10年ぶりにソウルへ行く(1)韓国のホスピタリティに感激

《10年ぶりに韓国を歩く》  2013年8月25-31日

かつて90年代に元勤務先で韓国を担当したことがある。香港駐在ながら年間4₋5回、3年半で15回以上は訪れた街、ソウル。サムソン、現代、LGなど大財閥と仕事をしていた頃が懐かしい。最後に行ったのは2003年のSARS直前だったから、あれから10年が経っていた。

 

『韓国にも茶畑がある』とは聞いていたが、最近何度か具体的な話を聞いた。そして雑誌に書くコラムの関係でソウル行きが現実のものとなった。さて、一体どのように変貌しているのだろうか。楽しみではあるが、既に浦島太郎の心境。

8月25日(日)

1.     ソウルへ

アシアナ航空 人情味あるサービス

前日までの2週間をモンゴルで過ごし、北京経由でソウルへ向かった。今回はアシアナ航空を使ってみた。予想通り?アシアナは大韓航空よりも、エアチャイナよりも少し安かった。7月にLAで事故を起こし、中国人学生が3人亡くなっていたのだから、北京発の便が安くなるのは仕方がないこと。

 

だが飛行機は満員だった。考えてみれば8月最後の日曜日の夕方便、中国人が乗らなくても韓国人は乗る訳だ。飛行機の到着が10分遅れたというアナウンスがある。中国では誤差の範囲内だが、これは日本に近いサービスだろう。ちょっと期待が持てる。

 

離陸して飲み物サービスが始まった。CAは一人一人ににこやかに、そして実に丁寧に対応していた。これまで中国人のサービスに慣れてきていた私には驚くほど新鮮だった。エコノミークラスで、しかも1時間半しかないフライト。突然バタバタと配るだけと思っていたので、その対応は気持ちが良かった。

 

着陸のアナウンスが流れ、シートベルトをしろ、座席を元へ戻せ、というと、皆が一斉に従っている。これも中国では見られない反応だった。非常にきちんとしていて、むしろ日本より整然としている。よく見ると、実は中国人もそこそこ乗っていたのだが、このような反応が機内であると自然と従うようだ。大きな声で騒ぐ乗客もおらず、快適だった。忘れていた韓国のイメージが少し出てきていた。

広い仁川空港

飛行機は定刻に仁川空港に着いた。着陸からゲートまで随分と時間がかかった。更にイミグレまで行くのも時間がかかる。何とも広い空港だ。90年代中頃までは金浦空港しかなかったので、仁川は1₋2度しか使ったことがなく、ほぼ未知のエリア。昔の金浦はイミグレに時間がかかっていたが、今はスムーズ。荷物も速い。

 

先ずは両替をしようと、懐かしのKEB窓口へ。日本円を出すと日本語対応であっという間に両替できた。今日は日曜日で市内では両替できないよ、と書かれていたが、それはお客を誘導する作戦だった。この辺も賢い。あまりよくないレートで替えてしまいちょっと後悔。

 

手に入れたウオンを持って携帯ショップへ。10年前同様、韓国にはシムカードはなく、日本と同様携帯電話を借りなければならない。これは不便だ。しかも一日のレンタル料が3000W、電話を掛けると別途料金がかかるシステム。これは高い(日本とほぼ同じ料金か)。店員の対応は実にすばやくて、時間は日本ほどかからないのが良い。


 

空港鉄道で市内へ

次に市内へ向かう。今回初めて空港鉄道を使ってみる。それにしても空港内の表示は分かりやすい。すぐに駅までたどり着いた。中国ではこうはいかない。空港からは特急と普通があると聞いていたので、迷わず普通電車に乗る。

 

実は前日北京で、ソウル勤務経験のある同窓生OさんからTマネーカードを貰っていた。これを使えば電車もバスも地下鉄も乗れるという。確かにスムーズに乗れた。お金をチャージする機械も日本語や中国語の表示があり、便利だ。

 

そして電車。90年代はソウルで電車に乗るのは怖かった。何しろ韓国語しか表示されておらず、それが読めないと行先の方向すら分からなかった。地下鉄などは乗れないし、地上へ出る出口も分からず困ったものだ。だが、今は完全に違っていた。表示は韓国語のほか、英語、中国語、日本語で表示されており、車内アナウンスも4か国語でなされていた。これなら外国人でも問題なく乗り降りできる。進歩したな、韓国。

 

日曜日の夜で電車は空いていた。韓国人は皆黙々と携帯をいじっている。そうでない人は外国人だろう。分かりやすい。約1時間でソウル駅まで行ったが、料金は僅か4000W。特急でも8000Wだそうだから、日本に比べて何と安いことか。

