突然ベトナム中部散歩2011(3)ホイアン ミーソン遺跡インドと中国の文明の融合

(2)空腹に彷徨う

兎に角腹が減る。でもホテルで食べると高そうなので、街に出る。ホテルの向かいから右へ。直ぐに広めの道に出る。そこにバンミーの店が出ていた。思わず飛びつく。15000ドン。ベトナムではどこへ行ってもパンが美味い。助かる。

フォーを食べたいと隣を見てみると、老夫婦が今二人で懸命の鍋を運んできていた。中には何が入っているのか?フォーか、と聞くと首を振る。何だろう、まだ店は開店していない。パンを食べたらフォーも食べたくなる。

川沿いの道に出ると、そこは一変して観光地。レストランも欧米人向けにこぎれいになっており、値段も当然高い。フォーが1杯、40000ドン、日本円ではそれほどでもないが、現地感覚では高い。そこでフォーの屋台を探して歩き回る。

しかしどこを見てもフォーの屋台はない。それどころか、ローカルな店は既に店仕舞いしており、脇にフォーのどんぶりが並んでいるだけ。一体どうなっているのか?ここではフォーは朝食べる物なのか?とうとうフォーにはあり付けず、時間は4時半となった。

ホテルでは宿泊客の為にローカルフードを振舞うと言うのを思い出し、急いでホテルに戻る。庭には小さなテーブルとイスが出ていて、レストラン従業員が俄か売り子になって、ご飯、麺、デザートなどを配っている。まだ空腹だったので、一通り食べて満腹に。

そして昨晩からの長旅の疲れがどっと出て、シャワーを浴びる。しかし何故か水しか出ない。それでも気持ちよく、遂に7時前には眠りに落ちてしまった。

10月31日(月)
(1)ホイアンの朝

朝6時前に小鳥のさえずりとともに起きる。11時間も寝てしまった。快適な朝。早速朝の散歩に出てみる。ホイアンの街は実に落ち着いていて、歩いていても和んでしまう。河沿いに船が浮かぶ。ボーっと眺める。

ところが驚いたことに6時過ぎには街は既に稼働していた。多くの人が路上に出て、小学生も大人も皆、朝ごはんを食べている。昨日はなかった場所にフォーの店もちゃんとあった。後で分かったことだが、中部では人々は朝が飛び切り早い。学校は7時、幼稚園でも7時半には行くらしい。仕事も夕方はきっちり引き上げるそうだ。それにしても朝からみんなが動いている姿はちょっといい感じ。

ホテルの朝食は豪華だと聞いていたので、フォーもあるだろうと思い、ホテルで朝食を。ところが、フォーは何故かなかった。今回はフォーには縁が無いらしい。ベトナムに来てフォーに縁がない??まあその分、確かのこのホテルの朝食は部屋代の割には豪華だ。沢木耕太郎はフォーを食べてからアメリカンブレックファーストを食べたとあるが、フォーの代わりにビーフンを食べてそれに倣う。あー満腹。

(2)ミーソン遺跡

昨日ホテルで予約したツアーに乗ってミーソンへ。今回のハイライトの1つなので気合を入れていく。英語ツアーで一人僅か9ドル。ミーソンの入場料3ドルを含めても12ドルで行って帰れる。更に帰りはボートで。簡単な昼食も付く。こんな料金は日本では考えられない。いや、ベトナムに来る日本人は日本語ツアーで、バカ高い料金を払っているはず。パックツアーなので明細が分からないだけ。そろそろ日本人も目覚めた方が良いと思う。

バスは中型で20人目一杯乗っていた。その構成が面白い。ヨーロッパ人が13人、中国人4人、シンガポール人夫婦2人、そして日本人は私だけ。車内では中国人のリーダー格の男が一人大声で話しており、西洋人はちょっと気分を害している。確かにこれからミーソンの世界遺産を見に行く雰囲気にはそぐわない。

バスは郊外の水田地帯を抜け、小1時間で到着した。深い樹林の中を歩く。そこにミーソン遺跡の象徴と思われる建物が出現した。大きさはやや小ぶりであるが、背後の山にマッチしている。ミーソンとは『美しい山』という意味だそうだ。

