タイ北部茶旅2022(4)ウィアンパパオ 暁の家で

そこからNさんの居場所までは一本道を歩いて行けると聞いたが、念のため車で迎えに来てくれた。Nさんはタイに関わって35年、山岳民族支援活動をずっとしているという。私はバンコク在住の知り合いから紹介されて、ここを訪ねることになったのだった。ルンルアンプロジェクト、元々は山岳民族の子供たちの教育支援で、現在の地に寮を作り、学校に通わせるものだったという。最初はバンブーハウスから始まった。既に寮は閉鎖されているが、敷地は広大で、寮として使われた建物も残っている。

事業は徐々に山岳民族の産業振興支援へと移っていき、2008年からはコーヒー栽培が始まった。そして5年前からはアッサム種を使った紅茶の製造も始めたというからすごい。山の人々は換金作物が必要であり、有機栽培のコーヒー、紅茶は主力事業になるという。紅茶を飲ませてもらったが、ほんのり甘い感じがする。

Nさんにお話を聞いていたが、その淡々とした語り口、淡々とした活動状況を知るにつれ、さすがに35年やっている人は違うな、と感心した。同時に35年の間には想像もできないほど大変なことも沢山あり、その結果として今日の『淡々ぶり』なのだろうと勝手に解釈した。猫や犬が実にのんびりと暮らしている。

寮だった建物は、日本から来る中高校生など、研修用に活用されている。様々な団体や個人がここを訪れ、何かを学んで帰っていくらしい。図書館もあり、かなりの日本語の本も置かれている。これも歴史がなせる業だろうか。鶏も飼われているし、隣には田んぼや畑もある。自給自足が出来そうだ。

午後5時を過ぎると夕飯の時間だ。スタッフ全員がそろい、スタッフの当番が作った蒸し鶏を頂く。これは美味い。食度はかなり大きく、30人来ても入れそうだった。京都の女子大学生が一人、研修で来ていた。『コロナの時期でご両親の反対はなかったか』と聞くと、何と『母は高校生の時、ボランティアでここに来ました』というではないか。筋金入りということだ。彼女の研究課題は『持続的な支援』だそうだ。

食後は各自過ごす。シャワーはお湯が出るし、トイレはきれい。部屋もシンプルだが、Wi-Fiも入るので、何の不便もない。日が暮れると非常に静かになる。そんな中でPCに向かい、日記などを書いていると、時間は過ぎていく。寝ようとすると、灯りで集まってきたのか、蚊が飛んできて刺されてかゆかった。標高500mはメーサローンに比べれば低いが、それでも涼しかった。

9月16日(金)チェンマイへ

朝6時前に起きた。ここのスタッフは既に起きて、掃除や朝食の用意をしている。朝飯のスープと野菜も美味しく頂く。Nさんは今日、支援者のお葬式があるとのことで、急遽朝から出掛けることになった。その短い合間に、私にコーヒーを淹れてくれ、美味しいバナナも出してくれた。Nさんと話した時間は決して長くはなかったが、何だか支援したくなるような人だった。

Nさんが出掛けてしまい、私もチェンマイに行くことになったのだが、そのバスまでまだ時間がある。折角なので周辺を歩いてみることにした。ここは平地であり、周囲にはコンビニも銀行もあり、ある意味で街中なのだ。子供たちが学校に通うにも便利だったのだろう。近くには大きな病院まであった。ウィアンパパオとは、どのような歴史で出来た街なのだろうか。交通の要所であったかもしれない。

午前10時にスタッフに送ってもらい、街中のミニバス乗り場へ行く。昨日既に席を予約してもらっていたのだが、始発から乗車したのは私だけだった。途中メーカチャンで数人が乗り込んだが、それでチェンマイまで行く。以前は一日に数便もあったチェンマイ行は今や4便となり、それも満員にはならない寂しさだ。88bで、チェンマイアーケードまで2時間で行く。

いつもは車で込み合っていたアーケード付近だが、何となく車が少ない。そしてバスに乗る乗客も多くはない。寂しい。取り敢えず予約した宿まで行くのにGrabを取り出したが、面白くないので、ソンテウおじさんに声を掛けてみた。やはりお客が少ないのだろう、Grabとさして変わらない料金を最初から言ってきたので、ソンテウで行くことになった。彼らの生活も大変なのだろうと思いながら、隙間から外の景色を眺める。

今回初めて宿を城内にしてみた。観光都市チェンマイがどうなっているのかを観察するのが目的であり、その為通常より良いホテルを予約したが、料金は日本のビジネスホテル並みだったので、それだけでもチェンマイの大変さが分かった。宿に着くと、立派なところだった。受付の女性が『え、一人で来たんですか、部屋広いですよ』と驚いていた。

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