人だが普通話ができる。3人で1部屋160元。かなり広いところだ。まるでミャンマーに戻った気分になる。

 

腹が減っていた。南国に夜のはずだったが、それでもダウンを着たまま出掛けた。涼しい。鍋屋の露店が出ている。よく見ると店員も客も皆がミャンマー人だった。すごい街だ。昼間は中国人が沢山いて、国境が閉まるとミャンマー人の街になる。ミャンマービルが出てくる。低い椅子に腰かけて、ミャンマー語が飛び交う。金だけは人民元だった。一体我々はどこへ来てしまったのだろうか。疲れと酔いでよくわからなくなる。

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