茶旅の原点 福建2016(15)保存されない古い鎮

河口で

王さんのお店はかなり立派な作りでお金が掛かっている。広い部屋でスタッフが淹れたお茶を頂いていたが、昼時になり、ご飯を食べに行く。それが終わると時間があったので、古鎮を散歩することにした。信江という川がある。ここから茶葉が運び出され、遠くヨーロッパまで運ばれたと思うと、ロマンチックだが、現在の状況は川で洗濯している人がいるだけの静かな川だった。ここは本当に茶葉の集積地だったのだろうか。港の跡さえ、見られない。

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古鎮を歩いて見ると、両側すべてが古い建物だったが、大体は100年ぐらいのものが多く、往時茶葉が集積した150年以上前のものは見いだせなかった。ただ建物の下に通路があり、製茶された茶葉がそこから直接河に運び出された様子を微かに垣間見ることができる。この街自体はそれほど保存されているという感じもなく、朽ち果てていくように見えるが、一部にプレートが掛かっており、歴史的意義は見いだせる。もう少し保存をしっかりすればよいのに、と案内のスタッフに言うと困った顔をする。

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土産物屋も数軒あるが、平日の昼のせいか、人は殆どいない。ひなびた古い街、洗濯物が干されるなど生活感もあり、決して嫌いではない光景が広がっている。一軒茶荘があったので入ってみると、天井の高い、2階建てだった。往時は茶葉の問屋だっただろうか。2階に茶葉を保管しただろうか。そこには河口の位置づけと、万里茶路に関する記述が飾られており、簡単な資料館のようになっていた。そこで茶葉も販売している。やはり万里茶路の勃興により、歴史が発掘され、文化が保存されていくのだろう。

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王さんの店の横にあるホテルにチェックインした。きれいでかなり広く、そして高くはない。理想的な宿であった。3時に店に集合ということで、昼寝した。何とも気持ちがよい。桐木は涼しかったが、この平地は少し暑いぐらいでちょうどよい。またお店に戻ると、この街の役人が来ていて、打ち合わせの最中だった。この人は王さんのお母さんの教え子だとか。先生だったんだな。中国では今でも先生というのは尊敬される存在で、卒業してもずっと敬われているケースが多い。日本はどうだろうか。

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車で郊外へ。街の外にやけに広い道があったが、車はあまり通っていなかった。そして巨大な建物も見えた。何だろうと思っていると、新町役場の建物だという。だが使われている形跡はない。2つとも不必要なものに見える。何となく聞いていると、この街の前の書記が『万里茶路』を材料に予算をもらい、この建物と道を建設したらしい。既に彼は別の街に異動しており、この街には使われない公共工事の遺物だけが残ったとか。だから先ほどの古鎮の保存も万全ではなかったのかと、一人合点する。これもまた今の中国の一つの側面だ。

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湖書院という古い建物を見学する。1175年、この地で朱熹など4賢人が集まって討論したという歴史的場所。今残る建物は300年前、清代の建造というからこの付近では相当に由緒ある建物となっている。南宋時代は首都臨安へ行く道がここを通っていたというから、やはりここ河口は昔からの交通の要所。それにしても静かな堂内だが、今の中国人でこのような場所に関心を持つ人は殆どいないことがなんとなく残念だ。歴史の保存より、現代の建築、街の発展よりおのれの蓄財、中国は曲がり角には来ているが、うまく曲がることは難しいようだ。

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皆で夕飯、豪勢な地元料理を頂く。食後の散歩で、もう一度古鎮の方へ歩いて行く。特に観光客がいる訳でもなく、若干のライトアップがあるのみで、基本的には暗かった。ここは十分に観光資源になると思うのだが、果たしてこれから街の政府はどうしていくのだろうか。静かな町はふけていき、私も早めに寝る。

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54日(水)
厦門へ

翌朝は早く起きて、街を散歩した。静かな田舎町、悪くない。ホテルの脇の麺屋で朝飯を頂く。これがまた絶品。内臓系が入り、卵焼きが載り、私好み。王さんのお店で少しお茶を飲み、別れを告げる。大変お世話になってしまった。更に車で高速鉄道の最寄り駅、上饒駅まで送ってもらう。ここまでも車で約1時間。河口はちょうど武夷山北駅と上饒駅の間にあることが分かる。上饒の街はマンションなどがたくさん建ち、河口よりは栄えているように見えた。切符は昨日買ってあったので、スムーズに乗り込む。

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魏さんと林さんは福州で降りていく。私だけが厦門まで乗って行った。明日の厦門発のフライトで東京へ行くためだ。今回もまた魏さんにはお世話になりっぱなしだった。1時間半で福州に着き、更に1時間半で厦門まで来てしまった。何とも速い。昔の鉄道なら10時間以上かかっただろう。そしてもし徒歩なら?茶葉が運ばれたルート、それは途方もなく遠い道だと実感する旅だった。

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