
小雨が降っていることもあり、茶畑見学は明日となり、茶荘に入る。そこにいたのは茶の歴史についても詳しい邱さん。10年以上前に作られた釜炒り緑茶が振舞われ、「釜炒り緑茶は老茶になっても美味しく飲める」との説明を受ける。確かにこの緑茶、何となくミャンマーシャン州で昔飲んだ緑茶に似ているかもしれない。

更に客家擂茶について聞いてみると、「この地域には擂茶の習慣はないが、私の生まれ故郷にはある」といい、なんとその場で擂茶実演会が開かれてしまう。邱さんはじめ、陳さんなども実にうまく大きな擂こき棒を操るが、私は昔台湾の北埔で経験はあるものの、ほぼ腰砕けとなる。この様子を見ていると、確かに客家の一部に擂茶の習慣がある、と言われれば頷いてしまう。そして擂茶を飲んでみると、何とも美味しいのが印象的だ。

次に向かったのは百信という茶荘。ここは標高800mの山中で茶業と民宿を経営しており、茶畑もそこにあるという。ここもお茶は釜炒り緑茶が中心。煮出して飲む方法が一般的だったというのは先ほどの茶荘と同じ話だが、最近は椀で淹れる人が増えているという。椀で淹れた茶の方が滑らかな感じがする。本当は山の上の民宿を訪ねたかったが、今回その機会は得られなかった。

最後に茶葉協会会長張さんのところへ行く。彼は市議会の代表も務めているようで、会議が終わると戻ってきてくれ、河源茶の歴史について熱く語ってくれた。沢山の資料もくれた。梅州ではこのような専門的な人と逢わなかったので、これは大変有り難く、客家茶全体の歴史を理解する上で大いに役に立った。客家山歌や茶亭の話などは特に興味をそそられる。

更に張会長が晩御飯をご馳走してくれた。苦瓜、豆腐、河魚、春雨など、実に味付けの良い料理が並んで、美味しく頂く。これらの料理はかなりの日本人が好きだと思うが、日本には客家料理専門店を見かけないので、ここで思いっきり頂く。張さんは酒も飲まずにず、ひたすら私に茶歴史を語ってくれ、本当に有り難い。


宿は茶葉協会がアレンジしてくれた。洗濯機があったので洗濯を試みたが、乾燥機が小さくてなかなか乾かない。するとホテルスタッフが色々と気を使ってくれ、部屋で乾燥できるものまで持ってきてくれたのは有難かった。更にはドリンクを買おうとしたら、無料のドリンクを出してくれるなど、サービスは手厚い。やはり外国人が来ることなどほぼないからだろうか。

7月12日(土)龍川のお茶
翌朝も陳さんが迎えに来てくれ、車で1時間走り、龍川という街へ行った。客家はかなり以前に中原からやって来た、という説があるが、南部へ移動後、落ち着いたのが龍川だったという話しがあった。調べてみると紀元前秦国時代に南海郡が置かれ、後に南越国を建国する趙佗などが嶺南一帯を統括した。佗城鎮には今もその頃の城跡が残っている。

また街中には「越王井」という場所があった。趙佗に関する井戸が今も置かれており、水も出ている。ここはベトナムのキン族などの祖先と言われている百越の地。百越は非漢族系民族とも言われ、往時の南部には漢族は多くはなかった中、客家との関連をどのように考えるべきだろうか。

