ミャンマー激走列車の旅2015(14)ラショーで置いていかれて

 7月30日(木)
休息日 離脱

翌朝目覚めるとNさんが心配そうに声を掛けてくれた。そして昨晩念のために買っておいてくれたまんとうを渡してくれた。何とも有り難い。だが食欲は完全になく、動くことも出来なかった。布団をかぶったままだった。S氏とNさんは予定通り、今日のバスで次の目的地、タウンジーに向かうという。その強靭な体力と何より精神力には脱帽だ。タウンジーまでのバスは夜行便で10数時間はかかるはずだ。私はとても行けないので、ここでお別れすることにした。正直、ホッとしていた自分がいた。

 

最後に一緒に麺を食おう、というので、外へ出てみた。意外と体が軽くなっていたのは、気持ちの問題だったろう。だがやはり食欲はなく、麺をかなり残してしまった。托鉢している子供僧を邪険に追い返している店主がいた。一体どちらが悪いのだろうか。とても気になってしまった。体が弱っていると、自分の心も揺れていた。ホッとする自分と捨て置かれる自分、しかし体は言うことを聞かなかった。午前中にS氏とNさんは迎えのソンテウに乗り、バスターミナルに去って行った。呆気ない別れだった。残された私は部屋を変わった。それでも30ドル。10ドルしか違わなかったが、そこにはお湯を沸かせる機械があったので助かった。

DSCN6148m

DSCN6145m

 

その日の午後はずっと寝ていた。私は3人部屋でもすぐにぐっすり寝られるタイプではあるが、やはり一人で寝る方が格段に気楽である。そして何より時間を気にせず、揺れを気にせず、寝られることは大きかった。ただいつまでここに居るのかが問題だった。2-3日、このまま静養してもよいのだが、このラショーという街には何もなかった。環境も抜群というわけではない。少し体が楽になっていたので、明日ミャンマーを脱出してタイに移動することを決意した。

DSCN6162m

 

 

フロントへ行くと、旅行会社に電話してくれ、明日のタチレイ行きチケットを手配してくれた。S氏もこの方式でバスチケットを入手していたので、安心できた。100ドルを超える出費は痛いが、元気であってもヤンゴンまでバスで戻る気にはなれないし、タチレイまで外国人はバスに乗って行けないことも分っていたので、まずは順当な方法として、採用したまでである。タチレイまで行けば国境を越え、タイのメーサイへ。そこからは夜行バスでも、チェンライから飛行機でもバンコックに戻ることができる。この手配を終えると本当に安らかな眠りに就く。腰は未だ痛いが寝返りさえ打たなければ、問題はない。

 

7月31日(金)
ラショーを去る

翌朝の目覚めは悪くなかった。体も楽になったが、腰が痛いのでやはり動きは遅い。お茶を飲んでいると腹が減ってきた。昨日は殆どものを食べていなかった。外に出たが、ホテル前でやっているはずの屋台の麺屋は休みだった。いや、まんとう屋も他の店も閉まっている。ラショーの旧市街で一番目立つのはモスクだった。あれを見たとき気が付いた。今日は金曜日、イスラム教徒はお休みなのだと。そしてこの街にイスラム教徒が如何に多いのか、を実感する。

DSCN6166m

 

ウロウロしていると一軒だけ開いている店があった。そこで麺を頼んだのだが、漬物は付いているものの、やはりこれは中華麺だった。華僑がやっている店に金曜日は関係ないのだ。いや、恐らく年中無休だ。それが華僑、華人なのだ。中国国境に近いこの街でも経済を牛耳っているのは華人であろう。マイノリティなのに何ともたくましい存在だ。久しぶりに食べた中華麺は美味しかった。

DSCN6172m

 

それから市場をぐるっと回ってみた。茶葉も売られているが、これというものは発見できなかった。もう何年も前にTAMとここを一緒に歩いたことを急に思い出す。バロン族の花売りの写真を撮ったのだが、あのバロン族とはパラウン族とは違うのだろうか。パラウンならこの近くにたくさんいるし、何よりお茶作りをしている人が多いから、今なら非常に興味が沸く。だがそれを質問する相手はいない。何とも寂しさを感じる。

DSCN6168m

 

ホテルに戻り、チェックアウトの準備をする。ホテルで空港への行き方を聞くと、タクシーを呼んでくれた。昨日S氏も迎えのソンテウが来たので、同じ要領だと思った。飛行機代も安くないので旅行会社が空港送迎をつけていると、思い込んでいた。空港は一体どこにあるのだろうか。遠いのだろうか。何もわからなかった。ただタクシーに乗り込んだ。旧市街を抜け、新市街に入った。そしてそこを抜けるとすぐに曲がった。そこに何とも小さな空港があった。初めは空港とは分らなかった。車を降りると係員が来て私の荷物を持っていく。チェックインカウンターはなく、チケット売り場のようなところでチェックインが行われた。

DSCN6176m

 

この小さな建物の他には掘っ立て小屋の屋台があるだけだった。そこでは簡単な麺が食えるらしい。トイレすら見付からなかった。既に人はそこそこ集まってきていたが、椅子に座り切れない人も出ていた。その向こうにゲートがあり、門をくぐると滑走路があるようだったが、ターミナルビルすら見えなかった。地方空港でもここまで簡素な例を私は見たことがない。

DSCN6179m

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です