藤枝から愛知へ流れていく2016(4)カレーを食べて、迷子になって

 ようやく見つけたそのお店、週末の家族連れで混んでいたが、何とか席を見付けて座る。従業員を見ると全てインド人に見えたが、彼女は『全てネパール人』と小声で教えてくれる。それでもヒンディー語がなんとか通じるようで、色々と話していたのは良かったのかもしれない。出てきたカレー、インド中部出身の彼女にとっては、北部中心の料理は少し味が違っているようだったが、それでもお腹が空いているのか、どんどん食べていた。

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因みにインドでナンを食べている人を殆ど見ないが、日本ではチャパティを見ることは殆どない。インドではナンはチャパティの10倍するのに、日本ではなぜ同じ値段なのか。一口食べて『これはナンでなくて、パンですね』と彼女は看破した。帰る時に明日からの食糧としてチャパティをテイクアウトし、取り敢えず食べられそうなものを確保した。それにしても『日本では父親や母親までもが、子供の前でアルコールを飲む』というのに、ちょっと違和感があったようだ。インドのファミリーレストランではアルコールは一切出ない。

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大学のある駅まで戻り、寮に帰る前に、スーパーを探した。そこでも食べられそうなものを物色して、買い求める。食材に注意しながら、いくつか買っていたが、これは結構大変な作業だった。バンコックやハノイで出会ったインド人が、『大きなスーツケースを持っているのは、中にチャパティなど大量の食糧を入れているから』と言っていたのが、ようやくわかった気がした。ことは好き嫌いとか、我慢すれば食べられるとか、そういう次元ではないので真剣にならざるを得ない。ハラール食品などが注目されているが、インド人のことも考えて上げて欲しい。

 

家が見付からない

彼女と別れて、Iさんの家へ向かう。ここで急に心細くなる。名古屋までは車で連れてきてもらったが、新安城までどうやって行けばよいのだろうか。兎に角地下鉄で金山という駅へ行き、そこで乗り換える、と言い聞かせた。名鉄のホームへ行くと、電車が入ってきたが、新安城に行くのかどうかわからない。各停も来れば、急行も来る。どれに乗るのがよいのだろうか。

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取り敢えず急行に乗り込むとどうやら止まるらしいと安心した。30分後、下車。ここまでくれば大丈夫と思ったが、何と駅から家に行く道が分らない。駅のどちら側へ出るのだろうか。確か携帯に情報をもらっていたと思い、見ようとしたが、既に電池切れだった。あとは記憶を辿るのみ。駅から線路に近い道を行けば、と歩いたが反対側に出たようだ。更には目印の会社があったはずだが、見付からない。それが何とか出てきたが、最後に家に着けない。なぜだろうか。目印の車がないのだ。何とその車は昼間と反対向きに駐車されており、暗くて見えなかった。また近所の家も住所表示をしているところが殆どなく、何となく住所を思い出しても役に立たなかった。

 

駅を降りてから50分後、汗だくになって家に入った。そこにはSさんも待っていてくれた。『なんで電話しないの?』と言われたが、電池が切れると何もできないことを痛感した。二人は今晩豪華な食材を買い、美味しい夕飯を食べていた。私は疲れてしまい、しかもカレーで腹も一杯、何も食べられなかった。何とも損した様な気分になり、お風呂を借りて入り、布団を敷いて寝てしまった。

 

66日(月)
日がな休息

翌朝はゆっくり起きた。今日はもう用事がないので、東京へ行くだけだった。ところが朝、Iさんが『今晩、ポーランドのTさんが泊まりに来るよ』という。実は彼には7月にポーランド、チェコ、ジョージア、ウクライナに行きたいとお願いしていたが、その話ができていない。更には先日の幸之松さんのご夫妻もポーランドに和食を披露しに行くので、一緒に行かないかと言われ、話が混乱していた。ここで話をするのがよい、ということになり、Iさんには申し訳ないが、もう一晩お世話になることにした。

 

朝ご飯は何と茶粥を作ってくれた。茶粥と言えば、昨年Iさんのアレンジ、Sさんの運転で行った四国茶旅が思い出され、懐かしい。Iさんはいとも簡単に料理を作ってしまうが、なかなか手間がかかるものだ。朝から美味しいご飯を頂き、満足。そして部屋で旅行記などを書いて過ごす。お茶を飲みに降りてくると、やはりまた四国の話となる。四国の晩茶、碁石茶などの後発酵茶はなぜ存在するのか、四国にはどういう人々が海を渡ってきたのかなど、色々な本の紹介をしてもらった。

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お昼御飯も昨晩のご馳走の残りを十分堪能した。こんな生活でよいのだろうか、と思うほど、ゆったりして、美味しいものを食べて、知識を吸収した。午後もこのペースでダラダラし、夕飯もまた美味しく頂く。Tさんたちは一体いつ来るのだろうか。彼らが到着したのは午後9時、それからご飯を食べて、お茶を飲む。そしてポーランド行の話をし、結果的に私の旅は10月以降に延期となる。お客さんがたくさん来るのに、彼が一人では対応できないからだ。

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