荷物を抱えてソウル駅

昔はソウル駅を使ったことがなかったのでよくわからないが、今は巨大な駅となっている。空港鉄道から地下鉄に乗り越えようとしたが、駅の端から端まで10分以上かかった。大きな荷物を持って移動するのは大変だ。今回はモンゴルの2週間を含めて計3週間の旅なので、大きなスーツケースを持っている。駅の周辺は暗闇に包まれてはいたが、所々立派な建物が見え、イルミネーションが鮮やかだった。どうも昔のソウルに暗いイメージを持つ私には違和感がある。

 

ようやく荷物を抱えて地下鉄駅までやってきたが、今度はTマネーをかざしても通過できない。おかしいと思い、駅員に身振りで聞いてみると、スーツケースが大き過ぎて反応してしまうらしい。駅員はこともなげにスーツケースを横にして先に通し、私を通してくれた。何だか不思議な思いだった。

 

今日のホテルまでは地下鉄1号線でたった一駅。私は一番前の車両に乗っていたが、降車駅の南営には改札が一つしかなく、ホームをずっと歩く。この駅は地下ではなく地上にあり、ホームから周囲が見えた。何となく古ぼけたホテルのネオン、そこには私の知っているソウルがあった。これだけで私はここが気に入ってしまった。

2.ソウル1

古いが便利なカヤホテル

駅を出ると、そこには昔のソウルの街があった。何となく暗くて、そしてごちゃごちゃした感じ。字は読めないが入ってみたくなるようなレストラン。酔っぱらいの男性。うすぼんやりしたネオン。

 

カヤホテルはそんな中、駅のすぐ近くにあった。実はこのホテル、韓国在住20年のKさんに教えてもらった穴場ホテル。立地が良い割にかなり安い。勿論古さは否めないが、ほかのホテルが軒並み先進国料金になっていく中、有難い。エレベーターに乗ると独特の甘いにおいがした。部屋は洋式と韓国式があり、私の部屋はベッドだった。WIFIも普通に繋がり満足。勿論モンゴルとは違い、お湯も十分に出た。もうそれだけで言うことはない。

 

因みに韓国は日本と電源プラグの形態が異なるが、フロントでいうとすぐにプラグを貸してくれた。これで充電の問題もなかった。フロントのお兄ちゃんは片言以上の日本語を話す。

大衆食堂の陽気なおばさん達

時刻は既に夜の11時。駅の処にパン屋があったが、もう閉店だろうか。何とはなく腹が減り、外へ出る。外へ出るとパンではなく、肉が食べたくなるのが韓国。条件反射だろうか。この南営駅付近には食堂は沢山ある。が、一人で入れそうなところはどこか、ちょっと考える。明洞など観光地には日本語の表示もあり、日本語も通じるだろうがここはローカルエリア。どうしようか。

 

迷っていると、店の前に日本語表示があるのでそこへ入る。だが店の主人は反応しない。『カルビ』と言ってみると、黙って外へ出ていき、ビルの奥の店を指した。そうか店を間違えたのか。奥へ入ると威勢の良いおばさんの声がかかる。こんな時間でもやっている。そういえば日本でも夜遅くまでやっているところは焼肉屋だったな。

 

店のおばさんにカルビ、というと、メニューを持ってきて上カルビを勧める。私は安く上げたいので、豚を頼んだ。するとおばさんは豚なら2人前からと言い出し、攻防があった。私が譲らないと、ビールか焼酎を飲めと勧める。これも断ると商売にならない客だなという顔をした。私はさらにライスを頼む。

 

豚肉は一人前でも大きかった。とても二人前など食える量ではない。よかった、と思っていると、何とライスに大きな鍋の味噌汁が付いてきた。更にはお決まりのサイドディッシュがどっさり。どうやってこんなに食べろっていうんだ、という顔をしていたのか、おばさんがまたやってきて、サンチェに焼いた肉を載せ、味噌を載せ、キムチも載せて包んでくれた。そしてなんと『あーん』しろと言い、食べさせてくれた。

 

何だか不思議な感覚に包まれた。私が黙っていると『美味しいか』と日本語を使ってきた。これしか分からないらしいが、十分だった。美味しいと伝えるとおばさんは喜んで次ぎ次ぎと作り、口に放り込んできた。こりゃ大変だ。味噌汁を掻き込みながら、どこまで食べられるか格闘した。この好意を無にすることはできない、訳だ。最後まで食べたときは死ぬかと思うほど腹が膨れていた。

 

おばさん達は皆ゲラゲラ笑っていた。店が暇なので遊ばれてしまったようだ。それでもこの韓国ホスピタリティ、恐るべし。これが若い女性だったら、コロッと参ってしまう男も多いのではないだろうか。この対応こそ、韓国のソフトパワーの源かもしれない。日本には既になく、勿論中国にはあろうはずがない。その夜は腹が一杯で、あのおばさんの笑顔を夢に見そうで、遅くまで眠れなかった。

 

 

 

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