カンボジア旅2022(2)国境バンレアムを越えタサエン村へ

目指せカンボジア国境 バンレアム

朝早く目が覚めた。やはりちょっとした緊張があるのが国境越え。このワクワク感は堪らない。8時発のバスではあるが、7時前には宿を出た。気持ちの良い朝が広がっている。バスターミナルへ行くと昨日と同じおばさんが『ああ来たね』という顔をしてチケットを売る。200b。バスは既に停まっており、一安心だ。

周囲を見渡すと、麺屋などは開いていたが、何となく食べずにバスを待つ。だがその後チケットを買ったのは3₋4人だけ。これならもっとゆっくり来ればよかった。10分前に運転手が現れ、5分前に乗車した。結局6人だった。ただ大きな荷物を持ち込んだ人もおり、このバスは荷物運びにも使われるように思われた。

7分ほど過ぎてバスはついに出発した。遅刻した者を待っていたのだろうか。取り敢えず街中を走り、一人を拾う。その後は国道を時速90㎞で飛ばしていく。国境バンレアムまではおよそ80㎞。この勢いなら1時間で到着だ、と思ったが、そこから時々乗客を探して乗せるので、意外と時間が掛かる。それでも見事に1時間半後にバンレアムに到着。

タイ国境の出国で窓口を探していると、なぜか『ジャパニーズ?』と声が掛かった。こっちに並べとの指示に従い、出国すると、何とそこにTさんが待っていてくれた。約3か月ぶりの再会だ。Tさんの相棒ソクミエン氏も一緒だ、懐かしい。まずはビザ取得のため部屋に入る。前回同様Tさんのお知り合いだから緊張感なし。写真が必要なのは陸路だけだろうか。最後に費用30ドルを支払ったが、20ドル札が汚い?と言って交換させられる。あの1ページに及ぶ大きなビザが6年ぶりにパスポートに貼られた。国境付近の様子は少し変わっていたが、のどかな雰囲気に変わりはない。

車で15ほど行くと懐かしのタサエン村に入った。Tさんの拠点に行くと何となく雰囲気が違う。6年前はなかった塀で囲まれている(コロナ下での安全対策)が、逆に木が二本無くなり、何となく明るくなっていた。食事などをするテラスも新設されており、さっそくそこでお茶を頂く。お茶は何とミエン氏が発明したススキの穂(花)茶。ナチュラルで実にいい香りがする。昼ご飯はタケノコ鶏肉スープに豚肉インゲン炒め。白米をどんどん食べる。

なんだかとても静かだと思っていると、何と今日はプチュンバンというお盆の最中、日本でいえばお正月の2日みたいな日であり、日本語学校も地雷処理もお休みだった。そして強烈なスコールが降りだす。Tさんもリラックスムードで話が弾む。こんな機会でもないとゆっくりとお話しする時間はない。『物事の本質』について、じっくりと聞く。

それからミエン氏が作り出しているススキの穂茶の畑を見学した。かなり広い敷地に日本でいうススキが植えられている。全て有機栽培だという。香りが良いだけでなく、効能もあるらしい。工場には乾燥機、そしてティバッグに詰める機械も揃っている。マンゴリキュールもちょっと頂く。

Tさんの車で村を案内してもらった。車をゆっくり走らせるのは、村人と出会った時、ちゃんと挨拶するためだという。確かに何人もの人から声を掛けられ、Tさんも声を掛けている。何だか選挙カーにでも乗っている気分だが、この辺にもTさんの気遣いが見られる。まずはTさんが誘致してここに工場を開設した日本企業に行ってみたが、さすがに休みだった。6年前の4社から1社がプノンペンに移動したが、後はコロナ禍でも頑張っているようだ。

それからお寺へ行く。ここに地雷処理中に亡くなった7名の方のお墓がある。6年前は1つだった慰霊碑が2つになっていた。実は地元の人々のお墓代わりに、もう一つ建てたという。そして真ん中にお地蔵さんが置かれている。これらも支援者の方々から贈られたもので、その思いをTさんたちが苦労して輸入して、形にしている。

Tさんのもう一つの大きな支援は子供たちへの教育。日本語学校でもそうだが、脱いだ履物を揃えるなど、基本的なことを常に教えこんでいる。お寺でも小坊主を可愛がり、一つ一つ様々なことを丁寧に教えているのは実に印象的だった。私も一度サンダルを揃えずに注意された。

夕飯もまたおいしい。地鶏のいい焼き目の付いた焼き鳥、タケノコ、豚肉と卵の煮物。これはいくらでもご飯が食べられる代物で、食べ過ぎて困るほど。食後は6年前の水シャワーに変わり、温かい湯が出るシャワーを浴びさせてもらい、その有難みを知り、静かな夜を過ごした。蚊帳もあり、眠りも深い。

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