突然ベトナム中部散歩2011(9)フエ 英語ツアーに参加してみると

11月3日(木)

(6)   ガイドのトラブル解決能力

翌朝は6時過ぎには目が覚めてしまい、起床。ホテルでビュッフェを食べる。まだお客は殆どいない。料理も全部で揃っていない。風に吹かれ、川を眺めながら、ゆったりと食べる。これも一つの旅か。

今日は昨日予約したフエ一日観光ツアーに乗る。ホテルにバスが迎えに来るというので待つ。昨日の旅行社のお姐さんがやってきたので、すぐ分かる。既に欧米人がたくさん乗っていた。

ガイドはお兄ちゃん。かなり慣れており、スムーズ。と思っていると、お兄ちゃんが「このツアーには各施設の入場料が含まれていませんので、これから徴収します」と告げた瞬間、最後に乗って来たドイツ人が騒ぎ出す。「俺はそんなことは聞いていない」

さて、ガイドはどうするのかとみていると、「あなたに言いたいことがあるのは分かったが、個々にはツアーを楽しもうとしている人々がいる。基本的にはあなたがこのツアーを頼んだ旅行会社に後で文句を言って欲しい。が、もしどうしても必要なら、後で私が話を聞く」と堂々と告げる。

日本などでは兎に角先ず謝る、とか、お客様第一とか言って、トラブルを助長してしまう傾向があるが、彼には解決能力がある。実際他の欧米人の目もあり、このドイツ人、しぶしぶながらも、入場料を支払っていた。逆に言えば、ベトナムではトラブルが頻発しており、解決能力が鍛えられているということか。

(7)   お墓巡り

バスはフエ郊外の観光地へ向かう。観光地と言ってもグエン王朝時代の皇帝のお墓が2つ。先ずはバスで小1時間行ったところにあったミンマン帝の墓。1840年から3年間かけて作られたという。ここは静かで質素な感じが良い。大きな石碑が建っており、中国と同じ様式。更に広い園内を散策。何年もかけて作られたお墓、その労力は凄い。

いくつかの廟があり、池も配され、そして小山へ。そこがお墓だが、開放されてはいない。非常に枯れた感じが好ましい。何だか日本の古墳を思い出した。

次に向かったのはカイディン帝の墓。1920年帝の生存中に建設が始まり、その死後1931年に完成したという。この墓は先ほどの物とは全く趣が異なる。門が既にバロック様式かと思わせる。ヒンズー的な塔が建っており、仏教的、いや中国的な建物も見える。ここは完全なる混合洋式だ。王朝末期はフランスの植民地となっており、西洋的な要素が入るには当然かと思いうが、それにしてもこの混ざり具合は皇帝の趣味なのか、それとも何か理由があるのか。遺体は何と彼の銅像の下にあるという。ある意味で革新的なお墓だ。

皇帝の写真も残されており、確かに洋風。壁には何故か戦前の日本のビール瓶の破片で作られたモニュメントもあった。ガラスなどが貴重な時代であったろうか。日本は1940年に北部仏印進駐を果たしているが、一体何をしただろうか。

そして何故か、いや観光ツアーだから、少年少女による武芸を見学する。獅子舞のお出迎えを受け、様々な型の武術が披露された。みんな一生懸命やっている。聞けば、この施設はボランティア団体が運営している。この子達も何等か、事情があってここに来ているらしい。

うーん、このようなツアーに組み込まれた施設には何かしら違和感がある。彼らは自分の出番が終わると裏に引っ込み、バナナを食べる者、遊んでいる者もいる。何となく仕事と割り切っている雰囲気。最後にドネーションに依頼があった。欧米人は気軽に応じていたが、どうなんだろうか。

もう一つ帝廟に行ったが、名前は忘れてしまった。正直同じような作りだからだ。ここで気が付いたことは観光客の中に、戦時または戦後ベトナムから亡命したと思われる家族がいたことだ。ガイドは英語のほか、ベトナム語も使っていたが、そのお婆さんやお爺さんの為のものであった。パリから来たという家族は、まさに里帰りと言う雰囲気で、ゆっくりゆっくり祖国を踏みしめているように見えた。

(8)   スペイン語は出来れば

昼は一度市内に戻る。このツアーがやっているカフェでビュッフェのランチ。皆さん、思い思いに席に着き、楽しそうに食べる。意外なほど、豊富なメニュー。私は一人なので、例のガイド氏と食べたいと思ったが、彼はその申し出を巧みにかわした。え、多分、ガイドはお客と一緒に食べてはいけない規則でもあるのだろう。

というのも、彼はガイドの合間に私の所に来て、日本語を聞いていたから。ここ半年間、日本語を独学しているらしい。その語学能力も高そうだ。夜、仕事が終わってから一人黙々と教科書に向かう日々だという。努力している人たちがいる。「日本語が出来れば仕事の幅が広がるから」というが、恐らくは日本人のガイドになった方が実入りが良いのだろう。何しろ日本人は英語ツアーなどには入らず、高いお金を出して日本発のツアーに参加する。チップもくれるだろう。

一人でご飯を食べ終わると、組み分けが行われた。王宮に行く組と行かない組み、私は昨日王宮に行っているので行かない組へ。スペイン人の夫婦とイタリア人の女性と同じテーブルへ。彼らは勿論英語が出来るのだが、話が少し込み入るとスペイン語になる。そして私の方を向き、「どうしてスペイン語を勉強しなかったの」と無邪気に笑いながら聞く。ところが私は内心ドキリ、実は30年前大学の第2外国語で一時スペイン語の勉強をしていたのである。しかし残念なことに、一つの単語も浮かばず、話にもならない。ヨーロッパ勢はいくつかの言語を巧みに操る。羨ましい。

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