カンボジア旅2022(6)観光客のいない街

街まで戻り、ついに運転手とお別れだった。彼もプチュンバンのお休みに故郷に帰らず、稼がなければならない立場だったようで、少しは貢献できたかもしれない。オールドマーケットで降ろしてもらった。すぐにランチを懐かしいクメールキッチンで取った。ここは11年前にも来た食堂。アモークという、カンボジア名物の甘い煮物が好きなのだ。

ついでにオールドマーケットを散策したが、どこの店も閑散としていた。既に閉店したレストランやホテルも目に付く。外国人観光客は戻ってきておらず、何となく寂しい。それでも店が開けられるまで回復したと見るべきだろうか。まあ昼間だから客が少なく、夜はもう少しマシかもしれない。

宿の向かいのスーパーへ行くと、何と日本語を話す母子とすれ違った。駐在夫人だろうか?なぜこのスーパーにと思い入ってみると、日本の味噌や豆腐などが売られていた。日本人や日本食レストラン、今も少しは残っているのだろう。相変わらず古い米ドル札が使えない。

かなり疲れたので、午後は宿で休息した。この宿は落ち着きがあってよい。夕飯のため再度オールドマーケットへ行ってみたが、事態は昼間とあまり変わらない。今度は華人系の食堂に入り、クメールカレーを食べた。ちょっとだけスパイシーなこのカレーは一体どこから来たのだろう、と思っても、答えてくれる人はない。恐らくは外国人観光客のために作られたのではないだろうか。夜のライトアップがやけにまぶしい。今は便利な世の中でカンボジアにいても、サッカー日本代表の情けない?試合が見られる夜。

9月28日(水)シェムリアップを去る

翌朝は小雨が降っている。朝ご飯を宿で食べて、傘をさしてちょっと散歩に出る。しかし特に行くべきところもなく、人も全く歩いていない。市場で働く女性はヒジャブを被っている人が多い。これはどういう系統の人々だろうか。チャンパなのか。

10時になり、宿をチェックアウトする。この宿には空港までの送迎が無料で付いているのでそれを利用する。他のトゥクドライバーは暇を持て余している。トゥクで約20分走って空港に着く。こんな空港だっただろうか。見ると国際線は1日10便程度しかない。ドル箱路線だったはずのバンコク便も1日2往復のみ。何とも寂しい空港になっていた。

トゥクを降りて礼を言うと運転手の若者が『お代は?』と聞いてくるので、『それは君がホテルからもらうんだよ』というと、『へー、そうなんだ』と言いながら笑顔で手を振り去っていく。せめて自分の食い扶持をだれが払うかぐらいは確認しろよと言いたいが、何とも憎めないヤツだった。

チェックインカウンターの女性は実に丁寧な日本語を話すのだが、なぜか話の前に『おにいさん、ワクチン証明ありますか?』と『おにいさん』を付けてくる。最初は夜の仕事でもしていたのかと思ったが、そんな雰囲気はまるでなく、日本語もしっかりしている。後である人曰く『カンボジア語では目上の人に敬称を付けて呼ぶが、それを直訳したのでは』と。

空港内は閑散としている。それでもちょうど何便か出発便があるので救われている。私が乗るバンコクエアーは、以前はエコノミークラスでも空港ラウンジが使えたのだが、当然この空港のラウンジは無くなっていた。バーガーキングは開いており『We are back!』と書かれているが、隣の吉野家は暗いままだった。土産物コーナーはコーヒーの横にカンボジア茶が売れられていたのが目を惹く。

タイと書かれた大型飛行機が到着したので私が乗る便だと写真を撮っていたら、何と30分前に出るエアアジアだった。エアアジアはここに勝負を掛けているのだろうか。だいぶん安いからこちらに乗る乗客は確かに多い。我々の飛行機は小型機で、しかも後ろ乗りだった(私は前の方の席を取ったので失敗)。搭乗時間になるとトボトボと歩いて行くのは昔から変わっていない。

機内では国際線らしく?機内食が出たが、あまり好ましいものではなく、食べない人が多かったようだ。航空会社も余裕がないのだろうか。空から下を見るとやはり水が良く見えており、洪水の懸念が高まる。シェムリアップは早く危機的状況から脱してもらいたいが、それも中国人観光客待ちだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です