カンボジア旅2022(3)カンボジアのお盆 プチュンバン

9月25日(日)カンボジアのお盆 プチュンバン

朝は鶏の声で目覚めた。まだ6時前だが、気分は爽快だ。部屋から出るとTさんが『お茶飲みませんか?』と言ってくれ、何と愛媛の番茶をご馳走になる。昔はどこの家でも番茶を自分で作って飲んでいた、というのは興味深い。宇和島出身のTさん、その辺はミカンの前は茶だったのだとも思う。

朝ご飯は、ご飯を作る人がお盆休みで、昨晩の残り物だったが、これで十分に幸せ。更に美味しい梅干しが出てきて感激。ミエン氏も家族が帰省中で、3人で食べる。また色々な話をしていたが、ミエン氏が『お寺へ行きましょう』と言い、昨日の寺まで行く。今日はお盆の最終日。昨日よりはるかに多くの人が集まり、まるで村祭りのような賑わいだった。

持参したご飯と水を持ち、お寺へ入ると、そこは善男善女が集い、お坊さんにご飯などを差し上げている。すごい行列の中を我々も並び、それに倣う。更にはお坊さんにお祈りしてもらい、頭に水を掛けてもらい、また何かを占ってもらう。昨日の小坊主も、今日はしっかりとお務めを果たしていて、微笑ましい。

Tさんが歩くところ、必ず誰かが挨拶してくる。まさに村の有名人だ。そして若者たちからも声が掛かる。日本語学校の生徒だった人たちが、今や立派になり、結婚して親になり、プノンペンで事業に成功していたりする。彼らもプチュンバンの時は村へ戻り、家族とともに過ごしている。日本へ技能実習生を送り出している、という人もいた。

お寺で過ごしているといつの間にか時間が過ぎていき、急いで戻る。そしてミエン氏が素麺を茹でてくれ、3人でそれを掻き込んでいると、予約していたタクシーがやってきた。実に慌ただしいお別れであった。タクシーも本当は今日ばかりはお休みだったはずが、色々と探し、お願いして、何とか確保してもらったので、すぐに乗り込んだ。あっという間にタサエン村が遠のく。

シェムリアップへ移動

シェムリアップまでは車で東に約230㎞、4時間と聞いていた。最初は北へ進み、ポイペト国境近くで東に向かう。かなりの雨に見舞われ、どうなることかと思われたが、途中から晴れ間も見えてきた。途中いくつかの街を抜けたが、全て平地で快適なドライブだった。ただシェムリアップに近づくと、所々で水が溢れており、洪水の危険も感じられた。

一度ガソリンスタンドで給油した他はノンストップでほぼ4時間、予約したホテルに到着した。タクシー代100米ドルは決して安くはないが、移動手段が少ないカンボジアでは仕方がない。プチュンバンの中、運転してくれただけでもありがたいので、少しチップも渡す。

実は予約したホテルは、プール工事のため閉鎖されたので、姉妹ホテルへ行ってくれ、と連絡が来ていた。それに関して質問を送っても返事はなく、取り敢えず来て見ると、何事もなくチェックインできた。リゾートホテルという感じで雰囲気は良い。ただ街からはすこし遠い。おまけにプチュンバンでホテル前にトゥクなどもいない。

フロントは親切そうだったが、宿代のお釣りの米ドルがないとか、面倒くさそうな対応が気になっていた。部屋は広くて快適そうだったが、何とTVは付かず、冷蔵庫も動いていない。それを指摘すると『今夜は満員なので部屋は変更できない』と言われ、代わりに氷を貰った。

このホテルのオーナーはカンボジアン人だが、中国系が運営していると聞いていた。如何にも見掛けだけは良いが、中身が伴っていない中国式の典型だった。従業員もやりようがなくて、小手先で客の要望をかわすようになっている。これではいいホテルはできない。電気系統は恐らくコロナ禍の閉鎖で、長い間使っていなかったことによる不具合だろう。唯一良いのはバルコニーに寝そべって立派なプールを眺められることだった。

街まで2㎞ぐらいと言われたので歩いて行こうと思ったが、雨が降りそうだった。すぐ隣にちょうど食堂があったのでそこに入ると、ちゃんと写真付き、米ドル表示のメニューがあり、チャーハンとパパイヤジュースを頼む。チャーハンはきちんと作られていて美味しい。華人系だろう。3米ドルは安いと思ったが、昔の感覚1米ドル=100円ではないぞ、と思い直す。

そこへ大雨が降ってきて立ち往生。小さな折り畳み傘を何とか持って宿まで走って帰った。宿では大きな傘を貸してくれたが、私が折り畳みを持っているとみるとすぐに回収された。この辺がリゾート感覚ではない。夜は白人が騒ぐのではないかと心配したが、それはなく、ゆったりと過ごす。

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