外壁にはヒンズー教のヴィシュヌが描かれ、その横にはハスの華の台座がある。確かに仏教徒とヒンズー教、インドと中国の文明の融合が見られる。周囲を山で囲まれ、実に自然で、落ち着いた雰囲気が醸し出される。

ところが中国人4人組は英語が分からないのか、ガイドの説明も聞かずに勝手に話し始め、それが塔内で響き渡り、西洋人から窘められる。周りを見ると北京から来た別の中国人団体観光客もいる。ガイドの女性に聞くと最近中部も中国人観光を奨励しており、どんどん増えている、我々の仕事も増えた、と言うが、その顔は喜んでいるようにも見えない。

ミーソンの遺跡群はアンコールワットから見えれば、とても小さな遺跡に見える。大きく3つの区画に分かれているが、最初に見た場所以外は、建物が破壊されている。米軍による空爆で廃墟と化したと言う。

『廃墟』というには周囲が穏やか過ぎるが、それでも一定の哀愁が漂う。崩れた遺跡に草がぼうぼう生えている、無常。そこへ北京の人々がやって来て『何もない、行こう』と去る。彼らには目の前に見える物しか、興味がないようだ。それは日本人でも同じだが。出来れば目に見えない物を味わう余裕が欲しい。

ゆっくりと2つの廃墟を回る。シンガポール人の夫婦も同じように回っている。ご主人は日系企業に勤めており、実は日本語が出来た。アジアを回っているとこういう人によく出くわす。彼らは廃墟を感じているようだ。

(3)ボートトリップ

ミーソン見学を終わると我々はボートトリップに出掛けた。これはオプション。参加者は中国人4人、シンガポール人夫妻、そして西洋人は4人だけで、形勢は逆転した。ボートは小型だが人数が少なくゆったりと座れた。食事は実に質素なご飯にキャベツなどの野菜炒めを乗せたもの。私などはそれでいいが、西洋人にはちょっと辛そうな食事。

私の前には一人で参加しているフランス美人が座っているが、何かと神経質そうに、いや何かにおびえたような仕草をしている。缶ジュースが開けられず、手伝ってあげるとにっこり笑ったのが印象的。そういえばこのジュース、無料かと思ったら、しっかり20000ドン請求された。そして後から付け足したように無料の水が配られる。これが彼らのかわいい作戦だ。

なかなか出発しないので、おかしいと思っていると、そこへイタリア人の老人6人が乗り込んできた。彼らは非常に陽気で、おしゃべりも盛ん。さっきまで中国人はうるさいな、という雰囲気があったが、イタリア人がうるさい分にはあまり気にならないから不思議。ご飯をパクパク食べながらも、笑い合っている。年頃なのだろうか。

ようやく船が出た。すると待ち構えていたかのように、雨が降り出した。最初は小ぶりで2-3分で止むものと思っていたが、途中から激しい雨となる。べトナムを長く旅している西洋人達は一斉に雨合羽を取り出す。中国と私は慣れていなかったので、傘を取り出したが、屋根があるとはいえ、横風に吹かれた雨は傘では凌げない。諦めて濡れていると、シンガポールが夫婦の合羽の一つを貸してくれた。有難い。

中国人のリーダー格は雨を物ともせずに、いややせ我慢で、立ち上がり、濡れながら写真を撮り出す。するとイタリア人の爺さんも立ち上がり、写真を撮る。とても奇妙な連帯が彼らの間に生まれた。皆笑いながら、見ている。実に不思議な光景であった。一気に場が和んだ。

雨も止み、ホイアン近くまで戻る。本当は村に立ち寄り、その生活を見る予定であったが、雨のために中止して、ホイアンに戻ると、ガイドが告げる。私などは当然かなと思って聞いていたが、イタリア人老人軍団は黙っていなかった。口々に村へ行きたいと叫ぶ。恐らく中国人が文句を言っても押し切ったであろうガイドもこの攻撃には屈し、我々は村へ向かった。老人たちは勝利の雄たけびを上げた。

イタリア人は中国人よりうるさい、と今回は言える。しかし不快ではない。しかもうるさいだけではなく、しっかりとした主張もしていた。これは面白い。





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