初の中央アジア カザフスタンを行く2014(3)アルマトイ ゼンコフ教会

居留申請

シャルハル氏が言う。『カザフは居住管理が厳しい。うちは大きなホテルではないので、直接役所へ行って、居留申請を行う必要がある』と。車で街中の役所へ出向く。かなりの混雑をしているが、誰が申請しているのだろうか。モンゴル系、朝鮮系、アラブ系やヨーロッパ系の顔立ちも多いが、誰がカザフ人か、正直我々にはさっぱり分からない。

 

申請には申請書がいる。当たり前だが、この申請書が読めない。実はカザフなのに街中の公用語はロシア語、文字はキリル文字で、さっぱり。すると申請書代行屋があるというので役所の外へ。そこにはさらに多くの人が出入りしていた。言語を解さない、文字を解さない人々が大勢いるのだ、とこの時に分かる。

 

ようやく書類を整え、パスポートと共に申請した。1時間後に取るに来るように言われ、それまで街を散策することになった。N教授の基本パターンは『まずはその街の地図を手に入れること』であり、行動に出た。が、本屋はなかなかない。小さな市場に古本屋があり、そこに破れたアルマトイの英語の地図が1つだけ売っていた。500テンゲだった。まあ破れた地図など買っても仕方がないと、やり過ごしたが、その後どこへ行っても英語の地図は見付からなかった。仕方なく後でその古本屋へ破れた地図を買いに行った所『さっき売れちゃった』と言われ成すすべがなかった。

 

この街にはヨーロッパ風の路面電車が走っていた。街自体が緩いスロープになっており、緩々と電車が走る光景はいい。向こうの方には遥か高い山並みも見え、スイスあたりの情景に近いような気もした。ただその道路脇では水が大量に流れだしていた。恐らくは水道管が破裂したのだろう。我々のホテルでも何度か断水があった。社会インフラはソ連時代のままなのかもしれない。

IMG_0084m

IMG_0089m

 

1時間後に役所に行くと、私のパスポートには居留許可の紙が挟まっていたが、N教授の方にはなかった。何とビザを取ってきた私は申請が必要で、ビザ免除で入国した人は申請不要だった。如何にも形式主義、社会主義的な管理手法だった。

 

ビールを求めて中華へ

アルマトイの街中は、もっと発展している=高層ビルが立ち並んでいるとばかり思っていた。資源大国であれば資金は潤沢で、その余剰資金が不動産開発に回る、それを当たり前のように考えていたのだが、ここは違っていた。ソ連時代の建物がそのまま使われており、店だけがきれいに改修されていた。KFCやピザ屋などが近代化の象徴にように見えた。

IMG_0102m

 

道はきちんと整備され、ゴミなどもなく、歩きやすい。ただ全てがキリル文字の世界であり、英語を見つけるのも大変。バスに乗ることも難しそうだった。我々はN教授の希望を大いに尊重し、ビールが飲める食堂を探したが、意外となかった。というよりはシャルハル氏やイエルン氏のようにハラールの食事を求めると、必然的に酒は出て来ないということが分かる。

 

散々歩き回った末辿り着いたのは、中華レストラン。WIFIがなかったのは残念だったが、仕方がない。公主飯店、という名のそのレストラン、中国語が通じる訳ではなかった。魚香茄子やトマト卵炒めでもきくらげと豆腐でも殆ど味付けが同じ。どう見ても頼み過ぎで、大量に残ってしまった。イスラムの教えには確か『勿体無い』があったと思うのだが、これはお客を満足させるための注文だろうか。

IMG_0104m

 

午後2時前に店に入ったのだが、我々が帰る頃までお客がやって来ている。箸を使う人は稀で、フォークとスプーンで食べている。これもロシア化なのだろうか。何だかヨーロッパの中華料理屋に入っているようで落ち着かない。部屋を使っていた女性たちはどうやら朝鮮系。ここにも様々な民族が行き交っていた。

IMG_0103m

 

ゼンコフ教会

腹一杯になり、歩く。レストランの斜め前には巨大な建物があった。そこはサウナだという。フィットネスクラブとの表示もあるので、最近は西洋化したのかも知れないが、以前はサウナ好きのロシア人の嗜好を反映していたのではないか。

IMG_0111m

 

サウナの前を通過すると道の向こう側には自然が満ちていた。文化人かと思う人の像がある。聞けば将軍だとか。更に行くと素晴らしい形の教会が目に入ってくる。ゼンコフ正教教会、1904年に創建され、釘は一本も使われていないという。1911年の大地震でも周囲が壊滅する中、倒壊しなかったという。ソ連時代は聖職者も追われ、博物館となっていたが、独立後再び教会となっている。

IMG_0112m

 

中へ入ると、本当に鮮やかなステンドグラス、そして壁には金銀の装飾画が飾られており、圧倒される。アジアでいくつもの教会に入ったが、それに比べると重厚感がすごい。多くの観光客、そして信者が訪れており、椅子に持たれてうっとりしている人もいる。蝋燭を買って、火をつけて所定の場所に置くのも新鮮。

IMG_0114m

 

外には爽やかな風が吹き、まさに市民の憩いの場、はとに餌をやったりしている。馬車も用意されており、乗りたい人は公園内を1周できる。この公園はパンフィロフ戦士公園という名で、第二次大戦時、ドイツに対抗してモスクワを防御したパンフィロフ将軍以下28名を記念して造られている。はとが一斉に飛び立つと、教会をバックによく映えていた。

IMG_0119m

IMG_0122m

 

公園の向かいのKFCでトイレを借りる。フライドチキンの値段は日本より少し安い程度。若者や子供たちには人気で店内にお客は多い。因みにアルマトイは公共の場にトイレが少なく、やむなくお借りした。社会インフラはそれほど整っていないのかもしれない。

 

1 thought on “初の中央アジア カザフスタンを行く2014(3)アルマトイ ゼンコフ教会

  1. 言葉の通じないのは厄介なことですが何となく通じて旅が出来るのは有り難いですね

村田浩子 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です