万里茶路を行く~北京から武漢まで(9)漢口のロシア人茶工場

そして更に行くと、ちょっとおしゃれな建物が見えた。中を覗くと普通に人が住んでいる。ここがあの順豊茶廠を作ったリビノフの屋敷跡だというのだ。建造年は1902年、リビノフが巨万の富を築いた晩年に当たるのだろうか。説明によれば、1917年のロシア革命までここに住み、その後一家はアメリカに亡命したらしい。リビノフの孫が1990年代に武漢を訪れ、昔の住まいを探したのだという。この建物も知らなければ通り過ぎてしまうもの。

 

この辺は租界が入り組んでいるのか、その横にはフランス人の屋敷跡もあった。そしてY字路に建っている建物が残っていた。ここが巴公房子と呼ばれたバノフハウスであった。バノフはロシア皇帝の親戚とも言われ、ロシア領事館の領事をしていたこともあるという有力者。その建物は独特だが、中の傷みは激しかった。

 

 

ついにロシア人が建てた茶工場、順豊茶廠の跡にまで辿り着いた。改修中で外からではプレートすら見えない。ほぼ間違いなく地元の人、専門に研究している人しか分らない場所だ。昔は大工場だったが、現在はその後方部のごく一部が残っているのみ。ここで茶を作り、そのまま前の道を渡って港へ運び込んでいたらしい。羊楼洞だけでなく、漢口にも茶工場を作ったリビノフ、どんな人物だったのだろうか。

 

ロシア租界には往時5つの茶工場があったというが、新泰茶廠の建物もあった。だがよく見てみると比較的新しい。1920年代に建て直されたもので、新泰大楼と書かれていたが、茶工場の跡ではなく、オフィスにしか見えない。それを話すと劉先生が『新泰の茶工場もあるよ』というではないか。その横の建物、一部の壁が非常に古い。そして道の反対側から建物に入ると、そこは地下道のように暗い。茶葉が運ばれた通路だった。

 

その奥にも小部屋のようなところが見える。その横から光が漏れていた。何と建物の中央部に出ると急に眩しい。現代的なショップ、レストランがそこに並んでいた。この建物は若者により、観光資源として活用されていたのだ。その一角に新泰についての説明がされており、古いブロックが置かれていた。『今や中国ではこういう形でしか、歴史的建造物を残す手段はないんだ』と劉先生は残念そうに話す。よく中国人が『日本の素晴らしいところは歴史的な建物も、産物をきちんと残しているところだ』というが、確かにそういう面はあるかもしれない。

 

東方教会の建物もあった。ロシア租界だから当たり前だが、今は中露の文化交流館として使われている。この辺にも武漢とロシアの交流が意外とあることを窺わせる。それほど広いとは思われなかったロシア租界、こうやって案内してもらうと、実に様々な歴史が見えてくる。やはり専門家の説明は有り難い。

 

今回のこの散歩には劉先生、万さん、Mさんだけでなく、数人の地元人が一緒だった。有名なカメラマン、物理学者、歴史好きなど、劉先生のお仲間だ。私のために皆さん雨の中出てきてくれたのかと思ったが、実は万さんがこれから『中国長征の旅』に出発するので、その壮行会を兼ねていた。1か月、中国共産党が行った長征、江西省から山西省までを車で訪ね歩くらしい。最近はこのようなテーマのある旅をする中国人が増えてはいるが、ここまで徹底するのは珍しい。万里茶路以上の大変さだろう。

 

626日(日)
9. 上海
上海へ

 

翌日は武漢を離れる。飛行機で上海へ出ようと考えたが、上海のS先輩より『出来れば高速鉄道で来い』と指示がある。飛行機はいつ飛ぶか分らないが、高鉄は時間通りだという。それほど大気汚染はひどい。30年前の留学中調べた時、武漢上海の列車は50時間かかっていた。だが現在は僅か6時間で行ける。漢口駅から乗り込むと、後は寝ている間に上海だ。まさに夢のよう。途中、南京あたりから、更に早い列車に抜かれているから、一番早ければ5時間で行けそうだった。

 

上海でどこに泊まるか。色々とアドバイスをもらい、検索もしたが、結局懐かしい静安賓館にしてみた。ここは30年前の留学時、よく来た場所だった。実はここにはパン屋があり、当時は貴重だった食パンが手に入ったからだ。パンを見つけると一斤ではなく、ワンケース買い込み、寮で知り合いに配ったものだ。お金があっても物のない時代、今とどちらがよいのだろうか。安い部屋を予約したら、味もそっけもない別館に案内された。

 

その後、お知り合いのOさんと会って、なぜかケンタッキーへ。何だかおしゃれな場所だったが、Wi-Fiがあるのに、地下で繋がらず。淮海中路付近は相変わらず、租界的な建物が散見されたが、漢口に比べるとやけにきれいに見えた。更に歩いて夕飯の場所へ。S先輩をはじめ、上海在住者が集まってくれ、楽しく過ごした。そして上海料理はどんどん深化していることもよく分かった。日曜日の夜の上海は賑わっていた。景気が悪いという話はどこからも聞かれなかった。

 

翌日の午後、浦東空港から東京へ行った。時間はかかるが、浦西から空港まで地下鉄に乗れば、7元で行ける。景気は良くても安いものは安い。次回はもうちょっとゆっくり上海の街も歩いて見よう。

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