万里茶路を行く~北京から武漢まで(5)武漢のホテル

前回も訪ねているので、市内から離れているが、タクシーで何とかたどり着いた。店に入るとすぐに劉さんが目に留まり、あちらもびっくりした顔をしている。事の経緯を話してお礼を言うと『今政府のイベントを抱えており、おまけに今度ここから引っ越すことになって忙しい』というので、早々に退散しようとしたが、なおも引き留められ、店の人がお茶を淹れてくれた。この店、お茶室も充実しており、とてもよいのに、引っ越すとは残念だ。

 

結局彼女は打ち合わせなどで忙しく、殆ど話はできなかった。代わりに店の女性2人が前回も行った羊鍋の店に案内してくれ、またまたご馳走になってしまう。ここの羊は実にうまい。モンゴルでは新鮮な羊は外せない。それにしても劉さんは忙しすぎる。体調を壊さないとよいのだけれど。

 

621日(火)

モンゴル族の憩いの場

 

翌朝はかなりゆっくりと起きて、体を休める。荷物をまとめると、外に出た。携帯が繋がらなくなることを恐れて、聯通に入金に出掛ける。今や普通の中国人は微信で入金できるので、わざわざ店に行って現金を払う客は珍しい。店員もどこから来たんだ、という顔をしながら、ネットで入金してくれた。手数料は1元だった。

 

昼はNさんと食事した。いつもは学内のモンゴル食堂だが、今回はキャンパスの裏を出たところにある食堂へ行く。そこは完全にモンゴル族しか行かない店だと一目でわかる。全てがモンゴル語でやり取りされており、漢族の学生や教師が来ることはないだろう。何だかモンゴル族の憩いの場、という雰囲気が漂う。

 

宿に帰って荷物を持ってタクシーに乗って空港へ向かう。呼和浩特空港は久しぶりだ。前回は空港でタクシーを捕まえるのが一苦労だったことを思い出す。今回はこれまた久しぶりの首都航空で武漢へ行く。この飛行機は10数年前、出張で北京から包頭へ通って時にいつも乗っていたが、ボロボロの印象があった。だが機体は新しく、個人用画面まであり、ちょっと驚く。

 

フライトはよくあることだが、ディレーした。特にこの頃、上海あたりでは高鉄で行ける所は、飛行機に乗るな、と言われるほど、遅れはひどかった。気象条件の変化、大気汚染の悪化、など、どれも中国の現状をよく表しているように思う。2時間ぐらい遅れて、飛び立つ。2時間弱で武漢の空港に着いた。

 

4. 武漢
ホテルまで

とにかくホテルに泊まれなくて探すのが嫌だった。呼和浩特ではNさんに世話になったが、武漢にも誰かいないだろうかと懸命に考えていると、一人の人物が浮かんだ。後輩のKさんだった。彼は以前深圳にいたのだが、故あって武漢に移ったと、FBで見た記憶がある。自分の古い携帯を引っ張り出し、番号を探すとまだ残っていたが、果たして使っているだろうか。

 

電話してみるとなんと繋がり、懐かしい声が聞こえてきた。彼は今漢口で日本料理屋をやっているという。そしてその場所はホテルの1階であり、そのホテルには安く泊まれるというので予約をお願いした。空港からそのホテルまでは空港バスが出ており、その終点だから乗り過ごすこともないと言われ、安心していた。

 

フライトが遅れたのでバスはもうないかと思いながら行ってみるとちゃんとあった。安心して乗り込む。30分も行くと市内に入り、2か所で停まった。さあ、次だなと思っているとここが終点だから降りろ、というではないか。街の真ん中だが、ここは一体どこなんだろうか。まあいいや、タクシーで行こうと思い、停まっていた運転手に声を掛けた。だが彼はそんなホテルは知らないという。

 

近所の人にも聞いてみたが、皆が首を振る。住所はどこだと聞かれ、知らないことを再認識。仕方なくKさんに電話すると、運転手に代われというので、携帯を渡すと彼は『なんーだ』という顔をして走り出した。そして10分ぐらいで立派なホテルの前に停まる。そこはホリデーインだった。今は経営が変わっているが、街の人は皆旧名の天安で覚えているのである。

 

確かに1階に日本料理屋もあった。部屋も昔の作りで広くて快適そうだった。Kさんにもう一度電話するとすでにお客さんと一緒に外へ出たから、明日会いましょうということになる。そうなると腹が減っていることに気が付く。外へ出るとなぜか腰花麺の店を見つけ、食べる。私の大好物だ。これなら辛くもないし、ちょうどよい。

 

宿に戻り、シャワーを浴びた頃、Kさんから電話があった。実は今晩のお客さんは香港の有名人Iさんだという。私も知らない仲ではないので、今から一緒に飲まないかとの誘いだったが、余りに遅かったので断ってしまった。それにしてもここまで来て、知り合いと遭遇するとは何とも奇遇だ。

 

622日(水)

朝起きるとホテルの朝食に行く。何とも懐かしい最上階の回転式レストラン。これは80年代、改革開放の一つの象徴とも思われる作りだった。当時は新しくできた外国人が泊まるホテルの多くが回転した。食事も満足のいく内容で、昔は高かったがこれなら宿代も相当安く感じられる。久しぶりにパンを食べ、フルーツも沢山食べた。

 

今日は鄧先生に紹介された咸寧の茶業者を訪問することになっていた。咸寧がどこにあるのかも知らなかったが、電話すると『とにかく高鉄に乗れ、駅まで迎えに行くから』というので、地下鉄で武漢駅まで移動して、そこから列車に乗った。なんと乗車時間は24分、近い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です